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来年3月19日~23日の日程で
ハノイ視察旅行に出かけます。

 

これが決まったきっかけは、10月31日、
ベトナムの首都、ハノイに行きたいと考えています

と書いたこととです。

 

その文章をジャパン証券の平本社長が

読んでくださったようで、

「ハノイ視察をご準備されているとのことですが、

ハノイにお越しの際はいろいろな面で
お手伝いさせていただくつもりです。

事前のアレンジなどあれば何なりとお申し付け下さい」

と伝えてくださいました。

 

また平本社長は
「時々日本に帰ることがあるので、
セミナーなどでお話させていただくことも可能です」

と言ってくださいました。

 

私はすぐに返事し、3ヶ月に一回の割で開催している

東京での中国株・ベトナム株セミナーを来年1月29日に

開くことにしていて、平本さんの話を聞きたいと思う人が

いると思うので、ご検討いただきたいと返事をしました。

 

またハノイ行きについては

ベトナム訪問の意向を伝えてくれている人たちの

訪問先についての希望を確かめた上で、決めると

返事しました。

 

そして、ベトナム訪問希望者にメールを出し、

意向を聞いたところ、ハノイで良いとのお返事が

多く、急遽、日程案を決め、平本さんに
相談したところ、全面的にサポートするとの返事を

いただきました。

 

そこで、友人たちにハノイ訪問を決めたことを

伝えました。

 

さらに、来年1月29日の小生の株のセミナー

平本さんに参加くださり、ベトナムの近況を
お話ししていtだくことも決まりました。

 

来年はベトナムムードで年が明けそうです。

 

先日、決めたばかりのことですが、

来年3月3月19日~23日の

日程でハノイを訪れ

20日、ハノイ市内観光を楽しんだ後

21日と22日の両日、

ハノイ市周辺の上場企業を

訪れることにしました。

 

実は今年の3月、

ハノイを訪れたかったのですが、
このときは一緒に行こうという

人が集まらす、断念しました。

 

ところが、最近のこと、

大阪と東京で中国株・ベトナム株の
セミナーを開いたところ、
ベトナム株に関心を持ち

ベトナムを訪れたいとおっしゃる方が

現われました。

 

ご承知の通り、

ベトナムの上場会社の多くは

ホーチミン市周辺に本社を置き、

それらの会社を訪れようと思えば

ホーチミン市を訪れることになります。

 

私も3年前のことですが、

2回、ホーチミン市を訪れています。

日本から進出している会社を訪れ

またベトナムの上場企業も訪れています。

 

私としては次の希望地はハノイになりますが、

初めて訪れる人はホーチミン市を

希望するのではないかと思われます。

 

そこで、私のセミナーに参加した
人のなかでベトナムに行ってみたい

とおっしゃった人に、私の希望を伝えた上で

訪問希望先をハノイとするか、

ホーチミンとするか、質問しました。

 

すると、私の意向を斟酌いただいたのだと

思いますが、ほとんどの方から

ハノイで良いという返事をいただきました。

 

そこで、当地で営業されている

ジャパン証券の平本社長に
この訪問視察に関しご支援いただきたい

旨お願いしました。

 

平本社長から、すぐに

全面的に協力するとの
お返事をいただきました。

 

ということでハノイ視察が決まりました。

この視察旅行にご関心をお持ちになられる方、

どうぞ、ご参加ください。

 

一昨日、私がいま英語の勉強の
お相手をしている高校一年生の一人から
次のようなメールをいただきました。

 

「今日、戸田ゼミのコラムを読ませていただき、

自分の高校受験のことを思い出したり、

新たに大学受験の雰囲気を知ることができて、
おもしろかったです。

そして、自分も戸田先生と同じように

東大の文Ⅰに合格したいと思いました。

 

英語の勉強は、毎日日々のノルマを

こなしてがんばっています。

英作文はなかなかできませんが、

解説を見ながらなんとか理解しています。

 

あと、相談なのですが、

最近は英語に力を入れているので、

数学が平日1時間ぐらい、国語が週末に2時間

ぐらいしかできていないのですが、やはり数学、国語を

もう少し増やした方がいいでしょうか?

また、アドバイスお願いします。

期末考査は12月1日から始まります。」

 

メールをいただき、微笑ましく思いました。

たぶん、ご両親から戸田さんが自分の受験期の体験を

書いているから読んでごらんと言われたのだと思います。

 

もちろん、すぐに返事を書きましたが、
私のように年をとった人間にできることの一つは

自分の過去の経験に照らして役に立つと

思うことを提供していくことだと思います。

 

もう自分が大学入試を受験してから

半世紀の年月が経っていますので、
自分の過去の体験だけでは古すぎます。

 

ですが、その気になれば50年の空白は

比較的、短い時間で埋めることができ、

多少は先達(せんだち)の役割を果たすことが
できるように感じています。

 

私のコラムのタイトルは「交流を楽しむ」で、

コラムやセミナーを通して親しくなった人たちとの

メール交換が、毎日の楽しみになっていますが、
そこに中高生との交流も入ってきて、
思わぬ喜びをいただいています。

 

昭和36年年度の東大入試合格発表は

2月26日ではなかったかと思います。

郵便局からの連絡で合格したらしいことがわかり

我が家の人たちはそれまでの緊張が一挙に緩び

喜びに沸きかえりました。

 

この日、ラジオで東大の合格者の発表が
あるというので、兄は電気屋さんに駆け込んで、

その放送が聞けるラジオを借りてきました。

 

深夜、耳をすませて聞くと、
確かに自分の名前が伝えられ、
やっぱり合格したのだということが

わかりしました。


そして、お祝いの会を開くというので、
小学校のころ、お世話になった先生たちをはじめ

日ごろお世話になった人を呼び、我が家に

いろいろな人が集まりました。

 

玄関に並んだ多くの人の履物を

揃えていた亡き母の姿が思い出されます。


それから一ヵ月後に始まる

東京での生活に向けての

準備が始まりました。

 

私の東京での住所は

吉祥寺駅からバスに乗って行く

東大三鷹寮(三鷹市下連雀新川)
と決まりました。

 

本郷の安田講堂で開かれた入学式には
両親と姉が出席しました。

 

未知の生活に向けての出発ですから、

すべてが新しい体験で、

50年近くたった今も
この頃のことは実に良く覚えています。

 

さて、いま受験勉強に励む

後進の人たちにどんな言葉を送りましょうか。


思い浮かぶのは

You can't be too diligent.

「いくら勉強してもしすぎるということはない」

という言葉です。

 

よく勉強したのに実際の入試で出た
問題には苦しめられましたから。

 

私より一学年上の柄谷行人(本名、柄谷善男)さんが

入っていた東大駒場寮の部屋の中のベッドを与えていただき、

そこを宿舎として文科一類(法学部、経済学部進級クラス)

の一次試験を受けました。

 

試験会場は文京区本郷でした。

井の頭線の東大前駅から渋谷に出、

渋谷から地下鉄を乗り継いで本郷3丁目で降り、

試験会場に向かいました。

 

一次の試験は簡単だと思っていましたが

英語の試験で見たこともないような英単語
の意味を問う問題がいくつも出て面食らいました。

 

その試験の発表が駒場でありましたが、

幸い、合格者欄に自分の受験番号があったので

本番の二次に進めたことを確認しました。

いよいよ競争倍率3倍のもとでの試験です。

二次試験も会場は本郷でした。

国語、数学、英語、社会(世界史と地理を選択)

理科(生物と化学を選択)の順に

二日にわたって受けました。

いずれも、試験時間は2時間だった

ように記憶していますが、
主要科目である国語、数学、英語も

まるで自分の弱点が短時間のうちに
白日の下に曝されるように感じました。

 

そのときの試験会場(教室)の様子や

自分の悪戦苦闘ぶりがいまでも思い出されます。

特にもっとも得意としていた英語の解釈問題が

解けなかったのが残念でした。

 

2日間の試験が終わり、気分転換のため

大学から御茶ノ水駅まで出、
山手線で渋谷に行き、井の頭線で駒場寮に戻りました。

 

柄谷さんや同室の方々にお礼を言って

郷里の淡路島の実家に戻りました。

実家に戻って毎日頭に浮かぶことは

あれもできなかった、これもできなかった
の思いです。

 

これからは
神戸の予備校に通うか、

あるいは東京まで出て駿台予備校に通うか

そんなことばかり思っていました。

 

ですが、それはすべて危惧でした。
東京で発表があった日の夕方、
地元の郵便局から我が家に電話がありました。
「サクラサク」の知らせが届いている、

電報の届けは明日になるが、朗報と思うので
一足早くお知らしますとの知らせでした。

このときの体験と教訓を後進の人たちに
どう伝えるかが、私の今の任務です。 

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