カテゴリ: 1800回~

人はそれぞれに大切にしている生活信条、

モットーと言われるものがあります。

京大IPS細胞研究センター長、山中伸弥教授は

2008年、母校の神戸大学の入学式で記念講演で

ご自身のモットーについて語っています。

 

「私がモットーにしている言葉があります。
それは『VW』の2文字。
アメリカで修行をしていた時に、

研究所長だったDr.メーリーが教えてくれたのです。

ビジョンのVとハードワークのW。
目的をはっきり持って、それに向かって
一生懸命ハードワークする、ということです。


日本人は勤勉な国民ですから、ハードワークは得意です。

今、私の研究室に学生がたくさんおり、
夜遅くまで一生懸命実験しています。
しかし、目的がはっきりしないまま、

何か知らないけど実験をしている、

それで満足している、という学生が多いのです。

 

私自身も気を付けないと、
何か仕事をして実験をして論文を書いて忙しいと、
ついつい自分は頑張っているという風に
勘違いしてしまうのですが、

ビジョンがなければ、見失っていたら、
それは無駄な努力になってしまいます。」

 

また山中教授は2009年に
京都市の門川市長との対談し、
その席で
門川市長が
「先日もお聞きした、先生が大切にされている言葉『VW』、
私も大好きなんです」との発言を受け、
次のように話されています。

「VW」、即ちビジョンとハードワークは
私がモットーにしている言葉です。
ビジョンをはっきり持ち、
それに向かってハードワークすることが
研究者の成功の条件だと、
サンフランシスコ留学中、
研究所のトップに教えられました。
その方は車も確かフォルクスワーゲンに乗っていましたが(笑)』

 

面白いですね。

私たちにも「ビジョンとハードワーク」必要ですね。

京大IPS細胞研究センター長、山中伸弥教授は

2008年、母校の神戸大学の入学式で記念講演をした際

新入生に対して、次の話から始められています。

 

「私はスポーツが大好きなので、
何でもスポーツに例えてしまいますが、
研究者生活はどんな感じか、ということから始めます。
中学から大学の2年生まで、柔道をやっておりました。

柔道というスポーツは、勝ち負けが非常にはっきりしています。

試合時間は5分、長ければ10分くらいの

こともありますが、一応決まっております。

私の場合一番早い試合では、
2秒で投げられて負けたことがあります。

4分58秒をどうしてくれるかと思うのですが、
もう何もありません。


大学2年で膝の靱帯を切りまして柔道をやめたのですが、

3年生になってよくなってくると、
ラグビー部に入部しました。ラグビーは柔道とちょっと違います。

どんな強い相手と試合をして徹底的にやられても、
80
分間戦い抜くというか、80分間我慢しないとだめです。

しかし、ラグビーも勝ち負けがはっきりしています。
現在やっているのがマラソンです。
これまでフルマラソンを4回か5回ほど走っていますが、
マラソンは勝ち負けだけではありません。

完走して自分の記録を1秒でも短縮する、
そういった別の意味があるのです。

では、研究はどちらでしょうか。
今、私たちのやっているiPS細胞の研究は、
アメリカの超一流大学と非常に厳しい競争になっています。
でも、これはマラソンです。
最後まで走り抜ける必要があります。

一番になれなくても論文を出す、
一番になれなくても特許を出すということです。
ですから、まず皆さんに伝えたいメッセ

ージは、研究はマラソンであるということです。
さらに、人生そのものがマラソンであるということを、

私は日々痛感しています。」

 

私たちは目の前のことに追われて

「人生そのものがマラソンである」
ということを忘れがちになりますので、

自戒の言葉として意義深いと思います。

前々回、京大IPS細胞研究センター長、山中伸弥教授が

2008年、母校の神戸大学の入学式で

記念講演をしたときのお話を

抜粋させていただきました。


今日はその続きを抜粋させていただきます。


「これで踏ん切りがつかなくなって、

どうしようと思ったところに、

奈良先端科学技術大学院大学が助教授(准教授)

を募集している広告を雑誌で見ました。

『これが次のあきらめる方法だ』と考えました。

公募ですからコネクションもない私が

採用される訳はないし、

今度こそ基礎医学を諦めようと。


ところが応募すると、驚いたことに採用となりました。

あの時父親が母親の夢枕に立たなければ、間違い

なく研究はやめていましたから、

これも『塞翁が馬』だと思います。


この大学はアメリカの状況に近く、

施設だけでなく、すばらしい研究者がおられます。

そこで先ほどのPADという病気をなんとか克服して、

もう一度やってみようかと思うようになりました。


研究者としては一旦死んでいるので、

どうせ神様が何かの気まぐれで研究の場を

与えてくださったのであったら、

何か他の人がやらないような、

難しい研究をしようと。


それで始めたのが、今回の皮膚の細胞から

iPS細胞を作る研究です。

それからは、辛い時期は必ずいつか、

いいことになるのだと思うようになりました。」


思えば、「何か他の人がやらないような

難しい研究をしよう」という決意が世紀の

大発見につながったのですね。

「辛い時期は必ずいつか良いことになる」

というの言葉は悩める多くの人にとって

大きな励みになると思います。

「もしもしQさんQさんデス」の
26
巻目に当たる

『私でもこんなに間違える中国成長株選び』が

発売になりましたのでお知らせします。

 

今年3月から出版化に取り組んだ

「もしQ」シリーズは5月から

『中国株で一山当てたい人集まれ』(22巻)

『中国株は成長株の時代に』(23巻)

『中国で次に起こることは?』(24巻)

『中国投資はジェットコースターに乗って』(25巻)

と毎月一冊の割で出版してきました。

 

これらの本の題目は
私が編集にかかわる時点で

すでに決まっていました。

しかし、今回についてはタイトルが未定でした。

 

未定のまま、章立てをし、解説文を書き

「どういうタイトルになるのか」

「まえがきに邱さんが何をお書きになるのか」

楽しみにしていました。

 

そして、出版社経由で連絡いただいたのが

上記のタイトルが意表をつくタイトルで、

驚きました。

 

と同時に同時に邱さんにおける

「正直の精神」にふれる思いがしました。

邱さんは自分を偽らない人である

という印象をあらためて深くしました。

 

この本の末尾には

今回も私が解説を書いています。

 

毎月一回の割で出版できているのは

出版されているグラフ社の意欲んぽ高さと

何といっても、本を買ってくださる

読者の皆さんに支えられてのことです。

 

この本をお読みいただいている方々に

編集者として深くお礼申し上げます。

今回もよろしくお願いします。

また今回もアマゾンに感想を書いていますので

ご覧ください。


いま京大IPS細胞研究センター長として

世界から注目されている山中  弥教授は

2008年、母校の神戸大学の入学式で
記念講演をしています。

この講演を読むと,山中教授の研究人生が

たいへん波乱に富み、教授が

「人間何が幸いするかはわからない」

という意味の「人間塞翁が馬」という言葉を
好んでいることがわかります。


そのわけを伝える話を
2008年のこの記念講演から
抜粋させていただきます。


「そこで2つ目のビジョンができました。
基礎研究で頑張ることだと。
4年後(注:1993)にアメリカに渡りました。
ノーベル賞をいただいた先生がたくさんいるような
大学でしたので、非常に充実した研究ができました。
その頃にiPS細胞の研究を始めました。

4年ほどいて意気揚々と帰国し研究を開始したのですが、
そんなにいいことは続きませんでした。
周りに超一流の研究者が少ないですから、
十分なディスカッションができない状況になり、
研究者としてやっていく自信がなくなりました。
研究費もありません。半年も続けていたら、
もうだめだと、別人のようになってしまいました。

未だにPADと勝手に呼んでいますが、
『ポスト・アメリカ・ディプレッション』です。
本当に半分鬱状態になってしまい、
とても耐えられなくなりました。

そこで何を考えたのか、家を建てようと思いました。
家を建てるとお金がかかりますから、否応なしに
病院勤めをしなければならず、それをきっかけに
研究をやめてしまおうと考えました。
たった10年前のことです。土地を探し、

明日本契約するという前の日の朝になって、
離れて暮らしていた母親から電話がありました。

『お父さんが夢枕に立った。
家を建てるのは慎重にと告げられた』
と言うではありませんか。

私も科学者ですからそんな話を信じる訳は
ないのですが、年老いた母親を哀れに思い、
不動産屋さんに1日だけ待って欲しい旨伝えました。
しかし、なんとその日のうちに、
その土地は他人の手に渡ってしまいました。」

 この続きは次々回に紹介させていただきます。

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