カテゴリ: 1500回〜

「自活力」を高める必要はわかけれども、
それはどうしたら身につくのか、
そこが知りたいと思われる方が多いかもしれません。

そこで、しばし考えました。
私の答は次のようなものです。

「自活力のある人」をめざし、
たえず、自分に質問を投げかけていくことです。

まず、自分に問いかけましょう。
「今の自分は一人になった時
メシが食えるか?」と。

「今の自分では一人になった時
とてもメシは食えない」という答えに
なるかと思います。

そうしたら、次は、次のように問いかけましょう。
「一人でメシが食っていけるようにするのに
今の自分には何が足りないのだろうか」
「どうすれば、一人で食べていける人間に
なれるのだろうか」

この質問をいろんな場面で
自分に投げかけていけば、
「こうしたらいいのではにか」
という考えが浮かんできます。

今の仕事にもっと熱心に取り組み
提案や企画が出せるようにしようとか、
自分の専門知識をもっと深めようとか、
自立心が養えそうな職場に変わろうとか
さまざまな答が出てくると思います。

そしたら、出てきた考えに従って
実際に動いてみましょう。
実際に動くとで、視界が広がります。

ただ、実際に動いてみても。
すぐに良い結果が出る保障はありません。
その時は軌道修正です。

こういうことの繰り返しによって
自活力豊な人間に近づいていけると考えます。
以上は私がいつも心がけていることです。
「自活力」を身につけるということも
自問自答と行動の繰り返しで徐々に
解決できると私は考えています。

前回、私たちの多くは
自分の中にも潜在している
自分の「商売開拓力」を
鍛えていないのではと書きました。

いまは長寿命時代で、会社勤めをしている人も、
会社勤めは第一の人生に過ぎず、
定年あとには、第一の人生と同じくらいの
長さの第二の人生が控えています。

こういう長い時代において人生を楽しむためには
自分の「商売開拓力」を鍛えておく必要が
あると感じてのことです。

さて、昨日、たまたまユニクロの柳井正さんが
作られた「経営理念23か条」を読んだのですが、
その中の「第5条」:「社員一人一人が自活し、自省し、
柔軟な組織の中で個人一人一人の尊重とチームワークを
最重視する経営」に目がとまりました。

その解説として、次のことが書かれています。
「『自活する』ということは、
1人前になるということ。
1人前になるということは、
どこの会社にいっても『食べていける』こと。
どんな境遇でもその仕事で『食べていける」ということだ。
社員には、まず1人前になっていただきたいと思う。
また、上司には部下を1人前にしなければならない義務がある。

『自省する』とは、自分の行動を反省して、
次にどうやっていくがを考えることである。
計画し、実行し、反省し、次の行動に活かす。
そういうサイクルを自分でまわしていくことが重要である。

自活し、自省しないと、
仕事仲間や交渉相手に一人前として認めてもらえない。
自分で自分の仕事をまわしていがない限り、
自分の仕事とか自分というものを認めてもらえないはずだ。

『柔軟な組織でひとりひとりを尊重する』というのは、
それぞれ個人が自活して自省していかなければ実現しない。
(中略)自分達ひとりひとりが自活して自省する。
それが柔軟な組織の源をつくると思う。
『自活』か『自省』のどちらかが抜けていると組織は硬直化する。
われわれの組織が今ややもすると硬直している原因は、
まさにそこにあると思う。
自活し自省できれば、個人個人の尊重ができると思う。
個人個人の尊重というのは、それぞれの持ち味、
あるいは欠点を認め合って仕事をするということに通じる。」

ここで述べられている『自活する=食べていける』は
『自分の商売を開拓する力』と合い通じるもので、
経営の側からこうした力の練成に言及されているこことに
興味を覚えました。

「志半ばで斃れるのが私の理想」と
邱永漢さんは書きましたが、
昔は、「志半ばで斃れた」人たちが
私たちの周辺にたくさんいました。

例えば、私の周辺で言えば、
自分の父親が「志半ばで斃れた」一人です。

父は明治時代、日本が貧しかった頃、
淡路島の漁村で生まれたのですが、
小学生の時に父親(私にとっては祖父)が
亡くなったため、釣り針を作って漁師に売る
商家に奉公し、釣り針を作りながら小学校に通いました。

そして、その技能をもとに身を立てるのですが、
釣り針づくりではパッとしなかったようで
ある時は練炭を売り、またある時は漁師の船に
使うペンキを売ったりしました。

そして戦後は石炭全盛でしたが、
母がどこから、どう仕入れてきたのか、
「これからは石炭ではなく、
石油の時代になるのではないか」
と言い出し、これが我が家の指針になり、
父は石油卸の商売を始めるようになりました。

結果的には、この商売が当たり
私などが12歳の頃に家を離れ、
“都会”の学校に通えるようになったのは
そのおかげであり、父は私が大学4年生になった
春、石油屋の主として亡くなりました。

当時のことを振り返ると、
私の父に限らず、八百屋、魚屋、
服屋、クスリ屋、風呂屋、鍛冶屋、
モーターバイク店、造船所など
様々な商売をする人がたくさんいました。

当時は、漁師やお百姓さん以外の人は皆、
どのような商売をしたら、食っていけるかと、
時代の流れを読み、自分の腕と相談しながら、
自分の商売を決めていました。
「商売開拓力」が鍛えられていたと思います。

こうした人たちと比べると、
私たちの世代は、世に出る時、
「会社ありき」ではじまり、、会社勤めの
「要領」は身についたでしょうが、
「自分の身にあった商売は何か」
といったことはほとんど考えない人が
多いと思います。

誰にもそなわているはずの
「商売開拓力」を鍛えることのないまま
年月を重ねてきていると
いえるのではないでしょうか。

今回、玉村豊男さんが書かれた
『邱永漢の予見力』を読み、私は
16年前、邱さんが『私は77歳で死にたい』
という本のなかで「志半ばで斃れるのが私の理想」
と題する文章を思い出しました。

「これまで私がずっとてがけてきた仕事は
はずかしいほどたくさんある。
成功した仕事より途中で挫折したり、
廃業した仕事のほうがずっと多い。

それでも懲りずに新しい仕事を次々と
手がけるのは、これはやれると思ったら、
実験しないではおれないくらい好奇心が強い
からであろう。

お金のまったくなかった自分でも小さな
小さな元手でできそうな仕事を同時にいくつも考えた。
でっかい仕事を手がけて大をなす人には
とてもかなわないが、自分の性格のくるものであろうか、
どうしてもちまちました仕事に興味をもってします。

万一、しくじっても全部一ぺんで駄目にならないという
危険分散の意味はあるけれども、気が多いというのが
本当の原因であろう。

その中からいくるつか芽を出す新事業もあって、
気がついてみたらスケールは大きくなっているが、
それでも懲りずに次々と異業種に手を出すから
同時にいくつもの仕事を手がける癖は一向になおらない。
(中略)、
なぜそんな忙しい思いをするかときかれたら、
『年をとって退屈するのがいや高から』と答えるよりほかない。

子供の頃、国定教科書で『木口工兵は死んでも
ラッパを手から離しませんでした」と習ったことがあるが、
年をとってくると、だんだんあの心境に共鳴を覚える
自分になている」(「志半ばで斃れるのが私の理想」)

邱さんの生き方の特長がよく表現されている思いますが、
「死ぬまで現役」をめざしている人にとっては
役に立つ文章だと思います。

「死ぬまで現役」と言う言葉が
初めて登場する邱永漢さんの本は
『死に方・辞め方・別れ方』
(1988年)という本です。

この本で邱さんは、人生は
次のように書いておられます。

「定年と同時に横すべりや天下りをして、
子会社や取引先に行くのは安易な道であるけれども
ここもまた押せ押せでクビにされてしまうから、
5年くらいで追い出されてしまう。
その年齢が60歳か65歳では、
平均寿命の74歳まではまだほど遠い。

したがって、子会社に回されるくらいなら、
まだ足腰のしっかりしているうちに、
『死ぬまで現役』でおられるような仕事を
探した方がいい。

趣味を生かす仕事でも、
いままでの技能を生かす仕事でもよい。
『お前はクビだ』と言われないためには、
小さくても自営業以外に方法はないのである。

ただ『お前はクビ』と言われるようにするために
一定のスケールの事業基盤を築こうと思えば、
やはり定年になってからでは間に合わない。

すると、定年は40歳がよいというところまで
逆戻りしてしまうが、定年近い人にそんな意見を
述べてもはじまらないだろう。

とりあえず『死ぬまで現役』であるような仕事を見つけて、
孤独でさいなまれないですむ老後を送る手立てが
どうしても必要である。

というのも黄昏にさいなまれないですむ老後を送る手立てが
どうしても必要である。
というのもた黄昏になってからあとの露呈がやたら
長い人生が、私たちの人生だからである。」
(『死に方・辞め方・別れ方』)

定年前後の人たち、あるいは
40歳前後の人たちにとって
何度も読み返す値打ちのある文章だと思います。

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