カテゴリ: 1150回〜

今日は慶応大学の三田祭を訪ねます。
三田校舎を訪ねるのは2回目ですが、
前に訪ねたのは人に頼まれてのことで
自分ですすんで三田校舎を訪ねるのは
今回がはじめてです。

そのため、訪問に先立ち、40年ぶりに
『福翁自伝』(慶應義塾発行版)を手に取り、
福澤諭吉の年表に目を通しました。

以下、諭吉の40歳頃までの
人生開拓の跡を追ってましょう。
年齢は数え年です。

諭吉は中津藩(大分県)の下級武士の家に生まれ
14、5歳のころから漢学を習います。
そして、21歳のとき、中津藩を出て、
長崎に向かい蘭学を学びます。

さらに23歳ののとき、、大坂に出て
緒方塾に入り、オランダ語と医学を学び、
1858年(慶應3年)、25歳のときに江戸の
築地鉄砲洲の小さな長屋の一軒で蘭学塾を始めます。
これが慶応義塾のはじまりです。

塾はその後、場所を変え、明治4年に
現在の三田に移ります。

しかし、翌年、横浜を訪れ、
オランダ語が外人との会話に役立たないことを知り、
英語に転向することを決意し、独学で英語を習得します。

そして、27歳の時に、咸臨丸に乗って浦賀を発ち、
サフランシスコに到着します。

また28歳の幕府の使節の随員として
ヨーロッパにわたり、さらに29歳のとき、
スエズ海峡を汽車で越えて地中海を渡り
マルセイユに着き、フランス、イギリス、
オランダ、プロシャ、ロシア、ポルトガルの
諸国を歴訪します。

このように、諭吉は3回にわたって
欧米各国を訪問し、これらの経験をもとに
37歳のときに『西洋事情』を書き、
西洋文明を紹介し、39歳のときから
『学問のすゝめ』、そして42歳の時に
『文明論之概略』を書き、
日本の進むべき道を、提唱しました。

この間、諭吉は明治政府に席をおかず、
一貫して、民間人として活動し続け、
「独立自尊」の重要性を説き続けました。
ちなみに、自伝『福翁自伝』は
64歳のときの作品です。

慶応と言えば、福澤諭吉です。
私の手元にはいずれ読みたいと思って
積んでいる本があり、その中に
福澤諭吉の自伝である『福翁自伝』と
『声に出して読みたい日本語』の著者、
斎藤孝さんがお書きになった
『座右の諭吉―才能より決断』があります。

『福翁自伝』は40年ほど前になりますが
大阪の堺市にある製鉄所に勤めていた頃に読みました。
学生時代はあまり本は読まなかったのですが、
社会人になってからは、よく本を読むようになり
誰かの本で「優れた人の自叙伝を読むと勉強になる」
と教えられ、試みに『福翁自伝』を読みました。

福澤諭吉は小学校6年生の国語の教科書で
咸臨丸のことを書いた文章に登場しますし、
高校時代は福澤諭吉の『学問のすすめ』の
文語調の文章を読んだことがあり、
そうしたころから福澤諭吉に親しみを持ち、
その自伝があるようだから、読んでみようと思い、
読み出したらとても面白く、一気に読み続けた
記憶があります。

その時読んだのは文庫本でしたが、
いま自分の手元にあるのは、
慶応大学に入学した人たちが大学から
手渡される富田正文という人の校注になる
ハードカバーの立派な本で、
私は古本屋で手にいれました。

もう一冊の斎藤孝さんの
『座右の諭吉―才能より決断』は
『座右のゲーテー壁に当たったとき開く本』
と並んで光文社新書の一冊として
出された本です。

私は現在、有志の方々と
『斎藤孝さんに学ぶ仕事力向上セミナー』
というセミナーを開いていて、その関係から
斎藤孝さんが世に出した本はほぼ全冊、
手元に置いています。

明日、慶応大学を訪れますので、
この機会に、斎藤孝さんの
『座右の諭吉―才能より決断』を読み、
また『福翁自伝』に記載されている諭吉の
年表(年譜)に目を通そうと考えています。

来る11月23日、慶応大学三田祭を訪れます。
三田祭は三田キャンパスで
11月21日(金)から24日(月) まで
4日間、開催されますが、
私たちはこのうち、11月23日(日)に訪れます。

この日、10時にJR田町駅の改札で集まり
そこから、慶応大学OBの友人に
案内してくただきます。。

友人が立ててくださったスケジュールによれば、
午前中は経済学部と商学部の皆さんの
ゼミナールの研究発表を見て回ります。
いまの大学のゼミナールの人たちが
どういうテーマに取り組んでいるのか
にふれてみたいと思います。

当日はたくさんの模擬店が
開かれているとおもいますが、
多くの人が押しかけるので、
昼食は、大学の近くの中華料理店で
食事するようにしています。

そして13時から14時半まで
「経済新人会講演会」という名の
講演を聞くことにしています。

三田祭のホーム・ページによれば
「経済新人会講演会」について
「世界をまたにかけて第一線で活躍されている方を
お呼びしています。きっと皆様の今後に
何らかの糧となるでしょう。ぜひ、お越しください。」
と書かれています。

具体的には、講師としてどなたかが
お話をされるのか、書かれていませんが、
友人が調べてくださったところによれば
講師は勝間和代さんのようです。

勝間和代さんは、新聞や雑誌などで
活動の一端を知るのみですが、
“経済評論家”として元気に
活躍されている方ですね。

今の日本を代表する話題の女性が
どういうメッセージを発せられるのか、
興味があります。

この講演のあと、慶応大学が誇る
“Jade Dance ”の演奏を見る予定です。
若い人たちのダンスを見て、若々しい
風を送っていただけたらうれしいですね。

このお祭りには、10名ほどの友人から
参加のご意向をいただいていますが、
ご都合のおつきになる方は、どうぞご参加ください。

私が最近、出かけた海の向こうの旅は
今年8月の台湾訪問でした。
暑い中での旅でしたが、
たった二日の旅であったにもかかわらず、
旅を終えたあと、2ヶ月ほど毎日、
そのときのことを書き続けました。

ひとつのことを長く書き伸ばした
ということではなく、2ヶ月ほどの間、
毎日書くだけのことがたくさん
あったというのが私の実感です。

この旅で訪れたレストランは
台北市にある「天厨菜館」と「青葉」と
台南市にある「阿霞飯店」でした。

いずれも邱永漢手帳に記載されている店で
これまで、これらの店のことについて
邱さんが紹介されていたことが
頭に入っていましたので
今回、夕食の場所として選びました。

これらの店を訪ねたときのことは
一連の台湾旅行体験コラムの中で
書きましたが、今回昭和59年に
刊行された『食指が動く』を再読し、
私たちが訪れた3つの店を含め、
台湾の台北市や台南市のレストランのことや
そこで出される料理のことが詳しく
書かれていることを知りました。

一度は目を通している文章ですが、
実際に訪れたあとで読むと、
また文章をより深く味わうことをができます。

最近、私の友人の一人から、
こんどまた台湾を訪ねることがあったら
誘ってほしいと言われましたが、
台湾に行く前とか、行ったあとでも
いいですが、『食指が動く』を手にして
台湾に関した文章を読めば、台湾への旅を、
2倍、3倍楽しめるということに気づきました。

5年前の平成15年、
香港でセミナーをひき、
大勢の人たちとテーブルを囲んで
香港の食事を楽しむことができ、
これに味をしめて、友人たちに
助けていただきながら、北京や上海でも
セミナーを開くようになりました。

また私の周辺で、香港の銀行や証券会社の
現地の口座をつくりたいという人たち
が増えてきましたので、そうした人たちと一緒に
香港を何度も訪れるようになりました。

おかげで、大勢の人たちとテーブルを囲んで
中華料理を楽しむ機会が増えましたが、
さいわいなことに、邱永漢さんが
昭和59年に『食指が動く』を刊行した頃から、
毎年、年末に発行される『邱永漢手帳』に
掲載される「邱永漢がすすめるうまい店」には
東京、京都、大阪、神戸など店と並び、
香港と台湾のレストランが
紹介されるようになりました。

そして平成3年に『旅が好き、食べることは
もっと好き』が刊行され、この頃から
邱さんが中国で事業を展開し、
中国の各地を旅されるようになったことを受け、
平成12年に『中国の旅、食もまた楽し』
平成16年に『口驕りて久し』が刊行され、
『邱永漢手帳』の「邱永漢がすすめるうまい店」で
上海と北京のレストランが紹介されるようになりました。

おかげで、私なども北京や上海や
香港や台湾に出かけるとき
意識してこれらの本や記事に目を通し、
その上でレストランを選ぶようになりました。

おかげで、私のセミナーや旅行は
少なくとも、食べるという点で
合格点をいただいていると思っています。

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