さて、邱永漢さんが通った『南門小学校』の
校舎のあとを見ると、夕暮れ時になりました。
もうあちこち、動き回ることはできません。
そこで、タクシーの運転手さんに「西門市場」を
車の窓から見、その上で、台南駅まで
送っていただくようお願いしました。
「西門市場」とは邱永漢さんのご両親が
働いておられたところです。
「私の父はかなり女にもてたように思う。
それに父はろくに学校も行っていなかったし、
また格式ある家の生まれでもなかったが、
自分で商売をやる才能には恵まれていて、
若い時から台南市の西門市場で商売をしていた。
当時、台南市には(台湾)歩兵第二連隊があって、
そこの兵隊が食べる野菜の類いを納入していた。
この仕事を父が自分で見つけてきたのか、
それとも母の内助の功によって手に入れたのか、
ききそびれてしまったが、とにかくこの仕事によって
私の一家は世のサラリーマンたちとは
比べ物にならないほど豊かな生活を
送らせてもらうことができた。
母は同じ西門市場にある牛肉屋の長女だった。」
《『わが青春の台湾 わが青春の香港』》
台南を訪れる前に調べたところでは
かつては賑わっていた西門市場も
いまはそうとうさびれ、再開発の対象に
なっているとのことでしたが、
実際、車の窓から覗いた限りでも
この市場は活気がありませんでした。
でも、邱さんのご両親が働いておられた場所を
見ることができ、とても満足でした。
そのあと、私たちは台南駅前で降りました。
おりよく、台湾高速(台湾の新幹線)の台南駅行きの
バスの乗り、しばらく待ったあとで、台北に
向かう電車に乗りました。