カテゴリ: 1050回〜

国立故宮博物院からバスで
MRTの「士林駅」に着きましたが、
時間は12時を過ぎており、
博物院の中を歩き回ったこと関係し、
おなかが空いていました。

そこで、バリッとしたレストランに
行く代わりに手軽に軽食をとるこおtにしました。
ちょうど、士林駅前には、手軽な
食堂がずらりと並んでいました。

ある店の店頭をのぞくと、
“お好み焼き”のようなものを
焼いているのが目に付き、
それに引かれて店の中に入りました。

店頭で焼いている“お好み焼き”風のものを注文したら、
焼いたものが紙に包まれて出てきました。
とてもシンプルで、関西のお好み焼きのように
色々具を入れるとか、醤油を塗るとかすれば
味が豊富になり、より美味しくなるのではないかと思いましたが、
友人たちはこのままがいいですよとのことでした。

そののお店で氷なども食べ
リフレッシュしたあと、MTRで士林駅から
台北駅経由で、市政府駅に向かいました。

電車のなかで、私の傍に座った
年配の男性が親しそうに私の方に
笑顔を送ってくれます。

私も笑顔で応じると、
男性は学生の頃、東京の拓殖大学に
留学したと話しかけてきました。

「遊んでばかりで勉強は全くしませんでした」
と男性は、当時のことを振り返りました。
男性は、東京から台湾に一旦もどり、
インドネシアで働き、
アメリカでも働きましたと語りました。

いまは第一線を退いている風でしたが、
私は、台湾の人たちは、政情が不安定な分だけ、
仕事を求めて、自分の判断で地球のあちこちに
出かけるみたいだという印象をもちました。

そして、国境をまたいで動き回る行動力という点で、
われわれ日本人は台湾の人たちのには
太刀打ちできないのではないかとも思いました。

電車が中山北路駅に着くと、男性は
「台湾の旅をお楽しみください」
と言って、電車を降りていきました。

私はかねてから、中国の経済は
北京オリンピックを機として
一段と発展していくと考えてきました。

そう考える、一つの大きな理由は
経済成長期の最中でオリンピックを迎えた
日本が、これを機に、経済を飛躍的に
向上させてきたという事実です。

たまたま、私は東京オリンピックの
翌年の昭和40年に社会人になりましたが
その時の初任給は2万4千円でした。
ちなみに私同じ年に日本銀行に入行した
友人の初任給は2万円でした。

あの頃の給与レベルはその程度のもので
当時、アメリカやヨーロッパの諸国は
自分たちには対等にお付き合いできない
高値の花のような存在に見えたものです。

しかし、今振り返ると、日本の会社は
オリンピックを機として、規模も質も一段と向上させ、
日増しに力をつけて、会社員の給料も
着実に上がっていきました。

そして、いま日本ではだいたい
初任給は21万円くらいになっていますね。

こうした、日本がたどってきた道を
振り返るだけでも、中国の経済はこれから、
更に飛躍していくことが予想されます。

また中国は経済発展の余地を大きく持っています。
たまたま、私は一昨年前、上海から高速道路に乗って
昆山とか蘇州の工業地帯をざっと見てきましたが
その広大さは、私が見てきた北九州工業地帯とか
京浜工業地帯など、とても比較にならないくらいの
も大きなものでした。

私は一つの先進的な地域を見たに過ぎませんが、
中国の経済はこれからだなという印象を受けました。

また中国の人たちが経済的に豊かさを
享受していくのはこれからだと思います。
よくいま中国では富裕層が増えていると言われますが
いまの中国では、自分の家や車を持つ人より
家や車を持たない人の方が圧倒的に多いのでは
ないでしょうか。

ろすれば皆が先進国のレベルに近づいてきたと
感じるにはまだかなりの時間がかかると思います。

また、公害問題一つをとっても、今の中国が
克服すべき経済問題がたくさんありますね。

ですから、中国は北京オリンピックで
一息つくというのではなく、これを機に
経済をさらに発展させる方向に向かって
走り続けると考えています。

私たち外国人にとっては、中国は
投資対象の最有力地域として
最高の価値を持ち続けるゾーンだと思います。

昨晩、夜の9時から翌朝の1時過ぎ頃まで
NHKテレビで北京オリンピックの開会式の様子を見ました。
皆さんも、多くの方は夜遅くまで、その様子を
楽しまれたことと思います。

演出が見事でしたね。
中国の歴史はよく5000年と言われますが、
その奥深さが最先端の技術も駆使し
上手く表現されていたと思います。

また参加国も多かったですね。
知っている国より、知らない国の方が多いで、
世界地図を片手に世界各国のことを
再勉強する必要を感じました。

昨晩は開会式での演出に従って
北京市内の各地で同時進行的に
花火が打ち上げられ、さぞかし
昨晩は北京の市内は賑やかであったろう
と思いました。

開会前から感じていたことですが、
私はこのオリンピック大会を機に
中国の人たちは自国に対して
自信と誇りを持つに違いないと思っていました。

そしてこれから中国の経済は
一段の飛躍を遂げるだろう
と感じていました。

というのは私たちは、
44年前の東京オリンピックで
自分たちの国もこんな立派な大会を
開催できるんだと驚き、同時に
自分の国に誇りを持ち、前に向かって
働く気持ちに火をつけたからです。

そうした私の予想は
昨日の開会式の様子を見て
確信に変わりました。
これだけ見事でスケールの大きな
大会を見て、自国の現状と将来に
誇りと希望を持たない中国人は
いなと思ったからです。

中国のこれからの一層の経済発展が
楽しみです。

私たちが故宮博物院で陳列品を見て回る間に、
あとから、続々とお客さんが入ってきまました。

お客さんの多くは外国からの観光客で
ガイドさんに導かれ、その解説に耳を傾けながら
陳列されている宝物に見入っています。

最初に私の耳に入ってきたガイドさんの言葉は、
どこかで聞いた言葉だなと思っていましたら、
ハングルでした。観光客は韓国人でした。

日本語のガイドさんに導かれた日本人観光客も
続々と入ってきました。

中国語のガイドに率いられた観光客も
いますので、台湾そして、中国大陸からの
観光客でしょう。

また頭をスカーフで覆った
アジアの人たちにも出会いましたが
マレーシアかインドネシアの人たちでしょう。

このようにアジア各国の言葉に接しましたので、
この博物館にはアジア各地の人たちが
集るんだとの
印象を持ちました。

と思ったら英語のガイドさんに率いられる
アメリカからの観光客もいました。

また服装などからアフリカからの
観光客か視察団だろうと思われる
人たちにも出会いました。

ですから、この故宮博物院には
アジアだけでなく、世界各地の人たちが
やってくるんだという見方をしなけれいけない
思いました。

そんな故宮博物館の本館の1階から3階までの
数多い陳列品を、私たちは9時から12時までの
3時間の間に
足早に見て回りました。

一体何を見たのか、すぐには思い出せませんが
帰国してから気づいたことですが、
故宮博物館のHPのオーディオには
私たちが見て回った宝物の
概要が
日本語で語られています。

この博物館を見た人には復習の参考になり、
またこれから訪れようとする人たちにとっては
予習になる教材だと思います。

バスから降りて、台湾が誇る
国立故宮博物院に向かいました。
階段を数段のぼりつめたとこに
その入り口がありました。

私たちは朝早くホテルを立ちましたので
開館の少し前に着き、来場者も
それほど多くありませんでした。

そいういう比較的静かな環境で、
中国の宋、元、明、清の四王朝の
貴重なお宝を拝見することができました。

お宝は銅器、磁器、玉細工、漆器、彫刻
など多岐の分野にわたり、また中国国内で
生まれたものとあわせ、インドのムガール王朝期の
宝物や、日本の蒔絵なども陳列されていて
中国歴代王朝が集めた宝物の広さに
私は興味を持ちました。

見学の途中で友人が説明してくれましたが、
この故宮博物館は、
パリのルーブル、レニングラードのエルミタージュ
ニューヨークメトロポリンタン博物館
と一緒に世界の4大博物館の一つに数えられている
とのことで、なるほど、世界のトップレベルの
博物館ではあるなと思いました。

それにしても、本来は
中華人民共和国の故宮博物院に
あるべき中国歴代王朝の宝物が
なぜ、台湾にあるのでしょうか。

ガイドブックなどの説明によれば
1931年満州事変の際、当時
中国を率いていた蒋介石の中国国民党の政府が
日本軍による略奪・破壊行為を恐れて上海に非匿し、
1945年に一旦北京に戻ったが、
1949年、共産党の内戦で、蒋介石が破れ、
台湾に逃れる際に一緒に移送したとあります。

こうした事情から、中国歴代王朝のお宝が
台湾の故宮博物館に陳列されているわけで、
数年前、私たちが北京の故宮を訪れた時、
うちの妻など、中国の宝物を何も見ることが
できなかったと残念がっていましたが、
今回、台北でとくと拝見することができたと
たいへん、満足気でした。

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