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前回、邱先生がアジアの今後についての
最後の文章と思われるもしQの記事を紹介しました。
5年前、2011年11月に書かれた文章です。

その文章に織り込まれていた予言を裏書するように、
中国の経済減速している、あういは今後
減速するという基調の報道が伝えられ、
実際、2014年には中国株が大暴落しました。

私は、その4、5年前から
中国の経済は成長経済から安定成長に変化していると
伝えてきましたので、予測していたことが起こったと感じました。

私が持っていた中国株もご多聞にもれず、下落したのですが、
これで「中国の時代」が終わったとは思いませんでした。

中国には、不足するものがたくさんあり、中国の経済は
今後も成長すると感じているのです。

そこで、持株を再整理し、
業績が伸びそうな業種の株に集中させてきましたが
体験を通し、そうした分野の株を増やしていきたいと
感じています。

つまり、中国の経済基調は変化したけれど、
中国株投資の楽しみをエンジョイできる余地が
依然大きいと感じているのです。
これが
私が実感です。

前回のインタビューの続きです。

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■国民党の変化で大陸の将来を確信

大陸の変貌を信じていたのは、
台湾の国民党の変化を知っていたことも関係しています。
昔はとんでもない恐怖政治。ちょっとでも疑われたら、突然、連行。
で、それっきり。そんなことをやっていた国民党が変わった。
だから、共産党も変わると思った。
何よりも、経済が発展すれば人の考え方も変わる。
政府も変わらざるをえない。

――日本人が中国人とつきあう際に、注意すべきことはありますか。

中国人と日本人の「違いがわかる男」にならなくては。
中国人に何か話す。納得しているようだ。
『理解してくれた』と単純に思ったら、大間違い。
彼らは自分の思考のモノサシにあてはめて解釈しているだけですから。

 中国は科挙の制度が確立して以来、官僚支配の国です。
官僚といっても根は商人気質。金勘定はしっかりとしている。
日本の支配層はサムライ。経済が分からない。
何万石の大名といっても、額面どおりの年貢が取れた藩なんてほとんどない。
石高は肩書きを示すもので、実質とは無関係。それでよしとしたわけです。

 

もちろん、商人が経済活動をしていましたが、
日本人の性格の根幹を形成したのは、なんといっても職人です。
『宵越しの金は持たない』というでしょう。
大工さんなんかが建物を作って、
それが飽和状態になれば困るわけだけど、
その頃になるとうまい具合に火事になって、またはじめからやりなおし。

 いい腕があれば、仕事はある。仕事がありさえすれば、お金はついてくる。
日本の工業化は、こういった職人の伝統気質がすすめてきたものです。
いまは、中国に仕事をまかせるか、自分が行ってやるかの二者択一という時代。
おそらく日本人はもの作りをやめないだろう。
したがって、必然的に条件のあうところに行く。

もちろん、それで勝てるとはかぎらない。
中国人が簡単に真似できることは、やらない方がよい。
日立建機のパワーショベルなど、
中国ではそう簡単に作れないものだったからこそ、うまく行ったのです。」

邱永漢先生亡くなり、5年の年月が経ちました。

今日は、これから先の世の中を生き抜いていくために、
邱先生がいつも、「世の中の潮流」を追っていた姿を
追いたいと思います。

いまから12年前の2004年3月、
「サーチナ」が「
要人探訪」というシリーズで
邱永漢にインタビューしました。

その時点で「サーチナ」は
「1990年代初頭の中国では天安門事件の記憶も生々しく
その後の中国の成長を予想することは難しかったが、
そんな中、邱永漢先生は中国の可能性を説き続け、
その論調は変わっていない。
邱先生は中国をどう見てきたのか、
これからの中国をどう見ているのか」という角度から
インタビューしました。以下がその内容です。

――今、何にご関心をお持ちですか。

(回答)僕のテーマは「世の中の潮流」です。
「どこに位置していれば儲かるか、その仕事をやるのは誰が適当か」と。
そして人と人を結びつける。結果的にはプランニングをやっていることになります。

今の中国を予想したのは15年前(戸田注:1989年:平成元年)です。
僕の性分として、口で言ったら、即、実行。
当時は否定的な人ばかりでしたけれどもね。
上海にビルを建てたのは、ヤオハンより半年早かった。

それから5年したら台湾の人が来はじめた。
いろんな人が、僕のところに勉強にやってきた。

工業化の前提は安い労働力と弱い通貨です。
しかし、その条件は日本から去った。ならば、どこに行くか。
すでに、台湾や韓国が台頭していました。

『次はどこだ?』ということで、中国大陸を見てまわった。
鄧小平が改革開放を言い出して12年目、
政策として打ち出す半年前のことでした。」

 

前回紹介したコラムで
株の入れ替えをするときは
「建値を忘れよ」(買った株の値段を忘れよ)
ということとになるとの指摘があります。
この指摘、とても重要です。

というのは、大抵の人が
買った株の値段が頭に刻まれていて
この値段を割ったところでは売れない、
売るのなら、買値を上回ている株だと
考えて、実際にそうしている人がが多いからです。

その結果、手元にはさえない株ばかり残り
「ボロ株の蒐集家」になっている人が多いのです。

概していうと、上がる株はどんどん上がり
他方、値下がりしている株はなかな好転しません。

その結果「ボロ株の蒐集家」になった人は
そこから抜け出ることが難しくなり、
「明日」に楽しみを見出すことができなくなるのです。

ところが、株価のその後の動きを見ていると、
上がる株ほどよく上がって、
値下がりした株は待てど暮らせどビクともしません。

だから、そっから抜け出るには
値上がりする株は手元に残して、

なかなか値上がりしない株は
損切りしたらいいのではないかというのが
邱先生のアドバイスです。



 

 

「損切り」について邱先生が書き残された言葉で
忘れることができない警句があります。

味読させていただきましょう。

「株価の下がる時は良い株も悪い株も同じように下がります。

しかし、次の時代は経済の環境が変わりますので、
前の時代の良い株がそのまま元に戻るのではありません。
良い株と悪い株の入れ替わりもありますし、
もっと悪くなる悪い株もあります。
ですから、株価の下がっている時は、
持ち株の入れ替えをするまたとないチャンスなのです。

その場合、誰でも一番気にするのは買った時の値段です。
相場が買い値より上にある場合は、
あまり儲からない場合でも
『もっと上がりそうな株に入れ替えるのだから仕方がない』
とあきらめがつきますが、
自分が買った時の値段の半分とか3分の1に値下がりしていると、
その差額分、損をするわけですから
なかなか思い切りがつきません。

それならば、元の値段まで戻るのを待つかというと、
自分も愛想をつかしたような株が元へ戻るとも思えないし、
戻るまで待っているうちに、
新しく見つけた株が
ドンドン先に値上がりしてしまうかも知れません。
実際はどちらが先になるかはわからないし、逆の場合もあり得ます。
そこは運半分、判断半分ということになりますが、
誰だって自分の判断を優先させようとします。
すると株の入れ替えをする時は、
前にも申し上げたことがありますが、
株の諺にもあるように
『建値を忘れよ』(買った時の値段は忘れてしまえ)
ということになります。

もしこれができないと、上がった株は全部売ってしまい、
下がった株が全部、手元に残ってしまいますから、
『世界中のボロ株の蒐集家』ということになってしまいます。
こんなやり方で億万長者になれるわけもありませんから、
私は上がった株の元金だけ回収して、
タダになった株を残せば、
資産の大半がタダになって
大暴落をしても涼しい顔をしておれます
とすすめているのです。
その半面、損切りをする時は買値でくよくよすることはありません。
間違えるかも知れませんが、
間違った分は間違わなかった分で取りかえせばよいのです。」
(出典 もしもしQ 「第2986回
損切りできなければ、儲けきれません」)

 

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