カテゴリ: 3400回〜

 前回の引用の続きです。
「『でもあんまり多くなると、

 どれがどうなっているか
 わからなくなってしまうでしょう。
 誰でも一人の相手と暮らしていると、
 相手の癖もよく心得るようになるし、
 今日はご機嫌がいいのか、虫の居所が悪いのか、
 今日はこんな話を持ち出してよいのかどうかも
 わかるようになるでしょう。
 それと同じように、持株に精通しようと思えば、
 銘柄をしぼって頭に入りきれる範囲に
 とどめておいたほうがいいですよ』

 『本当にそうですね。ぜひそうしましょう』

 といかにもわかりのよいような応対をしているが、
 一人になってそれを実行に移すことのできる人は
 そうたくさんはいない。
 だから持株リストを見せ付けられて、
 銘柄が3つか4つだけに限られ、
 しかも一銘柄あたりの持株数の多い人は、
 株式投資のベテランであり、
 おそらく投資の成績も
 よい人である人であると見てよいだろう。」
(「株は魔術師」)

さて、持ち株を絞るためにはどうしたらいいのか
に要領ついては、直近の8月13日のセミナーでも取り上げます。

私が友人ちと一緒に
初めて、ベトナム 、ホーチミン市を訪れた
2007年(平成19年)の時の国際空港
(タンソンニアット空港)は古色蒼然としていて、
初めて上海を訪れた1993年(平成5年)の時の
虹橋空港を思いださせたと書きました。

でも、2年後の2009年に再訪した時は
空港施設は大きく改善されていて、
経済が発展している所に通うと、
飛行場が変わると感じたものです。

でも、いま仕事で、しょっちゅう、
ホーチミンに行っているビジネス・パーソンに
そのことを話しと「あれでもリニューアルしたのですか」
と、手厳しい反応が返ってきました。

若い世代から見ると、そう見えるのかなと思いましたが
最近NNAが、「
ベトナム国会5月20日に開幕、新空港も採決へ
と題し、新しい国際空港の建設計画について、次のように伝えました。

「次回国会は5月20日に開幕し、
6月24日に閉幕する見通しとなった。
ロンタイン国際空港(南部ドンナイ省)の建設計画についても
採決が行われる。
国会事務局のグエン・ハイン・フック氏が
16日、日程について常務委員会に報告した。
これによれば、ロンタイン空港計画案は
6月4日、グエン・バン・ザウ経済委員長が
審査報告書を提出して、本会議で審議される。
最終日に国会決議として採択される可能性が高い。

空港建設計画は昨年末の国会で
巨額事業費の財源が説明できず、採決が見送られた。
2月には運輸省が計画を修正して
事業費を大幅に圧縮した案を
国会常務委員会に説明している。」

ベトナムの経済発展を象徴する話だと感じました。

記録をたどると、
私が初めて、友人たちと
ベトナムのホーチミン市を訪ねたのは、
2007年の 2月のことです。

邱先生の投資視察旅行に初めて参加したのが、
1993年(平成5年)のことで、
上海、大連、天津、北京を訪ねましたが、
そのあと、2002年以降は、
自分で視察プランを立て、友人たちを誘い、
香港、深セン、珠海、広州、北京、上海、杭州など
中国各地を回りました。

中国の発展ぶりに目を見張りましたが、
同時に、中国より、10年遅れていると言われていた
ベトナムのその後に興味を持ったわけです。


この頃は、まだ、証券も生まれておらず、
投資口座を開こうと思えば、ベトナムの証券会社まで
でかける必要があります。

またベトナムで事業を展開している日系企業や
ベトナムの上場会社を訪ねるには現地の
旅行会社にお願いしなければなりません。

そうして、初めてホーチミンを訪ねたのですが、
ホーチミンの飛行場は古色蒼然としていて、
私は邱先生の投資視察のとき、訪れた
上海の虹橋空港を思い出しました。

 

 

 

 

2005年(平成17年)に初めて深センを訪れてから、
深センには、何度か行き、そこから
珠海工業句に行ったこともあれば、
また東莞に行ったこともありました。

おかげで、中国経済発展の拠点になった
深センおよびその周辺、広く広東工業区で
進行していた経済活動にふれることができました。

そのあと、2007年(平成19年)から
私はベトナムに通うようになるのですが、
2年前の2012年(平成24年)、
ベトナムのハノイに行ったあと、
久しぶりに深センに行きました。

香港との金融自由化の先端になっている
深センの前海地区を見ることが目的で、
深セン駅から40分も乗ったのですが、
短い間に、地下鉄が敷設距離が
長くなているいることに感心しました。

と同時に、最近敷かれたばかりの地下鉄を
中国の国民が、互いに配慮しつつ
どう快適に利用するかに向け、
乗客に向け、マナー向上のための
広告を流しているのを興味深く拝見しました。

 

中国とのつきあいで、思い出される
三つ目の出来事は、初めて深センを訪れた時の喧騒です

2005年1月、今から9年前のことでした。
このとき、私は初めて香港でセミナーを開きました。

このセミナーに、深センや広州で
仕事をされている日本人の方々が
参加してくれることになりました。

このことを通して私は、深センが、
香港から日帰りで通えるところに
あることを知りました。

深センの地理的位置について不知であった私も、
深センが、中国経済発展の拠点になっていることは
よく承知していました。

私と一緒に日本から友人たちは
香港セミナーが始まる前々日に香港を訪れていました。

そこで友人たちに「明日、深センを訪ねませんか」と
言うと、誰もが、「一緒したいですね」との返事です。

そこで、深センの地図も資料も何も持たないまま、
香港から電車に乗って、深センを訪れました。

そうしたら、人、人、人。
行き交う人がいっぱいで、
その熱気といったらありません。

そして、深センの博物館を訪れるため
バス停に行くと、大規模な工事が行われている最中で、
埃っぽいこと、限りないという感じで
博物館行きのバスを探すのも一苦労でした。

この時の熱気あふれる光景は、
今も忘れることができません。

後で、知ったことですが、ここでは地下鉄工事が
行われていたのです。4年後、訪れた時には
もう地下鉄が走っていました。

 

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