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8月12日に訪れるビン・グループは

ベトナム不動産業界の最大手会社で、

この会社の本社はハノイにありますが、

ハノイでもホーチミンでも事業を展開しています。

 

そのため、これまでハノイを訪れた時だけでなく

ホーチミンに行った時も訪れ、

今回は参加者の希望もあり、

私としては6回目の訪問になります。

 

私たちが2009年、ハノイで

この会社の本社を訪れたときは

この会社名称は「ビンコム不動産」で

文字通り、不動産開発の会社でした。

 

ハノイやホーチミンの大都市の

しかも、最もロケーションの良い場所で

高級な複合商業施設(飲食・ショッピング向けの商業施設、

オフィス、マンション、スパ)を建設、運営している

会社でした。

 

その2年後の2011年末に、この会社は

ビンパール(VPL)と合併して、

ビン・グループと社名を改め、

「VINCOM」=不動産、

「VINPEARL」=ツーリズム・ホスピタリティ、

「VINCHARM」=スパ・フィットネス・美容、

「VINMEC」=医療

の4つのブランドで

各種のサービス事業を展開しています。

 

このビン・グループが

狙いにしているのが、富裕層で、

この会社の施設を見た私の友人達の多くは

新興国のベトナムでこんな贅沢な施設が

果たしてマッチするのだろうか

との疑問を持ちました。

 

こうした疑問が果たして正しいのか、

あるいは、そういう目で見る私たちの見方が

間違っているのか、ベトナム現地で

吟味したいと考えています。

私がFACE BOOKを移用するようになったのは

2年ほどのことですが、その時点で

上海で活動している友人のAさんや

北京で活動しているBさんは

FACE BOOKを利用していました。

 

しかし、別の友人である

上海在住のCさんは

中国ではFACE BOOKを利用できず、

日本に帰国した時だけ利用しているとのことで

中国ではFACE BOOKを利用は難しく、

上記のAさんやBさんは例外的な存在なのだろうと

思っていました。

 

ところが、ここ一年くらいの間に

Cさんも上海からFACE BOOKを利用されるようになり

私は中国におけるFACE BOOK利用の環境が

改善したように感じました。

 

そこで、北京在住のDさんに

FACE BOOKを通しての交流を打診すると

Dさんは中国ではFACE BOOKを利用できないと、

2年前、上海のCさんがおっしゃっていたのと

全く同じことを言われます。

 

そこで、2年前から

FACE BOOKを利用していた上海のAさんに

その“秘伝”を伝えてもらい、

北京のDさんにその“秘伝”を紹介したところ、

刺激効果があったようで、最近のこと、

DさんはFACE BOOKを利用されるようになりました。

 

上記のA(上海),B(北京),

C(上海),D(北京)の各氏は

過去に私の勉強会に参加いただいたり、

交流いただいている人たちなので、

FACE BOOK内のグループ「戸田ゼミ」に

参加いただいています。

 

おかげで、その分、

在中国の友人達との交流も

深まり、喜んでいます。

8月10日、私は5人の友人達とホーチミンに入り、

11日、ホーチミン市内の観光施設を楽しんだあと、

12日から15日までの間、

ジャパン証券様の御案内で

ホーチミンに事業拠点を置く会社を訪問します。

 

訪問する会社については

予め、参加いただく友人達に

今回訪ねたいと思う会社を挙げていただきました。

 

あわせて私の方で

ホーチミンを代表し、

IR(-Investor Relations: 投資家に対する広報)

姿勢がしっかりしている会社をピックアップしました。

 

これらの会社を併せると

10社以上になるのですが、

それら会社をジャパン証券様に伝え、

各社と交渉いただきました。

 

その結果、このほど、

ホーチミンで訪問する上場会社が決まりました。

 

12日はビングループ(VIC)(ベトナム不動産最大手)

とサイゴン運輸(TMS)(ベトナム第3位の総合物流会社)。

 

13日はサイゴン証券(SSI)(ベトナム証券最大手)と

ペトロベトナム(PVD)(石油・天然ガス掘削に伴うビジネス1位)。

 

14日はジェマデプト(GMD)

(海上・陸上・航空を複合する輸送会社)です。

 

ジャパン証券様の御案内により

私たちはこれら各社のオフィスを訪ね、

各社の幹部や広報担当スタッフから

各社の現状や今後、向かう方向を伺い、

私たちのベトナム株投資の参考にさせていただきます。

今から50年前のこと、

三石敏雄氏を邱永漢先生に紹介したのが

直木賞作家の今東光氏ですが、

古手の邱ファンでも、今さんと邱先生の交流は

知らないという人がいるので、次の邱先生の

文章を紹介します。

 

「しかし、今東光和尚には、八方破れのところがあり、

それがまた魅力になって、世間を沸かせる原動力となった。

ちょうど日米安保条約の改正をめぐって反対運動が起こり、

六月だったと思うが、

アメリカ大統領新聞係秘書ハガチーの来日を

デモ隊が羽田で包囲するという騒動が起こった。

 

その夜、偶然にも私と今さんが

富山で講演をする予定になっており、

日米関係の先行きを心配した聴衆が詰めかけて、

新しく落成したばかりの公会堂が超満員になった。

 

今さんは、何千人という聴衆を前にして

何の話をするのかと思ったら、

いきなり、『邱永漢の首には蒋介石の懸賞金がかかっている。

君たちのなかに、首に懸賞金のかかったやつが一人でもおるか』

といった話からはじめた。

 

これには出番を待っていた私の方がびっくりした。

当時『台湾は独立して別の国になった方がいい』

と主張していた私が、

国民政府からお尋ね者になっていたことは事実であるが、

今夜の安保騒動とは関係のあることではない。

しかし、今さんは私が

首を狙われるほどの愛国者であることを強調することによって、

つぎに出てくる講師の私に皆の注意を

向けさせようという意図だったような気もする。

つぎに立った私は日本の経済が高度成長に入ってきたのは

アメリカのおかげだから、自分たちの米櫃を

フットボールのように蹴って遊ぶのは

やめた方がよいという意味の話をした。

 

それから十何年たって

私が国民政府に迎えられて台湾へ帰ると、

今さんは人にことづけて台湾にいる私のところへ、

『君が台湾に行ったと知って、

首がつながっている奇蹟に驚いています。

そのうち僕も君の首の工合を見に行きたいと思っています』

とわざわざ手紙を届けてくれた。

そういう痛快さと人情のある悪僧であった。」

(『邱飯店のメニュー』)

 

 

ロスでの三石敏雄様が自分の行動について

邱永漢先生が書かれた文章がほかにもあります。

昭和58年3月から昭和59年9月まで

「スポーツ・ニッポン」紙に連載した

『人が動く 金が動く』(PHP出版。昭和59年9月刊行)

に掲載されている次の文章は

明らかにロスでの三石様の活躍ぶりを伝えるものです。

 

「私の友人で東京からロスアンゼルスに移って

日本語の新聞社をはじめた人がある。

ロスはサンパウロの次に

海外で日本人が多いところときいていたが、

日本語新聞社ではたいしたことはあるまい

と思っていた。

 

ところが、日本とアメリカの経済関係が

密接になるにつれて、日本企業が

次々とロスに進出するようになり、

その分だけ、日本の駐在員もふえてきた。

 

戦前からある新聞社は、いわゆる

邦人相手であり、邦人も一世が年をとって

二世の時代になると、日本語の新聞は

読まなくなる。

 

だから部数もふえないし、

印刷機械も活字も昔のままで

ホテルなどにおかれた地元新聞を見ると、

何となくタイムマシーンを逆さに

まわした世界にまぎれこんだような錯覚をおこす。

 

その点、私の友人のその新聞は

自分たちの進出も戦後派だが、

狙う相手も戦後派だから、次々と

進出してきた日本企業に支えられ、

いささか広告過剰の気味はあっても

ちゃんと採算に乗って

地元に根をおろすようになった。

 

その新聞社がこれから

アメリカに留学に来ようとしている

人と、これからアメリカに進出して

来ようとしている企業を対象に

『カム・ツー・アメリカ』という特集雑誌を

出版した。すると、大して宣伝もしていないのに

6千冊も売れた。」

 

「カム・ツー・アメリカ」がなぜ売れる

と題したこのコラム、28年前になりますが、

読んだことを覚えています。

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