カテゴリ: 2800回〜

この本(邱永漢著『人財論』(1992年))に刺激され、

ベトナムがWTOに加盟した2007年の2月、

私は友人達とホーチミン市を訪れました。

 

ベトナムに進出している日系企業が

ベトナムとベトナム人をどう見ているかを知りたいと思い、

最初にホーチミン市南部のタントゥアン工業団地で

操業している田中酒造(本社山形)の工場に行きました。

 

迎えてくれたのは、この工場の設立当初から

従事してきたというベトナム人女性の幹部です。

「中国の次はベトナムではないかと思って訪ねました」と挨拶すると、

自信満々で語りました。

「中国人は最初は調子いいが約束を守らないところがあります。

対して日本人は約束を守るのでベトナム人は信頼しています。

 

中国が意識しているのは米国で、

日本には重きを置いていません。

相性からから言っても、規模から言っても、

日本のベスト・パートナーはベトナムです」。

 

堂々たるスピーチに目を丸くしましたが、

工場で日本企業の製法がベトナム人の手で

着実に遂行されている様子を見て

尊いものを感じました。

 

次に訪れたのは、早い時期からベトナムに進出し、

ベトナムの輸出拡大に貢献している富士通ベトナムで、

日本人幹部が迎えてくれました。

 

その時、強調されたことは、

ベトナムは若い人が多い国ということでした。

見せていただいた日本・ベトナムの人口構成比較表によると、

日本は若い人が少なく、中高年齢層が多い。

対して、ベトナムは若年者の人口が高く、中高年層が少なく、

好対照で、日本の平均年齢が43.5歳。ベトナムは26.4歳。

 

そしてベトナム人社員が優秀で、

このことはNHK主催のロボコン大会で

ベトナムの大学がしばしば

優勝していることが示していると教えられました。

ベトナムがWTOに加盟したのは2007年ですが、

この年から2013年の今に至るまで、

私は友人達と一緒にベトナムの首都、ハノイ市と

最大の商業都市、ホーチミン市(旧サイゴン市)を7回訪れ、

ベトナムの上場会社への視察を続けています。

個人の立場から、ベトナムの経済発展の尻馬に

乗る方策を求めての探索旅行です。

 

きっかけは、作家、経済評論家、実業家

故邱永漢氏(昭和20年商業学科卒業。平成24年逝去)

の『旅が好き、食べることはもっと好き』(1991年)と

『人財論』(1992年)を読んだことです。

 

これらの書で著者は

ベトナム国民が労働資源として優れていると述べ、

特に後者の書で、ベトナムは改革・開放政策を始めた

中国の後を継ぐ可能性があるとの見解を披瀝しました。

 

「もう一つのかくれた労働資源は

ベトナムであると私は見ている。

ベトナムは戦争の傷跡もまだ残っているし、

共産主義の勝利によって外国人に対して硬く門を閉ざしてきたので、

経済の発展とはあまり縁がないと多くの人々は考えている。

 

しかし、ミャンマーが

米の生産国から輸入国に転落したのに対して、

ベトナムは長い混乱のあとで再び米の輸出国として

すぐお隣のタイと競争する立場にのしあがってきた。

 

また外国の導入に異常な熱意を示すようになり、

中国との外交関係を修復する一方で、

台湾からの投資を誘致するために

要人たちが盛んに台湾に足を運んでいる」。

 

そして、著者はベトナムを訪れたときの体験を踏まえ、

次のように書きました。

「やはりここは、中国と同じように

共産主義の似合わない国民性の国であり、

かってのフランスの植民地であったことが

共産主義の先例を受けたことよりも根強く残っていると直感した。

そういえば、行商人が出来立てのフランス・パンを

籠にのせて売っている姿はアジアの他の地域では

とてもお目にかかれない珍しい光景である」。

私の母校、東大経済学部では3か月に一冊くらいの割で

同窓会誌「経友」が発行され、卒業生のもとに送られてきます。

執筆者は卒業生で、様々なタイトルのコラムが掲載されています。


さて、3月下旬、学部の経済学部事務局から、

この「経友」向けの原稿(8枚から13枚)執筆の

依頼を受けました。


私としては2度目のことで、一度目は

14年前の1999年に依頼を受け、

「一歩踏み出せば新しい光景がひろがる」

というタイトルのコラムを書きました。

 

勤務していた新日鉄の八幡製鉄所の

遊休地の開発を担当した43歳から50歳ころの

事業開発の体験や、50歳で、会社を退職し、

研修講師になった体験をつづったのです。

 

先日、当時の私と同じ43歳になった

長男が久しぶりに帰宅し、このコラムを読み、

「なかなか面白かった」と評してくれたのですが、

会社を離れて20年たったいま何を書くか、

しばし考え、2007年から2013年の今に至るまで

続いているベトナム視察の体験を書くことにしました。

 

ふだん、毎日コラムを書いているのですが、

改まった場に書くとなると少し気が重く

なかなか筆が進まなかったのですが、

原稿締め切りの一週間前ほどの時期に

原稿を書き上げました。


タイトルは「ベトナム経済発展相乗りへの小さな試み」

です。このコラムを載せる「経友」が発行されるのは6月ですが、

先日校正も終わりましたので、明日から、

数回に分けて、拙文を掲載させていただきます。

去る5月19日、

私は友人たちと一緒に

マイクロバスに乗って

東京にある邱永漢先生ゆかりの地を

見て回りました。

 

邱先生は広い範囲にわたって

活動された方です。

 

東京駅を出発して、

学生時代学ばれた東大がある文京区、

貴人、檀一雄さんと出会った

慶応大学病院のある新宿区を通って、

皇太子ご夫妻がお住いになっている

青山御所に出て、そのあと

先生が愛された表参道通りや

東京における活動舞台とされた

渋谷に向かいました。

 

この辺を通ると

今回の見て回りに参加された方のうち

二人が、この辺に投資向きマンションを

持っておられることに気づ、

皆さんに紹介しました。

 

青山はおしゃれなゾーンですし、

表参道とか渋谷には大勢の人が集まり

日本にもこれだけ人がいるのかと

驚かされるほどの賑わいで、

以前、邱先生が

「お金が集まる所に金が集まる」

という題名の本を出されたことを思い出しました。

 

ついでにいいますと、このゾーンに

投資向けマンションを持っている

二人はフツーの勤め人で、不動産投資に関心を持ち、

勉強し、努力を続けた結果、南青山、北青山、表参道

といった女性雑誌のグラビアのバックに

選ばれる場所にあるマンション持ちになられました。

 

この方面に、関心をお持ちの方は

どうぞ、6月9日の不動産見て歩きセミナー

参加ください。

前回に続き、邱永漢先生の『商売の原則』

に書かれた文章から引用の続きです。

 

「というのは、

バブル期にはすべてのものの価格が上がり、

不動産もかなり値段が上がっていました。

不動産に詳しいある実業家などは、

『不動産の利回りは二パーセントか、

下手をすると東京・銀座あたりで土地を買って

利用しても一・何パーセントしか回りませんよ』

と言っていたくらいです。

 

つまり、銀行の利息より、

そのお金を投じて手に入れたものから

上がる利益のほうが少なくなってしまう

逆転現象が起こっていたのです。

 

私は、かねてから

『借金の利息の払えない投資はしない』

という戒めを自分に課していました。

 

ですから、こうした話にも、

『すみませんが、金利を払える自信がありませんから』

と言って、大して迷うこともなくお断りをしてきたのです。

 

この原則は、時代がどう変わろうと

通用する商売の大原則の一つだと、私は思います。

別に特別な思いつきでもなんでもありません。

 

商売のしくみとか、自然の流れを考えて、

失敗をしないようにと思えば、

当然出てくる原則だと言えます。

奢らず、謙虚になって商売を考えれば、

だれにでも思いつく原則のはずです。

 

とくに、時代の変化が激しく、

どんなに才気や商才にたけた人でも

計算が狂いそうなときこそ、

こうした万古不変の原則が威力を発揮すると思います。

 

いままで、商売の神様とか、

世界のトップビジネスマンなど言われた人たちが、

つぎつぎに大失敗をして失脚していくのを見て、

彼らが最後によりどころにした考え方のなかに、

こうした商売の原則がなかったのかと惜しまれます。」

(邱永漢著『商売の原則』平成7年)

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