邱先生がお亡くなりになる2年ほど前、
シルクロード方面に出かける考察団に参加。
その出発にあたり、邱先生は北京の三全マンションの
地下駐車場に参加者を案内し、
「北京のパン工場は最初ここで始まったのです」
と説明されました。
そこから、今の北京郊外のより広い工場に
移ったわけですが、当時のことを先生は
「もしQ」で、次のように述懐されことを
思い出しました。
「第3899回とうとうパン工場の新設に踏み切る」
シルクロード方面に出かける考察団に参加。
その出発にあたり、邱先生は北京の三全マンションの
地下駐車場に参加者を案内し、
「北京のパン工場は最初ここで始まったのです」
と説明されました。
そこから、今の北京郊外のより広い工場に
移ったわけですが、当時のことを先生は
「もしQ」で、次のように述懐されことを
思い出しました。
「さて、大型店から注文をもらい、
取引がふえたのはいいのですが、
毎日の生産がふえると、
マンションの地下にある20坪あまりの工場では
たちまち間に合わなくなります。
小さな店一軒だけだった頃は
衛生局の目にもふれなかったのですが、
小型トラックが出入りするようになると、
たちまちクレームがつきはじめます。
ちょうど仕事もあるようになったので、
新しく工場を拡げる必要を感じて、
北京飛行場に近い工業団地に新しい貸工場を見つけて
そこへ工場を移すことになりました。
千坪ほどの敷地に4棟ほどの建物のある工場ですが、
ここに衛生設備の整った工場をつくったのです。
まだロクに金も儲けていませんから、
増資にまた増資のくりかえしです。
でも原田さんも荒木君も大張り切りに張り切りです。」
「第3899回とうとうパン工場の新設に踏み切る」
2010年11月12日(金))