2016年05月

 地球の歩き方 インドのページを繰ると
バンガロール(ベンガルール)についての
数ページほどの説明があります。

バンガロールの主な見どころとして、
「ティプー・スルターン宮殿」(木造の宮殿)。
「ブル寺院」(大きな雌牛の像がある寺院)。
ヴィダーナ・サウダ(現在の政庁ビル)。
「ラール・バーグ植物園」
(「インドの庭園都市」バンガロールを代表する植物園)。
などが紹介されています。

ホテルに入っている現地旅行会社のスタッフの
方からいただいた地図でこれらの場所を
確かめ、車で案内してもらいました。

ガイドしてくれた運転手さんが
見よう見まねで覚えたという英語で
説明してくれ、私たちの質問にも
一生懸命答えながら、運転してくれました。

おかげで、これは結構楽しかったです。

またバンガロールが
IT産業都市として活動している
新興開発地にも案内してもらいました。
その場所に近づくと、
近代的な駅や、大きなビルやホテルが
林立し、「なるほど」と納得しました。

 

 

私たちがバンガロールで泊まったホテルは
ル・メリディアン・バンガロールというホテルです。
飛行場から 40分くらいのところで、
バンガロール市内にありますが、市の中心部からは
少し離れ、道を隔てて、ゴルフ場があるという位置です。

そういう環境にあるので、
朝M目をさますと、窓の外に小鳥が来て
ピーチク、パーチク、朝の挨拶をしてくれます。

こういうホテルに泊まったのは初めてです。
さて、小鳥と遊んでいるいるうちに、
ホテルとゴルフ場の間の道(バンガロール市内と
飛行場を結んでいる)がだんだん賑やかになり、
インドが発展途上の国にあることを感じさせてくれます。

こうして、インド、バンガロールの自然と経済に触れ
部屋を出て朝食をいただくと、結構美味しいです。

そして、ホテルのコンシェルジェに
市内の見どころを聞き、また見物の交通手段を聞くと、
側のコーナーのスタッフに聞いてくださいとのことです。

それに従うと、紹介されたスタッフは
現地旅行代理店の出店の方で、
見どころをより詳しく教えてくれ、
ホテルを出る用意ができたら、
タクシーで案内してくれるとのことです。

これは便利と喜び、約束した時間に出向くと
タクシーの運転手さんが迎えてくれました。
こうしてこの運転手さんのガイド(英語)で
バンガロールの見どころを見て回ることになりました。

 

香港からバンガロールに飛んだのですが、
インドに行くと周囲に伝えた時点で
帰ってきた返事は、皆から例外なく
「病気にかからないように」という
注意喚起のアドバイスが伝えられました。

もっとも強烈なのは医者をしている長男からで
彼は私の持病である喘息のことをかねがね心配しおり
また過日、ムンバイ(旧マドラス)に出張し、
当地の環境の悪さを実感してきたこともあり、
どうしてもバンガロールにに行くというなら仕方ないが、
「ホテルに入ったら、そこから出ないように」
と伝えてきました。

こうした、周囲の反応から、
インドにタッチしたことのある人たちの
インドに対する信頼感の低さを知り、
「次の成長国はインド」という声との
落差の大きさを感じました。

それでも、バンガロール訪問の意思を
通したのは、短い旅でも行きたい土地に足を運ぶと、
その土地についての理解が飛躍的に高まるのが一つ。
またお世話になっている呼吸器の医師から
反対されながらも、私の意思が変わらないことを
知っていただいた上で、呼吸が苦しくなった時に
飲むようにとクスリをいただいたから。

という状況のもとでのバンガロール訪問でした。

友人たちと一緒に
香港、広州、そして台湾に行き
邱永漢先生ゆかりの地を訪ねました。

でも、昔のことに思いを寄せつるばかりでは
先生に笑われます。
そう思い、私はそのあとは友人たちと別れて
妻と二人で、インドのバンガロールに飛びました。

インドのシリコンバレーと言われる
バンガロールってどういうところか、
一目見ておく必要があると思っていたのです。

インドには、昔、出張で南回りでイタリヤに行く道中、
首都、ニューデリーに途中下車したことがあります。
6月で、飛行機から降りたとき、熱風に吹き込まれ
息をするのが苦しくなるように感じたことがあります。

これまで、インドにタッチしたのはこれ一回ですので、
実質的には今回が初訪問ですが、今回は夜中に着き、
しかも雨のあとで、健やかでした。

旅行会社の人に迎えてもらい、ホテルまで
運んでもらいました。
道は良く舗装されていましたが、
都心部から飛行場までは電車は
まだ敷設されていないとのことでした。

邱先生ゆかりの地めぐりではどこで
食事をするかも重要な課題です。

昨年、台南に行ったときは昼は「阿霞飯店」に行きましたが、
昔の邱永漢手帳には台南で勧めるもう一つの料理店として
「度小月」があがっていました。

そこで、今回は迷わず、この「度小月」を訪ねました。
美味でした。


「度小月」の意味ですが
台北の旅行代理店、旅旅台北のサイトで
次のような説明がありますので、引用させていただきます。

「台南名物と言えば誰もがすぐに思いつく度小月の担仔麺。
台南の代名詞と言っても過言ではありません。
度小月担仔麺には100年以上の歴史があるんです。

創業者の洪芋頭氏は、もともと漁師として生計を立てていましたが、
毎年4月~5月と9月は、台南から安平一帯に嵐が吹き荒れるため、
漁は閑散期になります。この時期は俗に「小月」と呼ばれています。
台風で漁に出られなかった洪氏は、
麺売りをしていた老人に手ほどきを受けて、
その時期を過ごしました。ここから、
小月を過ごすという意味の度小月という名前がつき、
天秤棒を担いで水仙宮まで売りに行ったため、
担仔麺と呼ばれるようになりました。
(取材:陳先生)」

昼にこの度小月で食事した日は
夕方、台北に戻りました。
台北では、もう邱手帳に紹介されていた店は
すべて訪問済みでどこにするかが問題でしたが、
この日、私たちを案内してくださった方が
昔、邱先生とよく行った店として
「栄栄園」という店を紹介してくれましたので、
一目散でこの店を訪ねました。

「浙寧料理」の店でしたが、邱先生の関係で
訪ねたというと喜んで迎えてくれました。
この店の料理も美味しかったです。

 

 

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