2016年05月

スリランカといえば紅茶です。
私たちが学校の地理で勉強した頃は
セイロンで、セイロンといえば紅茶でした。

時が経ち、セイロンはスリランカに変わりましたが
紅茶がこの国の特産品であることには変わりがありません。

紅茶はお土産に適した商品です。
私たちはホテルのスタッフに
スリランカの紅茶を買うには
どこに行くといいですかかと聞きました。

スタッフが言うには、
このホテルに紅茶の専門店が入っていて、
よい品質の紅茶を扱っているので、こちらで
お買い求めくださいと言われました。

言われるままにその店で
交渉の末、紅茶を買いました。

部屋に帰って、明細を見ると、
払ったお金はわずかで、これならもっと買おうと
また、その店に通いました。

そして、また部屋に戻って
明細を見ると、払ったお金はわずか。

で、またその店に行って、
紅茶を買いました。

 

私に、スリランカはインド大陸に投資するに際しての
中継基地の役割を持っている国だと説明してくれた友人は
スリランカは、戦後連合国に4分割されそうになったとき、
日本を擁護し、分割の危機から救ってくれた国であるとも
おっしゃいました。

このことを伝える文章をネットで見つけましたので、
いかに引用させていただきます。


【半世紀前日本を救った国スリランカ】

Junius Richard Jayewardene

「憎しみに報いるに憎しみを捨ててこそ息(や)む。」
そう語ったことにより、今の日本がある。
それは、一人のスリランカ人のおかげだった。

日本とスリランカの歴史は古い。紀元前150年から200年にまで遡る。
仏教が伝わったのもスリランカからである。公に外交関係を結んだのは、
1952年第二次世界戦後であった。
1951年のサンフランシスコ講和条約締結後、
世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカであった。

当時の大蔵大臣で、後に、初代スリランカ大統領になる
ジャヤワルダナ氏が尽力したのだった。
スリランカが、「英連邦内自治領セイロン」であった当時、
随一の実力者だった彼は、
サンフランシスコ講和会議に出席する。

席上、諸外国からは、
「日本に今、この段階で平和を与えるのは、もってのほか。」
「日本は南北に分割して統治すべき」
「日本を独立させるのは時期尚早」などなど、
さまざまな議論・意見が出る中、ブッダの言葉を引用し、こう語った。

「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。
我々は仏教徒である。
やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、
いつまでたっても戦争は終わらない。

憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、
新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる。
戦争は憎しみとして返すのではなく、
優しさ、慈愛で返せば平和になり、
戦争が止んで、元の平和になる。
戦争は過去の歴史である。

もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。」と。
対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、
わが国を国際社会の一員として受け入れるよう
訴える演説を行った。

この演説が、当時わが国に厳しい制裁措置を求めていた一部の
戦勝国をも動かしたといわれ、
その後のわが国の国際復帰への道につながる
象徴的出来事として記憶されている。

彼の足跡は、今も日本国内に残っている。
八王子の雲龍寺、鎌倉の大仏、長野の善光寺の3ヶ所には、
彼の善行に感謝し、記念のための、顕彰碑や、銅像が建立されている。

スリランカ国民からも多大な支持を得ていた、後のジャヤワルダナ
大統領は、数々の功績を残し、1996年他界。
国葬には、福田康夫元総理大臣(当時総理特使)が参列した。
彼の遺志に基づき、角膜が提供される。
片眼はスリランカ人に、もう片眼は、日本人に。

スリランカの献眼協会は、スリランカ人から提供された角膜を
国内外へ無償で贈る運動を行っており、
わが国にもこれまで約2800の角膜が送られている。

スリランカ人は、親日家が多い。
決して、日本が先進国だからだけではない。
日本の悲惨な時代も、親日家だったのである。

インドのバンガロールから
スリランカのコロンボに飛びました。

バンガロールは
インドのシリコンバレーと呼ばれている
IT都市で、一目見ておかなくては訪ねましたが、
どうして、スリランカに飛んだのでしょうか。

かつて海外から中国大陸に投資する場合、
香港が中継基地の役割を果たしました。

そして、いま、海外からインドに投資する場合、
その基地の役割をになっているのが
スリランカだとある方から伺いました。

つまり、スリランカは香港だとのことです。
そこで、これまた、スリランカはどんなところか、
一目見ておくために訪ねたのです。

泊まったホテルは
ヒルトン・コロンボ、たいそう覚えやすい名前のホテルです。

バンガロールでは二日間、
現地旅行会社のハイヤーを使って
市内を見学しました。

旅行会社の車ですから、
適当な時間に、お客である私たちを
土産物を買うための店に案内します。

土産物を買うつもりはなかったのですが、
宝石、絨毯など高価な商品を売っている
店に二回入りました。


どこでも商人は自分の商売に熱心なものですが、
私たちを迎え入れたインドの商人は
あれがダメなら、これ。
これがダメならまた別の商品と
どうしても買わせようとします。

その熱意というか、執拗さは
他に類例を見ないもので、思わず
「炎熱商人」という言葉が頭に浮かびました。

店の商品を買わないで外に出るのは大変でした。

 

 

バンガロールでは人と会う約束もなく
リラックスムードでした。
さて、明日はどうするかな思っていたら
東京にいる娘から、メールがきた。

自分がバンガロールを訪ねている気分になったようで、
バンガロールの見どころは、コレコレ。
また⚪︎⚪︎という石鹸が✖️✖️という店で売られている。
東京で買うと4倍もするので、ぜひ買っておいてほしい、
などと、気楽な注文です。

ただ、これはこれでバンガロールに
ふれる接点になるので、私たちは娘の注文に
応じることにし、昨日利用したタクシーで
街に出ました。

首尾よく、娘の言ってきた石鹸を手に入れたあと、
私たちは石鹸を買ったモールの中にある
飲茶を食べましたが、妻曰く、「ここの飲茶は
香港や広州で食べたのより美味しい」。

おかげで旅の疲れも癒され、
ドライバーにお願いして、
昨日、訪れた新興地域を再訪しました。

おかげで、バンガロールの中心部にふれ、
短い旅でしたが、古いバンガロールと
新しいバンガロールにタッチすることができました。

古いバンガローには、道路の上に
牛が寝そべています。

しかし、新しいバンガロールでは
道も建物も近代的で、ビルに入るには
ガードマンの検査が必要で、
昔からのバンガロールに
見るような光景は全くありません。

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