2015年12月

賴永祥先生が送ってくださった台北高校
文科甲類の台湾籍の学生たちの写真は
私のように
邱永漢の人生を研究対象にしている者には
大変貴重です。

前列左端の氏は、
邱の同級生で、邱が日本で
発表した最初の小説
『密入国者の手記』のモデルです。

邱の自伝にも登場しています。

また前列左から二人目の郭德焜(カクトクコン)氏は
邱の先輩で、のちに、東大経済学部で
檀一雄と交流を持ちました。

その縁で、邱は日本で小説家として
世に出ることを目指したとき、
小説『濁水渓』を檀一雄に送り、
「郭德焜君や自分たちが、台湾に帰った後に
体験したことを書きました。ご一読お願いします」
と懇願の手紙を書きました。

邱がこうしたことを書いたので、私たちも
これら台湾学徒のその後を知ることができるのですが、
言葉にならないくらいの過酷な人生と戦ったのです。







昨日、邱先生の高校、大学を通して一年先輩で
現在、アメリカにお住まいの頼永祥先生が
ご自身のFACE BOOKで台北高校時代の同窓生の写真を
開陳されれました。

この写真は、頼先生の自伝「坐擁書城」に
記載され、私は今年、初めて知り、驚きました。
台北高校文科甲類(英語専攻組)の台湾人学生で、
この写真には、頼先生(後列の左から二人目)のほか、
邱先生の著作に紹介されている
郭德焜(カクトクコン)様や
王育徳(オウイクトク)様らの写真が
掲載されているのです。

日本では、邱先生関連の著作でも
発表さていないたいへん貴重な写真です
(頼先生のお許しをいただいて掲載しています)。

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台北高等學校高等科文科甲組 台灣籍 學生合照 1941年3月 (第14屆生 畢業業前) 撮。
前排中央的3人(左起郭德焜、葉雲峰、林海達)是第 14屆生 、
最左和最右2人(王育德、邱炳南) 是第16屆生。
後排5人(左起吳新英、賴永祥、黃永安、林玉波、王炳南)是第15屆生,
最右蘇瑞麟是第13屆生〔台北帝大學生〕。

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邱先生が亡くなられて
今年で4年になりました。

その先生の人生を見て、
私が最も感心するのは
先生が、死ぬまで新しい仕事を
創り続ける努力を続けたことでした。

新しい仕事を作り出すことは難しく、
先生も「失敗」を続けています。

ですが、先生は、新しい事業を
創り出すことに喜びを感じ
それへの努力を絶やしませんでした。

こうした生き方を実践されたことは
これから世の中を開拓してく
後輩の人たちに永遠の見本を
提供してくれたと思っています。


 

 

NHKが編集した「あの人に会いたい(邱永漢)」には
邱の「生きざま」が凝集されていると書きました。

そう書いて、以前、
邱先生の「生き方」についての作品集の
編集解説を担当させていただいた書として
邱永康「生きざまの探求」があり、
その作業について、邱先生から
お褒めいただいたと、出版社経由で
聞いたことを思い出しました。

その前に担当させていた
「原則がわかれば生き残れる」
「アジアの曙」に継ぐもので、
エッセンス本の編集、解説作業の
要領に多少慣れてきたということがあるかもしれない。

が、ご本人がそうおっしゃっているのだから
生き方に迷いや不安を感じている方には
多少、役立つところがあるかもしれません。

 邱永漢とはどういう経歴を経てきた人でしょうか。
文藝春秋があるとき、
「金儲けの神様」邱永漢は外国人として初の直木賞受賞作家
と題して、邱の人生をを次のように要約しました。(写真は省略)

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 大正十三年(一九二四年)、日本統治下の台湾・台南市で、
台湾人実業家の父と日本人の母とのあいだに生まれる。
台北高校では李登輝と同窓。昭和十七年(一九四二年)から内地に。
根っからの文学青年だったが、翌年、東京大学の経済学部に進む。
植民地生まれの自分が文学で生計を立てる自信がなかったから、と語っている。

 しかし、定期試験で満州国の政策を
経済学的に批判して不穏分子と睨まれたり、

憲兵隊にスパイ容疑で拘留されたことも。
終戦により台湾に帰り、さまざまな事業を手掛けるも、
こんどは台湾独立運動に関ったとして国民党政府に追われ、
香港に亡命。
物資欠乏の日本に香港から郵便小包で物資を送る事業で成功を収めた。

 この頃から、
同じ亡命者、密入国者たちの苦闘を描いた小説が評価されるようになり、
昭和三十年に「香港」で第三十四回直木賞を受賞する。

 かつての文学青年の夢が叶ったわけだが、以後、実業家を続けながら、
自らの経験を踏まえた実用ビジネス書や株投資の指南書を数多く出版し、人気を得る。
文学界からは白眼視されたが、国と国を転々とし波乱万丈の人生で、
お金の大切さを痛感していた邱永漢ならではの選択である。

 写真は昭和三十四年の「別册文藝春秋」、
「絵をかく作家たち」での一枚。なかなかの作品も一緒に掲載されている。

 芸術家の心を終生持ち続けた「外国人初の直木賞作家」は、
昭和五十五年に日本国籍を取得、再び日本人となった。

 台湾、香港、中国とさまざまに移り住んだ人生は、
平成二十四年(二〇一二)年五月十六日、八十八歳、東京で幕を閉じた。

(出典:文・写真:「文藝春秋」写真資料部)

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