2015年03月

カンボジアに行ったのは2012年(平成24年)で、
ハノイの上場会社を訪問したあとのことで、
私はラオスの首都、ビエンチャンの空港に
トランジットで寄ったカンボジアの首都、
プノンペンに向かった。

帰りはその逆で、プノンペンから
ビエンチャンに向かい、
ビエンチャンの空港で待った後、ハノイに向かい、
ハノイの空港で、時間待ちして成田に向かいました。

たしか、ハノイ空港での待ち時間が
3時間ほどありましたが、ハノイの空港で、
ビエンチャンの空港から、ハノイ、そして
成田に行く8人の成人グループと一緒になりました。

聞けば、8人は全員、農夫で、これから
日本の滑川市に(富山県)に3年の期限で、
研修生として、向かうとのことで、
事前に日本語は少し、勉強したものの、
身についておらず、不安げな表情でした。

私は、この待ち時間の3時間の間に、
日本語のレクチャーをした方が彼らにとって
有益ではないかと思い、了解を得て、
彼らに日本語を教えました。

即成日本語教室を開いたわけですが、
おかげで、ラオスの人たちが身につけている
か知識や意識のレベルがわかり、
ラオスに立ち寄ったも同然の体験をしました。

帰国して、ラオスのことを調べ直すと、
中心の産業は農業で、さもありなんと思いました。

さて、このラオスでも経済開発に向けた
活動の一環として2011年1月に証券取引所が開設され、
ラオス電力公社(EDLG)とラオス外商銀行(BCEL)が
上場されました。

さて、それから3年たっていますが、
いまも証券市場で取引されているのは
この2銘柄だけです。

カンボジア同様、このラオスも
私たち外国人がそれぞれの国の
上場会社の株取引を楽しむには
時間がかかると感じています。

私がカンボジアを訪ねたのは、
3年前の2012年5月のことでした。

その頃、カンボジアにおける
証券市場の整備事情はどうなっているのかというと、
カンボジアでは、前年の2011年7月に
証券取引所が開設され、私たちが訪れた
2012年の4月にプノンペン上水道公社が
設立されました。

上場会社は一社のみで、外国人が
投資を楽しむ環境にはなかったのですが、
それから、3年たったいま、
上場会社は増えているのでしょうか。

昨年2014年6月に2社目となる紡績会社
(Grand Twins International (Cambodia) Plc)が
上場を果たしした。

そして、3社目の上場会社として
TY Fashion社という会社の名前が挙がっていますが、
カンボジア証券取引所が活性化するまでには
かなりの時間がかかかると見ています。

ベトナム通いが続き、
ハノイやホーチミンの名所を都度、何度も訪れ
また上場会社の会社の話を聞くにつけ、
私は、ベトナムに通うだけでなく、
隣国のカンボジアを訪ねるのも良いのでは
考えるようなりました。

ジャパン証券(ハノイ)から、
カンボジアで銀行の設立の実務に
携ったことがある日本人を紹介いただき、
首都のプノンペンを訪れました。

その日本人に会って、話を聞くと、
カンボジアは経済の開発が遅れていて
万事、これからとの印象を受けました。

ベトナムの上場会社を訪れ
多くの会社で、隣国のカンボジアでも
事業を行っているという話を聞きました。

実際、首都、プノンペンの博物館に行くと、
庭に置かれたベンチに、ベトナムのある銀行の
広告が出ていました。

この一事で、私は
ベトナムは、アジアの新興国であるが、
隣国のカンボアジアやラオスから見たら
ベトナムは経済が先に進んでいる豊かな
”経済大国”に映っているのではないかと
想像しました。

ベトナム一国を見るだけなく、
アジアの他の国々と比較しながら
見ると面白いも感じたことでした。

 

おかげを持ちまして
これまで、数多くのベトナム上場会社を
訪問してきました。

会社訪問は、毎回、緊張するものですが、
どの会社を訪ねても、驚くことは
トップもスタッフもみな若いことです。

来るところを間違えたのではないかと
思うくらい、対応してくださる方が若いのです。
平均年齢が若いことは知識として、
知ってはいますが、会社訪問をすると、
このことを如実に知らされます。

それと、訪問するたびに感じることは
ベトナムの会社と、日本の会社のつながりが
年々、深まっていることです。

「いま、当社では戦略的パートナーを探しています」
という説明を受け、帰国したあと、戦略的パートナー
として、日本の会社が決まったことを新聞で知ることが
再三ありました。

また、ベトナムの会社側の幹部として、
日本企業から派遣されている幹部が
出席されることも増えてきました。

当然、日本の会社自体が、
ベトナムの会社の成長に
熱い視線を送っているのです。

 

私や友人たちが、短い間に、10回も
ベトナムのハノイ・ホーチミンを訪れ
毎回、4、5社程度、訪問できたのは、
参加してくださった方々の熱意に
支えられてのことですが、大前提があります。

邱永漢先生が、外国人である私たち日本人が
安心して
ベトナム株が買えるよう、
旗を振って、日本の証券会社に働きかけ、
ベトナムに日系の証券会社、
ジャパン証券(もと、さくら証券)を
つくってくれたことです。

先生はこの証券会社の設立に情熱を燃やされたのは
2007年のことで、当時のハイハイQさんでのコラムが
それを物語っています。

5月25日 第2632回 中国の次はベトナムと感じています
5月26日 第2633回 工業化に向いた国民性が要求されます
5月27日 第2634回 急速に日本に近づいたベトナムの経済環境
5月28日 第2635回 ベトナムは地形的に鎖国のできない国です
5月29日 第2636回 ベトナム株を勉強するためにホーチミンへ
5月30日 第2637回 ベトナム人には融通性があります
5月31日 第2638回 未熟な証券会社の経営態度

 6月02日 第2640回 外人向けのベトナム証券会社が必要ですね

(邱著「中国株はジェットコースターに乗って」に収録

この証券会社の設立が許可され、
動き出したのが2009年のことで、
その経営、運営に当たられた方々が、
最高のサービスを提供してくださいました。

そのおかげで、私や友人たちは思い存分、
ベトナムの上場会社への訪問を
繰り返すことができるようになりました。

 

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