2014年05月

平成11年、遅まきながら、
私は香港上海銀行(HSBC香港)で
H株の投資もできることを知りました。

そして、この銀行の口座に興味を覚えた頃、
邱永漢先生が、投資考察団に集まった人たちを
香港上海銀行(HSBC香港)に案内し、
同行の口座開設の機会を提供されたことを
知りました。

このことを知った私は平成12年であったと思いますが、
香港のお隣の深セン訪問と兼ね、
香港のセントラルにある香港上海銀行(HSBC香港)の
香港本部で、同行の口座を開設するセミナーを開きました。

また、すでに香港上海銀行(HSBC香港)の
口座を開設している友人から、香港上海銀行の
口座を開設すると同時に、日本人スタッフがいる
香港の証券会社の口座も開設するという良いと言われ
その会社でも投資口座をつくりました。

この作業を通して、私に関する限り、
香港上海銀行(HSBC香港)の投資口座を通して
香港株投資を楽しむことになり、
この時一緒に作った香港の証券会社の口座は
一度も使っていません。

平成8年から私は中国株(上海B株)を
買うようになりました。
東洋証券に投資口座を設け、そこを通して
株の購入を始めました。

その年のこと、私は自分のセミナーに
参加いただいた友人たちの要望を受け、
香港セミナーを開きました。

その香港セミナーに参加いただいた
方々が、みな、香港に拠点を置く
香港上海銀行(HSBC香港)に強い
関心を持っていることに気づきました。

「香港の銀行に口座を設けたからといって
それだけでは利殖に繋がらないだろうに」
と私は思いました。

そう思ったまま、3年の年月が経ちましたが、
友人たちが興味を持っている香港上海銀行(HSBC香港)
について、自分が何も知らないのは問題ではないか、
香港の銀行は日本の銀行とどこと違うのか
調べてみたいという好奇心が働くようになりました。

そこで、平成11年のある日、私は
香港上海銀行(HSBC香港)のホームページを開き
英文の記事の翻訳を試みました。

この作業を通して、香港上海銀行(HSBC香港)には
預金口座のほか、投資口座があり、後者の口座を通して
香港株(H株)などの投資ができることを知りました。

日本では証券の仲介は証券会社の領域だけど
香港上海銀行(HSBC香港)は株の仲介もするんだ、
ということに気づきました。

北京にできる外国人居住者のための
マンションの一室を手にれることで、
私は中国の
発展と関わりを持つ形をとりましたが、
中国と関わるもっとシンプルな投資は
中国の上場会社が発行している株を買うことです。

私がそういう方法があることに気づき、
実際に中国の上場会社が発行する株を
買うようになったのは平成8年のことです。

当時は「上海B株」「深圳B株」といって
中華人民共和国(中国)の上海・深圳の株式市場に
上場している企業を対象とした市場です。

この両市場に上場されている中国企業の株式は
当初は外国人は投資できなかったのですが、
外国人の投資を対中国株へ開放するため
「B株」市場がつくられたのです。

私がはじめて中国を訪れた平成5年の頃は
上海B株は4,5銘柄程度でしたが、
平成8年頃は「B株」銘柄もかなり増えていました。

その数年後に、香港証券取引所に
「香港株(H株)」
が誕生しました。

「香港株(H株)」とは
香港証券取引所に上場している中国企業のうち、
中国本土で登記している企業の株式のことで
香港(HONGKONG)の頭文字のHをとって
H株と呼ばれました。


これらB株やA株については
中国株投資仲介に乗り出した
東洋証券から買ったのですが、
のちに友人たちから
香港の銀行や証券会社から
買う道があることを教えれました。

 

北京で、当地に赴任する外国人のための
高層マンションをつくるという構想が
邱永漢先生から伝えられたのは
平成3年頃のことだった思います。

翌平成4年、北京を訪れ、邱先生から
このあたりにマンションをつくるという
説明を受けました。
私はその前から、ここにできるマンションの
一室を買うことを決めていて、念のため
現地を見ておきたいというののが
北京訪問の目的でした。

それから、工事に4,5年の時間がかかり、
三全公寓という名前の高層マンションが
営業体制に入ったのは平成9年のことだったと
思います。

最初の頃は、当然知名度も低く、
テナント確保が容易でなく、またテナントが
入っても、諸経費が予想以上にかかり、
オーナーとして見ると、とても
楽観できるような状態ではありませんでした。

しかし、時間が経つうちに、知名度や評判が
上がったのでしょう、空きがでても、
次のテナントが比較的スムーズ
に確保されるようになりました。

また、近くに地下鉄の駅ができ、
さらにアメリカ大使館が近くに移ってきました。

北京における「不足」を埋めるという当初の
目的は達成され、いまや日本から北京に
駐在するようになった高級マネージャーたちにって
欠かせぬ存在になったようになたと感じています。

前回、書いたように私は
香港がイギリスから中国に返還される直前の
1997年(平成9年)に、香港、九龍地区の
一坪ショップの利用権を売却しました。

縁もゆかりもない香港で
一坪ショップの利用権を買ったりしたのは
邱先生が、香港返還に向かって、
香港がゴーストタウン化するのではない、
逆にどんどん繁栄するのだというい仮説が
当たるのかどうかを、自分なりに確かめるためでした。

結果として、邱仮説は
ものの見事に的中したわけですが,
そのことが判明する6年ほど前の平成3年頃から、
邱先生は今後の投資の本命は
「香港の背後にある中国である」との
見通しを述べられるようになりました。

先生はこの平成3年から北京、上海、天津の
各地で新規事業をの展開に着手されました。
どの事業も、私たち外野席にいる者の気持ちを
ワクワクさせるような魅力に富むものでした。

先生は興味と関心をもつ人たちに
各地での事業に一枚乘ることを勧められましたが、
私は、北京で展開されるという外国人居住用の
高層マンションの一室を買うことにしました。

当時、北京には北京で勤務する
外国人居住用のマンションが不足していました。
この不足を埋めるために、邱先生はこの事業を
着想され、私などこの事業の将来性に賭けるものが
一枚のったわけです。

香港で手に入れたのはわずか一坪のスペースでしたが、
北京では100㎡、33坪の生活空間になりました。

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