2013年10月

ジャパン証券様のご案内で

私と友人達は今年の夏も、ベトナム(ホーチミン市)

を訪ねました。

その時の様子は前に書きましたので、

ここでは繰り返しませんが、

ベトナム経済の進展や日本企業の進出ぶりをいて

2012年、邱永漢先生が「中国の次はベトナムか」

と題するコラムを書かれたことを思い出しました。

 

「しばらくぶりにベトナムに行って見て、

自動車のふえたのにびっくりしました。

ベトナムと言えば、ホーチミン市に行っても、

ハノイ市に行っても、オートバイだらけで、

それも川の流れのように整然と動いていて、

はじめて見た人に感動をあたえる素晴らしい光景でした。

 

その頃も交通事故を見た記憶はありませんが、

今度そこへ大へんな量の四輪が入れこんで

巨大な障害物が割り込んだ感じでしたが、

にも拘わらず滞在中只の一回も交通事故に出会いませんでした。

ハノイやホーチミンには交通信号のない交差点も

結構たくさんあります。

そんな交差点でも、自動車とオートバイが巧みに譲り合って

割り込みで喧嘩をしている人もいなかったし、

ホーンを鳴らす人も見られませんでした。

 

私の受けた印象はベトナム人は自分を守ることにたけた

世界でも稀に見る国民性を備えた人々だということです。

かつて中国やフランスや

最終的にはアメリカの統治下におかれましたが、

中国と戦争しても負けなかったし、

アメリカ軍を追っ払ったくらいですから、

世界稀に見る自己防衛力を持った国民だという印象を

改めて受けました。

 

いまそこへ日本の企業が大へんな勢いで移動しています。

どうしてかというと日本人と妙に馬が合うのです。

顔形も似ているし、気性も合います。

考えて見ると昔々から黒潮と親潮がベトナム沖から広東省、

福建省、台湾、沖縄、九州と往来していて、

シルク・ロードとは別の「海のシルク・ロード」に

筏を乗せて行ったり来たりしていた歴史があるのです。

ですからもともと祖先は一緒だったのではないかと私は見ています。

 

8500万人も人口があって、

一昔前の日本と同じ低賃金でよく働く人たちですから、

もしかしたら日本企業の大異動をする先に

なるのではないかという予感を持っています。

中国はもう人手不足で賃金もあがりはじめていますから、

次はベトナムではないでしょうか。」

(出典「もしもしQさん・『中国の次はベトナムか』)

 

私の見るところ、「中国の次はベトナム」です。

この頃、新聞やテレビで

ベトナムについての報道を伝える

記事やテレビ番組が多くなりましたが、

邱永漢先生が日本人が

安心してベトナム株を買えるようにとの思いから

ベトナムに証券会社を設立したいという

構想を発表したのは2007年のことです。

ベトナムがWTOに加盟した年のことです。

 

そして、邱先生は日本の証券会社に働きかけ、

藍沢証券と日本アジア証券が賛同し、

ベトナム資本、51%、

日本企業の資本が49%で

先生の思いが実現しました。

 

2008年、先生は読者からの質問に対し、

次のように答えられています。

 

「私がベトナムの証券会社に色気を出したのは、

中国の次はベトナムの経済成長が始まると考えたからです。

 

ところがベトナムの証券会社では

日本人は一ぺん買ったらなかなか売らないから

なかなか手数料が取れない、

いっそ管理費を取ってやれということで、

それなら皆が安心して取引の出来る

証券会社を作ろうじゃないかと言うことで計画したのです。

最近になってようやく正式に許可がおりました。」

 

そして2009年になってから

この証券会社、つまり今のジャパン証券に

営業の許可がおり活動が始まりました。

 

それから数えて今は4年目。

この会社の運営にかかわられる方々と

親しく交流させていただいたおかげで、

私はこれまで都合6回、友人達と

ハノイ、ホーチミンを訪ね、

ベトナムの上場会社の方々から、

直に各社の経営状況や今後の経営計画について

うかがえるようになっています。

まことにありがたいことです。

日本アジア証券香港社の三牧社長は

「香港に居るとアジアの動きが見えるんです」

とおっしゃったのですが、

お話は中国、香港市場の動きから

マレーシア、フィリピン、インドネシアと

アセアン主要国の政治、経済、

代表的企業へとよどみなく続きました。

 

中国、香港市場の動きについては

私がかねがね感じていたものと同じで、

共感を覚えました。

一方、マレーシア、フィリピン、インドネシア

となると、私には空白になっていた地域で

伺う話、すべて新鮮で、かつ面白いものでした。

 

伺っているいる間、

「こんなに楽しい話、

自分達だけが聴くだけではもったいない。

友人達と一緒に共有できると

喜ばれるだろうな」

と感じました。

 

感じたことはすぐ動けですね。

帰国するとすぐ、この機会を与えて下さった

横山様にお礼かたがた、報告し、

私の思いを伝えさせていただきました。

 

そして3か月後の11月17日、

新橋駅から5分の航空会館で

ジャパン証券現社長の平本社長と一緒に

ご講演いただく運びになりました。

 

つい先日、三牧社長から次のメッセージをいただきました。

 「セミナーにご出席される方々は、

中国株からスタートされた方が多いかと思いますが

最近の中国に対し、迷いを持っていらっしゃる方が

多いのではと推察いたします。

セミナーでは中国、香港株(特に華南地区の企業)の

の元気が出る話のほか、

マレーシア、タイ、フィリピン、台湾と

広く浅く話させていただきます」。

私が日本アジア証券香港社の三牧社長を

訪ねたのは、その前任者が

ベトナム唯一の日系証券会社、

ジャパン証券社長を務められた

横山典生様だったからです。

 

横山典生様と言えば、

同社が設立当初、

「さくら証券」と呼称されていた頃

「ハイハイQさんQさん」で

「新米のベトナムビジネス物語

―魅力のベトナムにご注目下さい」を

連載された方です。

 

横山様はジャパン証券社長を務めた後、

日本アジア証券香港社の社長に就任して、

香港に駐在し、その後、親元である

日本アジア証券本社の専務、国際営業本部長に栄転。

その後任に、東洋証券香港の社長として

香港で5年間、勤務された三牧様が

就任されたという縁です。

 

その三牧様が、東洋証券香港社長時代、

邱永漢先生に香港で会い、先生の話を

聞く機会があったと知って、驚いたのですが、

この一事で、面白いことに

“初対面の遠慮”が吹き飛び、

旧知の間柄のような感じになりました。

 

伺えば、三牧様は東洋証券香港社長から

日本アジア証券社長に変わられて1か月目のこと。

 

そしておっしゃったのが、

「香港はものすごく家賃の高いところです。

でも、香港に居ることで、アジア一円の動きが

キャッチできるのです」

ということ。

 

同じ趣旨のことを、平成4年でしたか、

邱先生が本拠を東京から香港に移した頃、

おっしゃっていたのを思い出しましたが、

三牧様は「香港から見えるアジア諸国の動き」を

次から次に話してくれました。

11月17日のアジア株セミナーでお話いただく
日本アジア証券香港社長の三牧様が

東洋証券香港社長時代、邱永漢先生から聞かれた
共産中国発展予見の話、その後予見通りの
動きになったことを、2007年(平成19年) 10月25日の
もしQ「第2785回・私はQ銘柄の先生だけではありません」で
次のように述べておられます。 

「中国経済は今や
アメリカに追いつかんばかりのところまで来てしまいました。
20年前には想像もできないことです。
私自身は先を見ることに興味があり、
鄧小平が分配にばかり重点をおく共産主義に疑問を抱き、
政策の転換に動きはじめた時、
これで中国は大きく変わるのではないかと察知しました。
特に鄧小平が
『1年に3万人の留学生を先進国に送り出す』
と公言した時、
『これで決まりだ』と私は膝を叩いたのです。
どうしてかというと、
一足先に留学生をアメリカに送り出した台湾では
一足先に経済発展がはじまり、
いまでは政界、経済界のリーダーは
ほとんどが新しい学問を身につけた次世代によって
占められるようになっているからです。
中国でも同じことが起れば、経済界がまず一新し、
それが政治を含めて社会全体を
大きく変えることになると思ったのです。

それまで駐日大使館から何回も
『中国大陸に行ってみませんか」と誘いかけられても、
「いやいや、もう少し待って下さい』
と断り続けていた私が突然、行く気を起したのは
いまから19年前の1988年9月のことでした。
はじめて北京入りをした私は駐日大使館のアレンジによって、
副総理だった時に、
深圳、珠海、汕頭、厦門の四つの経済特区をつくった谷牧さんと
人民大会堂で会見をし、僅かな時間でしたが、たちまち意気投合して、
中国経済の大発展を確信したのです。

あれから19年の歳月がすぎましたが、
はたして世の中も一変しました。
外貨準備高の不足に悩んで、外貨を自社調達させるために
外貨立てのB株市場までつくった中国が
1兆ドルをこえる外貨を保有するようになり、
中国がクシャミをしたら、
アメリカが風邪をひく時代になってしまいました。
この『もしもしQさん』のコラムを見ている人の中には
私を『中国株の先生』と思い込んでいる人も
結構たくさんいるようですが、
私は別にプロの株の先生ではありません。
株のために使う時間も資産の中で占めるパーセンテージも
全体の10分の1もありません。
株だけが私の人生ではないのです。」

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