2013年06月

前回、紹介した邱永漢著

『中国、次のテーマは食糧不足』平成23年)の続きです。

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「というのも当時の私は

株で大儲けしようと考えるよりも、

中国の工業化がこの調子で進んだら、

国は大金持ちになるけれど、

農業に従事する人が激減して、

日本や台湾や韓国のように

食糧の自給能力を失って

人口の半分の食糧を輸入に

頼らないとやっていけなくなる、

 

日本のように七千万人分なら

何とかなるだろうけれど、

七億人分では供給してくれる相手があるわけがない

――という妄想に駆られて、

中国じゅう食糧の開発のできそうな

地域を駆けまわっていたのです。

人手不足になって賃上げが始まったら、

毎年、所得が上がって国内消費が増えます。

賃上げの少なくとも20%は食べることに使われますから、

食料の需要に大きな変化が生じます。

野菜だけ食べていた人が肉を食べるようになるし、

鶏肉を食べていた人が牛肉を食べるようになります。

とうもろこしや小麦だって直接、口に入れていたのが、

家畜に食べさせて、それをまた人間が食べるとなると

今までに考えられなかったようなことが次々と起ってきます。

 

その対策をあれこれ考えて

東北三省から寧夏自治区、雲南省まで駆けまわった実録が

この本の中に何回も出てきます。

でもサインまでしてスタートした農地開発でも、

それぞれの地域のお役人さんとの思惑の行き違いもあって、

必ずしも思いどおりにはいっていません。

それでも大規模農業に対する私の情熱は

いまだに燃え続けており、残りの人生の

恐らくかなりの部分をその方面に

傾けることになると思っています。

 

二年前に比べると、中国政府の食糧に対する力の入れ方も

見違えるほど真剣になってきたし、天候のせいもありますが、

人々の食糧に対する関心もかつてないほど強くなっています。

同じ問題を抱えている日本にとっても、

また日本人にとっても食糧をどうするかは

最大の関心事になるのではないでしょうか。

 

二〇一一年二月吉日 バングラデシュ・ダッカにて

 

邱 永漢

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「次の成長株は不足する業種から」

という邱永漢先生の発想が

そのまま本のタイトルになったが

平成23年に刊行された一冊が

『中国、次のテーマは食糧不足』です。

 

この本の冒頭に書かれた「まえがき」

を再読しましょう。

2回にわけて紹介させていただきます。

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もう二年も前のことになりますが、

「もしもしQさんQさんよ」の第32巻目にあたる

この『中国 次のテーマは食糧不足』を執筆している最中は、

リーマン・ブラザーズの破産に端を発した

世界的な金融不安で世界中がひっくりかえるような

大騒ぎになっていたときでした

(二〇〇九年四月九日から二〇〇九年七月二十二日まで)。

 

世界中の株は大下がりに下がるし、

中国株に親しんできた友人たちも

真っ青になった人が少なくありませんでしたが、

私はこれぞ千載一遇のチャンスと考えて

友人たちにも勧め、自分も自分なりにナンピンで買い向かいました。

 

ただ何分にも中国の銀行がこんな場合、

どういう態度に出るのかわかりかねて、

将来性のある会社でも見誤る場合も

あり得ることを考慮に入れて

思いきった態度をとることができませんでした。

 

あとで考えてみると、

大金をつかむ絶好のチャンスを取り逃がしたことになります。

(『中国、次のテーマは食糧不足』.平成23年)

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10年ほど、続いた

邱永漢先生のコラムを熱心にお読みになった

方が多いと思います。

 

そうした方が、今から41年前に書かれ

前回、紹介した邱先生の次の文章、

「株とは充足を買うものではなくて

不足を買うものである。

ではこれから、何が不足するであろうか。」

をお読みになれば、

今から5年前に書かれた先生の

次の文章を呼び起されると思います。

 

「では次に何に変えるかというと、

次の時代に社会に新しい需要が出てくるのに

供給が間に合わない業種や銘柄は何かというところに

焦点をしぼります。

たとえば中国はまだ経済の発展する段階にありますから、

マンションでも鉄でもセメントでも

まだまだ需要はあります。

でも供給しようと思えばいくらでも供給できます。

私なら供給したくても供給の間に合わない分野は何かを考えて、

不足する業種に投資します。」

(「第3447回 次に不足する業種に投資しよう」。

『遠いと思うなアジアの時代』に所収)

 

邱先生において

「次の成長株は不足する業種から生まれる。

だからに充足しているのでなく、不足する業種に

着目しよう」という視点が一貫していたことに

嫌でも気づかれると思います。

前回紹介した邱永漢著『金とヒマの研究』。昭和47年)

での文章の続きです。


「株とは充足を買うものではなくて

不足を買うものである。

 

ではこれから、何が不足するであろうか。

物があり余るようになったけれども、

そんな世の中になっても労働力は不足する。

そうすると、”省力”という問題が

いちばん重要になってくる。

 

省力関係メーカーのなかには

たとえば『立石電機』といった銘柄があるが、

この会社では、みんなよく知っている自動切符販売機

などをつくっている。(中略)

 

さらに、人手不足を解決する仕事の中には

“自動梱包機”といったものもある。(中略)

 

それからもう一つ、日本の産業界には、

人手を節約しながら、生産力を高めていくという

産業界の強い要求がある。(中略)

 

牧野フライスなどは

一つだけでも6千万円もする機械をつくている。(中略)

 

今後、十年間くらいのあいだに、

日本が次第に生産財輸出国から

資本財輸出国に変わっていくだろう、

というのが私の考えである。

日本が次第に生産財輸出国から

資本財輸出国になっていくとすれば、

プラントメーカーと工作機械メーカー、

それから公害機器、といったところが

脚光をあびるはずである。」

(『金とヒマの研究』。昭和47年)

 

今から41年前に書かれた文章ですが、

いま生産性の向上が喫緊の課題になっている

中国での新しい成長株銘柄探しの

ガイドになるような文章のように感じます。

先日、必要あって、昭和47年に刊行され

昭和53年に改訂版が出された

邱永漢先生の『金とヒマの研究』を再読しました。

そのなかで、

「株式投資は少数意見が多数意見に

なっていくプロセスを買うもの』と述べ

次のように書かれています。

 

「たいていの人は、

株を安いときには絶対にかわないで、

高くなってから買う。

 

デパートでバーゲンセールをやるといったら、

みんな目の色を変えていくけれども、

株のバーゲンセールだけは

みんなしり込みしていて

だれも寄り付かないわけだ。

だから、そういうときに、

士気を鼓舞して買うのが、株式投資なのである(中略)

 

では、何をよりどころに株を買うか、

ということになるが、

それは現在のわれわれの常識にしたがって

買ってはいけないということだ。

 

”常識”というのは、

ちょうど相撲の番付にしたがって

相撲取りを評価するようなものである。

 

株式投資において必要なのは、

この番付が将来、入れかわることを

予想することである。

 

いま横綱をやっている者も引退するし、

幕下にいてもやがて横綱になる者もいる。

それと同じように経済界のなかで、

どういう業種が、将来、繁栄するようになるかを

予想しなければならない。

 

戦後、鉄が不足しているときには、

”鉄は国家なり”などと、いばっていたが、

余ってくれば米と同じで、

つくっても売っても、あまり妙味がなくなってくる。

 

むしろ、それを使って加工しているところが

儲かる。」(『金とヒマの研究』。昭和47年)

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