2013年05月

最初に伺ったのが

ベトナム中央銀行の為替部門が分離して生まれた、

ベトナム4大銀行の一つ、「ベトコムバンク」(VCB)。

 

東北大震災直後の訪問ということで、

同行の最高幹部、ビン会長が迎えてくれました。

『皆さん、ベトコムバンクに来ていただきまして、

ありがとうございます。

 

皆さんが東北地方で起こった大震災のなか

ベトナム・ハノイに来られ、

当行を訪ねたと伺い感激し、ご挨拶のため参りました。

 

皆さんが当行に来ていただくことは

ジャパン証券さんを通じ、昨年秋から伺っていました。

しかし、お見えになる直前に大震災があり、

悲惨な光景がベトナムでも伝えられ私達も心を痛めています。

 

ですので、皆さんのご訪問は取りやめになるだろう

と思っていました。にもかかわらず、

全員、御来行いただくと聞き、驚きました。

 

日本人が約束を守る国民であることは良く知っていますが、

改めてこのことを強く感じました。

 

ベトナム政府は今回、被災にあわれた日本の方々に

お見舞金を出すことを決めましたが、

私たちの銀行も見舞金を贈ることを決めました。

 

ベトナムの諺にもありますが、

困難を越えることで人間はより強くなり

連帯感も強まると思います。

日本の皆さんが今回の困難を克服し、

より逞しい国になることを願っています。

 

当行の業容については

担当役員から説明させますのでお聞きください。

厳しい状況のなか、お訪ねいただきましたことに

改めて感謝の気持を表します」。

 

時々涙をぬぐいながらの御挨拶で、

「ベトナム人が涙もろい国民であることを

お許しいただきたい」

ともおっしゃり、私達の方が恐縮しました。

ただ、2007年のベトナムの株式市場は、

素人の目から見ても、一時の熱気で高騰し、

これが冷めたら株価も急落するように見え、

その時点での株式投資は控えました。

 

果たして、2007年の末から

ベトナムに流入していた海外からの資金が引き揚げ、

株が下落するだけでなく、

金融面で危機的な状況に直面するようになりました。

 

また、当時、ベトナムの証券会社は

海外からの投資口座設定者に、

定期的に口座維持料をかけるなど、

投資意欲をそぐ所がありました。

こうした状況を前出の邱氏も見ていたのでしょう、

氏は日本人が安心して

ベトナム株を売買できる環境を創る必要があると考え、

ベトナムに日系の証券会社を設立しようと、

日本の証券会社数社に働きかけました。

 

「いや、ベトナムの投資規模は

日本からの投資資金を受入れるのは小さすぎる」

といった理由で、この提案は

容易には受け入れられませんでした。

 

しかし、邱氏の根気強く働きに

「藍沢証券」と「日本アジアホールディングズ」が賛意を表し、

2009年9月、

ベトナム資本(Viglacera EXIMほか)51%、

日本資本49%(邱永漢事務所の香港法人、20%。

藍沢証券、14.5%。

日本アジアホールディングズ14.5%)の

「さくら証券」が誕生しました。「さくら証券」は

2010年10月、「ジャパン証券」JSI

(Japan Securities Incorporated)と改称されましたが、

ハノイにオフィスを構え、

ベトナム株の仲介業務やM&Iのための市場、

企業調査業務を行うベトナムで

唯一の日系証券会社として活動を始めました。

私はこの会社は

「日本とベトナムの間の橋渡しをしてくれる貴重な存在」

と感じ、JSI社スタッフ各位と交流を深め、

ご厚意により、2012年3月21日、

総勢21名でハノイを訪れ、

同地に拠点を置く上場会社を訪ねました。

富士通ベトナムでは

男子社員たちが改善活動に熱心に取組み、

また視力1.2以上の女子社員が

最終の製品検査に当たっている光景を見て、

心打たれました。

 

しかも、労賃が安く、

日本人1人雇うお金でベトナム人を

100人雇うことができる

との説明も印象に残りました。

 

これらの会社訪問で、邱氏が述べているように、

ベトナム人は労働資源として優れ、

日本企業が続々ベトナムに

進出している理由も納得しました。

 

そして、今後、

ベトナム人が経営する優秀な会社も

数多く出現してくるのではないか、

こうした会社の株を持つと損得もからんで、

面白いのではと考え、2007年10月、

再びホーチミンに行き、

ホーチミン市に拠点を置く

ベトナムの上場会社4社を訪ねました。

 

乳製品製造の「ビナミルク」《VNM》、

石油掘削サービスの「ペトロ・ベトナム・ドドリング」《PVD》、

工業団地経営の「タンタオ不動産」《ITA》、

海送、港湾管理のジェマデプト《GMD》)の4社で

経営状況や今後の方向について説明を受けました。

 

その結果、日本の成長期と比べると

工業化の基盤はまだまだ弱いが、

ベトナムなりに工業化への道を開拓していくだろう

との印象を受けました。

この本(邱永漢著『人財論』(1992年))に刺激され、

ベトナムがWTOに加盟した2007年の2月、

私は友人達とホーチミン市を訪れました。

 

ベトナムに進出している日系企業が

ベトナムとベトナム人をどう見ているかを知りたいと思い、

最初にホーチミン市南部のタントゥアン工業団地で

操業している田中酒造(本社山形)の工場に行きました。

 

迎えてくれたのは、この工場の設立当初から

従事してきたというベトナム人女性の幹部です。

「中国の次はベトナムではないかと思って訪ねました」と挨拶すると、

自信満々で語りました。

「中国人は最初は調子いいが約束を守らないところがあります。

対して日本人は約束を守るのでベトナム人は信頼しています。

 

中国が意識しているのは米国で、

日本には重きを置いていません。

相性からから言っても、規模から言っても、

日本のベスト・パートナーはベトナムです」。

 

堂々たるスピーチに目を丸くしましたが、

工場で日本企業の製法がベトナム人の手で

着実に遂行されている様子を見て

尊いものを感じました。

 

次に訪れたのは、早い時期からベトナムに進出し、

ベトナムの輸出拡大に貢献している富士通ベトナムで、

日本人幹部が迎えてくれました。

 

その時、強調されたことは、

ベトナムは若い人が多い国ということでした。

見せていただいた日本・ベトナムの人口構成比較表によると、

日本は若い人が少なく、中高年齢層が多い。

対して、ベトナムは若年者の人口が高く、中高年層が少なく、

好対照で、日本の平均年齢が43.5歳。ベトナムは26.4歳。

 

そしてベトナム人社員が優秀で、

このことはNHK主催のロボコン大会で

ベトナムの大学がしばしば

優勝していることが示していると教えられました。

ベトナムがWTOに加盟したのは2007年ですが、

この年から2013年の今に至るまで、

私は友人達と一緒にベトナムの首都、ハノイ市と

最大の商業都市、ホーチミン市(旧サイゴン市)を7回訪れ、

ベトナムの上場会社への視察を続けています。

個人の立場から、ベトナムの経済発展の尻馬に

乗る方策を求めての探索旅行です。

 

きっかけは、作家、経済評論家、実業家

故邱永漢氏(昭和20年商業学科卒業。平成24年逝去)

の『旅が好き、食べることはもっと好き』(1991年)と

『人財論』(1992年)を読んだことです。

 

これらの書で著者は

ベトナム国民が労働資源として優れていると述べ、

特に後者の書で、ベトナムは改革・開放政策を始めた

中国の後を継ぐ可能性があるとの見解を披瀝しました。

 

「もう一つのかくれた労働資源は

ベトナムであると私は見ている。

ベトナムは戦争の傷跡もまだ残っているし、

共産主義の勝利によって外国人に対して硬く門を閉ざしてきたので、

経済の発展とはあまり縁がないと多くの人々は考えている。

 

しかし、ミャンマーが

米の生産国から輸入国に転落したのに対して、

ベトナムは長い混乱のあとで再び米の輸出国として

すぐお隣のタイと競争する立場にのしあがってきた。

 

また外国の導入に異常な熱意を示すようになり、

中国との外交関係を修復する一方で、

台湾からの投資を誘致するために

要人たちが盛んに台湾に足を運んでいる」。

 

そして、著者はベトナムを訪れたときの体験を踏まえ、

次のように書きました。

「やはりここは、中国と同じように

共産主義の似合わない国民性の国であり、

かってのフランスの植民地であったことが

共産主義の先例を受けたことよりも根強く残っていると直感した。

そういえば、行商人が出来立てのフランス・パンを

籠にのせて売っている姿はアジアの他の地域では

とてもお目にかかれない珍しい光景である」。

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