2013年03月

前回に続き、

山崎鉄工(現山崎マザック)の工作機械改善への取組の

経緯を伝える邱永漢先生の文章の引用です。

 

「こうした生産の変化を大抵の人々は

労働力の排除による

労賃の節約と単純に思い込んでいる。

三百人使っていたところが六人ですむのだから、

六人に倍の給与を払っても十二人分の給与ですんでしまう。

 

あとは機械設備の金利負担や減価償却の運転経費が、

三百人を使って生産した時と比べて

どうかということによって経済的かどうかを判断する。

 

しかし、山崎さんにいわせると、

この設備は『生産性をあげる設備』ではなくて

『資金効率をよくする設備』だから、

工場長よりも、経理担当の重役にきいてもらったら

すぐに理解してもらえる性質のものだそうである。

山崎さんの工場自体がロボット化をする前は、

材料を運び込んで、売れる商品として

工場から運び出されるまでに四カ月かかった。

約四カ月分の商品の仕掛り品が工場内に滞留していたのである。

経理担当の常務がよく

『社長、お金が足りなくなります』というので、

貸借対照表をもってこさせて、数字を確かめると、

何億円もの預金が記載されている。』

『「ここにお金があるじゃないか」指摘すると、

社長、このお金は借り入れをする時に、

銀行に預金すると約束したものですから、

使うことができません』

『こんなにたくさんのお金があって、

使えないんじゃ、こりゃ不良資産じゃないか』

『ハイ、ですから借り入れている金額のほうを減らせば、

不良資産が不良資産でなくなって使えるようになるのです』。」

(邱永漢著『野心家の時間割』)

引き続き、山崎鉄工(現ヤマザキマザック)における

生産工程機械化への取組の経緯を伝える

邱永漢先生の文章を引用させていただきます。

 

「山崎鉄工が現地で技術者の募集をすると、

あっという間に腕のよいのが集まってきて

たちまち工場が動くようになった。

海外進出は、型通り、まず販売提携からはじまり、

続いて自社の販売網に切り替え、

やがて現地生産へと脱皮していったのである。

 

生産する機械の内容も、

汎用旋盤からNC旋盤、マシニング・センターと広がりを見せ、

とうとう無人工場にまで発展した。

 

無人工場が名古屋市郊外の

江南にある本社でできあがった段階で、

私も案内されて見学に行った。

昔なら三百人が忙しく立ち働いている

スケールの工場の中に今は二列の生産ラインがあって、

一ラインに二人ずつ、

次に刃物がこわれた時に取り替えをするところに一人、

コンピュータ室に一人と合計六人配置されている。

六人で、三百人分の作業をやっているのである。

しかも、夕方五時に作業を終わって帰ったあとも、

工場は動き続けるから、

材料がきちんと配備されているかどうかを確かめた上で、

電灯を消して帰る。工場を動かすだけなら、

動力はいるが、電灯はいらないのである。

それくらい労働力を排除した形で、

工場生産が行われるようになったから、

ロボットが普及するにつれて、

工場生産の概念が一変してしまうのも無理はない。」

(邱永漢著『野心家の時間割』)

 

ちなみに、ヤマザキマザックが

FACE BOOKで提供している沿革紹介の中には

【 MAZAKの軌跡 002 】として次の記述があります。

「1981年10月 大口製作所(愛知県丹羽郡)に、
世界が注目する無人化システムが導入された

FMF工場(Flying Machine Factory)が竣工しました。

深夜は完全に無人の工場となり、

当時は年末の

NHKテレビ番組“ゆく年くる年”で

放映されるなど、国内はもとより

世界のメディアから注目を浴びました。

全国、全世界から毎日100人以上の見学者が訪れました。」

「いつもいつも値切りたおされて、

お金の儲かるいとまをあたえてくれない。

同業他社は先行きを悲観して、

景気が回復して本社の業績内容が好転した機会に、

累積赤字を消して早々に撤退をしたが、

山崎さんは、『うちも撤退するならともかく、

今後もアメリカの市場で勝負をする気なら、

相手の要求をのまないわけにはいかないだろう』

といって、値切られる度に

コスト・ダウンに努力をしてきた。

 

おかげで、メイド・イン・ジャパンとしては、

性能に比して最も安価な製品をつくることができるようになった。

その代わりユダヤ人と組んでいる限り、

どんなに頑張ってもお金持ちにはなれないことがよくわかった。

その見極めがついたので、業績が落ち着いた時期を見計らって、

ユダヤ人との販売契約を打ち切り、

自分でアメリカに販売会杜をつくる決心をした。」

(邱永漢著『野心家の時間割』)

 

ここで山崎鉄工(現ヤマザキマザック)

の同社のHPに記載されている沿革をたどると次のとおりです。


1962年(昭和37年)

6月業界初の対米輸出、LE形旋盤200台を大量成約

10月山崎照幸、代表取締役社長に就任

1963年(昭和38年)5月ブランド「MAZAK」を発表、

マザック旋盤の量産開始

1965年(昭和40年)7月大口工場へ本社移転

1968年(昭和43年)

7月ニューヨークに米国会社

YAMAZAKI MAZAK CORPORATION(YMC)を設立

1974年(昭和49年)

7月米国会社YMC(現MAZAK CORPORATION)

グレーター・シンシナティ工場完成

 

前回に引き続き、邱永漢先生の『野心家の時間割』

 のなかの文章を引用させていただきます。

山崎鉄工(現ヤマサキマザック)社長が

山崎照幸氏がアメリカに機械を販売するように

なってから直面した問題を伝えています。

 

「今から二十年も前の日本人の常識の中には、

工作機械をアメリカに輸出するといった考え方はどだいなかった。

年に一度、晴海埠頭でひらかれる国際機械見本市には、

日本国中の機械のユーザーが集まってきて、

アメリカや西ドイツやスイスやフランスや

チェコスロバキアの機械の中から、

どれを選ぶか、きめるのが仕事であり、

機械は輸入するものと誰しもが思っていたのである。

 

だから輸出をしようという考え方に至るまでに

長く時間がかかったが、

山崎さんは実行力のある人だから、

いったん、こうときめると、

すぐ販売先をつくるために

アメリカにとんで行った。

 

おかげでアメリカを中心に海外市場がひらけるようになり、

国内が不景気でピンチにおちいった時も、

海外の売上げで、ある程度バランスをとることができた。

 

他の機械メーカーの輸出が全売上高の中で

精々一五パーセントにすぎない中にあって、

ひとつ山崎鉄工だけが七五パーセントも

輸出するようになったのもこ

の時の決心がきっかけになっているのである。

 

しかし、ひと口にアメリカで商売をやるといっても、

採算にのせるまでが容易ではない。

アメリカでメイド・イン・ジャパンの

新商品を取り扱っていてくれるのは、

大抵がユダヤ人であるから、

アメリカに売るということはとりもなおさず、

ユダヤ人に売ることである。

 

名古屋の商人もがめつくて、

俗に『名古屋の三値切り』というように、

三回値切らないと気持がおさまらないのが

名古屋人気質であるが、ユダヤ人はそのまたうわてだから、

五値切り、七値切りくらいは平気でやる。

やっと相手の注文通りの値段でおさめて、

物が売れるようになると、すぐまた値切ってくる。」

(邱永漢著『野心家の時間割』)

日本でロボット化の動きが活発化した

 昭和50年代後半に書かれた邱永漢先生の

このトレンドを追った経済評論文を読み、

今の読者にとっても面白いのは

『野心家の時間割』(昭和59年)に書かれた

山崎鉄工所(現マザック)二代目社長、

山崎照幸氏との交流についての記述でしょう。

以前、「ハイQ」でも紹介された『野心家の時間割』

の中から、引用させていただきます。

 

「私がかつてコンサルタントをやった会社の一つに

山崎鉄工所という最近"無人工場"で評判をとっている

工作機械のメーカーがある。

この会社の社長の山崎照幸さんは、

進取の気性に富んだ人で、

私と知り合いになった昭和三十七年頃は、

まだ一ヶ月に汎用旋盤を四、五十台つくる程度の町工場に

多少、毛の生えたスケールの機械工場の二代目社長にすぎなかった。

 

工作機械は、ご承知のように、

景気不景気の影響をモロに受けるショウバイで、

景気のよい時は、山なす受注が消化しきれず、

こんなお金の儲かるショウバイが

世の中にあるかとホクホクするが、

いったん、産業界が不況におちいると、

いくらダンピングをしても誰も注文はくれないし、

たちまち金ぐりが悪化して、

今日つぶれるか、明日つぶれるか、

戦々兢々として日を送るようになる。

それでは心もとないので、

『もう少し安心して経営ができるように、

多角経営をやりたい』と山崎社長がいい出した。

『多角経営って何をやるのですか?』

と私はきいた。

「うちの工場の敷地があいていますから、

まずそれを利用して自動車学校をやりたい。

 

次に、名古屋市内にある本社ビルが木造の平屋だから、

あれをこわして、十階建てくらいのビルを建てて

不動産収入を得たいと思っています」と社長は答えた。

『お気持はわかりますが』と私は難色を示した。

『この三つともお互いに性質の違うショウバイですから、

一人で同時に三つやると気が散ります。

工作機械は全精力を傾けないと成功できませんから、

気が散らないほうがいいのではありませんか?

そんな多角経営よりも、いまつくられている工作機械を

アメリカに輪出できないものでしょうか?

国によって景気の動きが違うし、

需要先が何カ国かにまたがったら、

それだけで多角経営と同じ効果がありますよ』。

『うーむ』と山崎さんは手を額にあてながら

十分ほども考えた末に、

『そうですね。売れないこともないと思いますがねえ』と頷いた。」

(邱永漢著『野心家の時間割』)

この文章の続き、数回にわたって引用させていただきます。

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