2012年12月

にこやかな表情で私達を迎えてくれた

ミャンマー人の女性経営者は私達からの

質問に答えながら次のようなことを話してくれました。

 

○国の発展には政治の安定が必要です。

 欧米から経済制裁を受けていたころは

 ものをつくっても売れませんでした。

(注:ミャンマーは1997年に軍事政権の行動を好まない

アメリカから経済制裁を受け、アメリカ人による

ミャンマーへの投資が禁止されてきた。
今年、7月アメリカが、ミャンマーへの経済制裁を緩和し

アメリカ企業によるミャンマーへの投資を解禁。)

 

○経済発展のためには人材の開発と資金が必要です。

人と同時に資金が必要なので、ミャンマーが
保有する自然資源を開発することが大切です。

 

○縫製事業は人材が重要で技術のレベルを上げることが重要です。

ベトナムの洋服と比べたら、ベトナムの方が優れている。

優れた機械を整えることも必要です。

 

○現在行っている事業は香港からの発注にもとづき縫う作業。

(デザインの仕事はしていない。)

 

○トレーニングが必要

日本のJETROやJICAの援助も活用している。

AOTS((財)海外技術者研修協会)を活用している。

マレーシアの研修センターにもマネージャークラス派遣

 

○最近、日本のバイヤーからの発注 

  (タウン・ジャケット、ズボンなどメンズ・ウエア)も始まっています。

ミャンマーの大都市、ヤンゴン空港からホテルまでの道は

大変整備されていましたが、ヤンゴンの郊外にある

縫製工場までの道はデコボコでバスは揺れました。

 

そういう道を通って、

私たちはPale 工業団地という

小さな工業団地にある

ミャンマー人経営の繊維工場に着きました。

 

案内されるままにバスを降り、

平屋建ての工場に入ると、

大勢の男女がひしめくようにして

長い椅子の上に並んでいる風景が目の中に

飛び込んできました。

 

一瞬、繊維工業を見るのは初めてだと思いました。

生まれてこの方69年になりますが、

繊維工場を見学することはなかったのです。

 

もちろん日本の経済発展史の中で、

繊維産業が栄えた時代があり、

それを出発点として、いろいろな産業の分野で

工業化がはじまり、今の繁栄がもたらされていることは

知識としては知っているのですが、

私のように69歳になる年寄でも

日本で繊維が栄えた時代のことは

過去の知識としてしか知らないのです。

 

そういう繊維の工場をミャンマーで

初めて見るというのも一つの機縁だと思いました。

 

ガイドさんに聞くと、社員は800人から900人とのこと。

 大工場です。

 

私達を迎えてくれたベテランの

女性社員が聞きました。

「今日は工場見学ですか。あるいはトップの

話を聞かれますか」

すかさず、「トップの方のお話をお願いします」

とお願いし、部屋に通されました。

 

私達が部屋に入ると間もなくして、

50歳くらいの女性経営者が入ってこられ

私達を歓迎してくれました。

ミャンマーの首都、ヤンゴンで

私達を案内してくれたガイドさんさんは

ミャンマー女性のお化粧“タナカ”

についても説明してくれました。

 

ミャンマーのことを取り上げた

テレビ番組など見ていると、

ミャンマーの女性、大人も子供も

頬に、白く塗ったものが見えます。

 

あれは何だろうかと思っていたのですが、

それが、“タナカ”で、発音は

日本語の「田中」さんと同じで、

日焼け止めの効果があるもので

ミャンマー女性のお洒落の一つとのこと。

 

ミャンマーの中央地域で

「タナカ」という木が取れ、

それを水をたらした石板の上で擦り、

ペースト状にして顔に塗ります。

 

タナカの汁はひんやりとした清涼感があり

強い太陽の日差しを遮断してくれるし、

日焼け止め、汗止め効果もあります。

 

ですので、ミャンマーの女性は

小さいころから“タナカ”で

強制されているとのこと。

 

またタナカはお化粧にもなっていて、

大人の女性も“タナカ”です。

 

つまり“タナカ”はミャンマー女性の

健康を美容を支える生活必需品です。

ミャンマーを訪れる前にいろいろ調べ

ミャンマーの人達の識学率は

開発途上国の中では比較的高く

労働力として優れていることを

頭の中に入れていました。

 

しかし、「過去は知らず、

いまのミャンマーは貧しい、

そのミャンマーの人達がどうして識字率が高く

また勤勉なかのか、なぜだろう」

と思っていましたが、私の疑問を

ガイドさんが解いてくれました。

 

ガイドさんによると

ミャンマーの識字率の高さは

寺院によるボランティア教育、

日本の江戸時代にあった寺子屋制度に

あったとのです。

 

自身が僧院で勉強してきたといい、

留学したことがないのに日本語を上手に話し、

またスペイン語も話して、スペイン人相手の

ガイドもしているというのですから、

説得力があります。

 

日本の外務省も

「ミャンマーでは伝統的に僧院での寺子屋式教育が普及し、

また歴代政府がミャンマー語の普及に務めてきたため、

識学率は約80%と開発途上国の中では高い水準です。」

と説明しています。

 

また外務省はミャンマーにおける学校制度について

次のように説明しています。

「ミャンマーの学校はすべてが公立校で、

1年間の幼稚園課程を含む小学校が5年間、

中学校が4年間、高校が2年間、

大学が4年から8年間となっており、

義務教育制度はありません。

小学校から毎年進級試験が行われるため、

かなりの生徒が留年したり、

退学することになります」

ヤンゴンの街をバスから眺めると

少年僧たちが列を組んで歩いている光景が

見えます。

 

身には赤者色の袈裟をまとっていて

足はみな靴や草履をはかず裸足です。

 

日本はもとより、ベトナムでも

見かけたことのない光景で興味がひかれます。

 

この少年僧たち行進風景を指しながら、

ガイドさんが次のようなことを説明してくれました。

 

○ミャンマーの男性は

一生うち一度は出家するのが習わし。

 

○5歳から10歳位の幼少の頃、集団で得度をし、

沙弥《シャミ》となって僧院生活を経験する。

 

○少年僧の袈裟は赤茶色。尼僧の袈裟はピンク色。

 

○男性は青年期に再度得度して

厳しい戒律の中で僧侶と同じ生活を送る。

 

○僧侶になると僧院で暮らしながら修行する。

 

○  僧院とは、僧侶が修行をする場所で

僧の学校と言ってもいい。

(ガイドさん自身、僧院で勉強したとのこと)

 

○僧院には男性用と女性用で分かれ、

出家した僧侶がここで修行をしている。

 こういう説明を聞き、日本には全くない習慣なので、

ミャンマーは日本とは全く異なる国だと感じました。

 

それだけに、この国の風俗や習慣を良く勉強する

必要があると思いました。

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