2012年08月

ハノイの観光名所の一つに「文廟」(ぶんびょう)があります。

「文廟」とは孔子廟のことで、孔子の霊を祭るところで、

文廟という名の施設は中国の上海や済南にもあるようですが

ハノイの「文廟」は1070年にベトナムで最初の大学として開設されています。

 

この頃のベトナムでは中国同様の科挙が行われ、

境内の82のには、15~18世紀の間に行われた

科挙試験の合格者の名前が刻まれています。


これらの石碑は本殿に並んでいますが、

その本殿の前の庭に足を踏み入れたところ、

一人の小柄な女性が私達のところに

押しかけてきました。

 

「私はハノイ大学の日本語学部で

日本語を学んでいるものです。

近々日本語のスピーチのコンテストがあり

そのときに発表する日本語の文章を書きましたが、

誤りがないかどうか添削を

お願いしたいのです」

 

私も友人たちもその熱心さに心打たれましたが、

この場でちょこちょこ添削はできないよ」

と言いましたら、学生さんは作文と

自分の名前、インターネットでのメールアドレスを

書いた紙をたくさん用意していて、

それを私や友人一人一人に渡し

「お願いします」と頭を下げて懇請します。

 

私はこの女子学生の要請に応えたいと思いましたが、

持参したパソコンは前日の夜、ホテルで使ったところ、

なぜかネットに接続できません。

 

そこで、彼女の書いた作文を一読し、

気づいたところを4か所ほど指摘しました。

 彼女は喜んでいましたが、この学生の

あまりに熱心な姿勢に心打たれてのことです。

 

こういう勉強熱心な若い人に接し、

ベトナムの明日は明るいと感じました。

経済の発展に必要なのは、優秀な「働き手」で

この学生さんは明日のベトナムを開くホープの

一人だと思いました。

811日(土)、夕方成田を発ち、

夜 ハノイにつきました。

ハノイに出かけた目的はハノイに拠点をおく

ベトナムの上場会社を訪ねることですが、

12日(日)、友人たちと一緒に

ハノイの半日観光に出かけました。

 

私はハノイの半日観光は三度目で、

ホーチミン廟、ホーチミンの家、一柱寺、文廟などは

おなじみの観光名所ですが、

ホーチミン廟からホー・チ・ミンの旧居へ向かう途中

黄色に塗られた洋館に目が向きます。

現在国の迎賓館として利用されている建物です。

 

今回、ガイドさんが、この迎賓館は

元はフランス植民地時代に作られたもので、

当時フランスが支配下に置いていた

インドシナ(インドシナ半島東部地域)を

統治する本部が置かれていたと説明してくれ

なるほどと思いました。

 

私などは“仏領インドシナ”あるいは”仏印インドシナ”

という言葉に馴染みがあります。

 

いま調べるとフランス領インドシナ(略称仏印 (ふついん))は、

1887年から1954年までフランスの支配下にあった場所で

現在のベトナム・ラオス・カンボジアを合わせた領域に相当します。

 

そういえば中国の上海にも

フランスが支配していた地域などがありました。

 

思えば、戦前は中国の主要都市も

ベトナムもイギリスやフランスなどの

西欧列強に支配されていました。

 

それが過去の時代になり、

いまアジア各国が自立、発展の道を走っています。

ベトナム・ハノイの迎賓館を見て

そんなことを思いました。

私が入った病室ではパソコンは使えません。

ですので、外部への発信はI PADで行いました。

 

家族が心配し、今回の渡航に反対しているようでしたので、

体調を伝え、安心させるのと私の渡航への意思を伝えるため

「おかげで、健康を回復することが出来ました。

アドバイスへの対応を練り、安全な渡航を目指します」

へと伝えました。

 

すると、すかさず、長男から返信が来て

「海外旅行保険会社への連絡と

現地の日本語が通じる医師のいる病院の確認をお願いします」

と迫ってきました。

 

ちなみに、自分がいつもかけている海外旅行保険を

調べると、保険の対象になっているのは

飛行機事故があった場合などの損害保険で、

旅行先での病気の治療などは全く保険の対象に

入っていないことがわかりました。

 

さて、長男がいうような

「現地の日本語が通じる医師のいる病院」

と提携している「海外旅行保険」なんてあるのか、

いぶかりましたが、旅行会社に聞いたり

ネットで調べたりして、AIU保険がそういう保険を

行っていることがわかりました。

 

そこで明らかになったことは、

今回、訪れる3つの都市のうちハノイと

バンコックは提携病院があるが、

ヤンゴンには提携病院がないとのことですが、

この保険への加入で長男の要望にある程度応えられると

考え、妻と長女に加入手続きをしてもらいました。

 

また胆嚢炎のため、体温が上がっていましたが、

8月10日は36.9度になりましたので、

ハノイに飛ぶ前日、10日分の薬をいただき、

退院させていただきました。

8月7日の朝からは腹痛が引き、

この分だと、予定通り視察に出かけられるのではと

内心、私はホッとしました。

 

ですが、妻は3人の子供たちとテレビ電話で

私の状況を伝えたようで、

病院に来た妻は

「長男は渡航に反対と言っていますよ」

と伝えました。

 

長男は大阪で勤務医をしているのですが

8月7日の夜、次のようなメールを送ってきました。

 

「本日はびっくりしましたが

とても大きな病気ではなかったようで安心しました。

まず主治医の先生に渡航しても大丈夫なのか確認してください。

基本的には自己責任だと思いますが、

東南アジアでは十分な治療が受けられず、

日本では考えられないような治療水準で

後遺症の発生や亡くなられる方があることを

頭に入れておく必要があります。

 

私は少なくとも炎症が収まって

感染の危険性がないことを確認できない限りは

渡航すべきでないと思います

(日本のように適切な抗生物質治療を受けることは非常に臨みにくく、

またぜんそくなどアレルギー反応を起こしたときにも

十分に対応できるか分かりません)。

 

さてもう一つは海外渡航保険の会社に連絡を取って、

このような状況で渡航しても保険でカバーしてもらえるのか

確認しておく必要があります。

もし治療費が補償されないと百万円以上の治療額を

全額負担しなければなりません。

後進国といえども医療に関してはお金は相当かかると思います。

 

あとはどうしても渡航するなら、

当地で日本語の通じる消化器内科医師が現地の病院にいるのか

やはり旅行保険の会社の方に確認する必要があります。

また日本と同様の治療ができる病院があるか、

その際の費用を確認しておいた方がよいと思います。

内視鏡治療や腹腔鏡治療をのぞむことはむずかしいでしょう。

 

いずれにしても大げさなことにならないよう

大阪より快復を祈っています。」

 

長男は学会の関係で毎年、

上海とかハノイとかアンカラとかブエノスアイレスなど

途上地域にもよく出かけ、各地の医療事情に通じているので

耳を傾けないわけにはいきません。

メールを読んで、ウーンとうなりました。

811日にハノイに飛んだのですが、

実はその5日前の8月7日の深夜、腹痛に襲われました。

 

一週間ほど前にも同じような痛みに襲われたのですが、

その時は痛みを感じたあと、寝ることがでいました。

今回もそのようになってくれればと思いましたが、

今回は痛みが引いていくような感じがありません。

 

海外ツアーが5日後に控えていることもあり、

妻の助言に従い、地元の病院に駈込みました。

 

幸い、副院長さんが診断してくださり、

痛みがおこっている個所と

エコーによる検査から、

胆石による胆嚢炎ではないかと診断されました。

 

87日の14時ごろのことです。

私は11日から19日まで、

友人たちを案内してアジア方面を回るので、

よろしくお願いしますと懇請しましたが、

点滴を受けたまま、入院することになりました。

 

痛みは朝が明けるまで、引きませんでした。

朝、看護婦さんや副院長さんから

互いに聞かれました

「最初の痛みが10だとしたら、

今は痛みはどのくらいですか?」

 

まだ痛かったので「7か8です」

と答えました。

でも、そのあとは寝ることができ、

痛みが引いていきました。

 

朝、念のため、内視鏡で胃を検査してもらいましたが、

別に異常はないとのことで、

「胆石による胆嚢炎と見ていいのではないか」

とのこと。

 

その線で点滴に治療よるを受け、回復を目指すことにしました。

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