2012年08月

ハノイ城を見て回のなかで

「龍の家」という施設に案内されました。

建物前に龍の階段あり、そのため

この名が付いたとのことですが、

フランス植民地時代に建てられた2階建ての家屋で、

フランス軍の拠地として使用しました。

 

ベトナムがディエンビエンフーの戦いに勝利した後は

ベトナム軍の所有物となり、

2004年にハノイ市に手渡されるまで、

この建物はベトナム軍の本部として使われました。

 

さて、「龍の家」に入り、中央を奥に進むと

地下への階段があらわれます。

約45段、深さ約9メートルの地下へと進むと

その先には、大小2つの秘密の会議室があります。

 

ここは「龍の家」がベトナム軍の所有物になった後、

ソ連(現ロシア)の支援により作られた地下壕。

 

入り口に据えられた重厚な巨大扉はソ連製で、

ハノイで唯一原爆にも耐えうる場所だという。

また地下室からは地下道が掘られ、

遠く17キロ先の街まで繋がっているという。

 

地上へ出たところにあるもう一つの建物には

会議室や展示室があり、ベトナム戦争当時の戦略図や写真を

見ることができ、会議室には昨日書いた

ザップ将軍の席も残されていました。

 

私はこれらの施設を見て、

ホーチミン市(旧 サイゴン)の

統一公会堂の地下施設を思い出しました。

 

ここは北ベトナムが戦った

南ベトナムの地下の秘密基地ですが、

私の目には北の秘密基地も

南の秘密基地に酷似してるように見えました。

ハノイ軍事博物館を見た後、

隣にあるタンロン城址とハノイ城を訪れました。

 

ここは長い期間にわたって政治の中心地であったところで、

2010年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 

世界遺産として登録されているこの遺跡は

二つあり、一つはタンロン城址

(ホアンディウ18番遺跡地区)です。

2002年、新国会議事堂建設工事予定地だった場所から

偶然発見され、2002年12月から発掘を開始、

2003年11月に多くの遺跡が発見され、

タンロン(昇龍)城王宮跡(総敷地140 ha)が重層して

残っていることや、2万平方メートルの敷地内は

ベトナム最初の長期王朝で、都をタンロン(昇龍)

(現在のハノイ)に定め李朝から、陳朝、後黎朝につながる

11世紀~19世紀迄の王城跡であることが判明しました。

 

また深さ4mを超える積層の下層に

10世紀以前の建築物があり、

当時、ベトナムを統治していた中国の

安南都護府の時代(中国・唐の時代、周辺異民族統治のための機関)

の大羅(ダイラ)城跡の遺跡や

河西軍と印字された瓦、6角形の建築基礎群、排水溝

巨大な木柱などが発見され、それらかが展示されていました。

 

タンロン城は中国の唐(の高駢が9世紀末に築いた

城壁(大羅城)の土台を基礎として築かれ、

その後歴代王朝により何度も再建されたようです。

 

もう一つの遺跡はハノイ城です。

阮 (グエン)朝時代(1802~1945)を迎えると、

1802年、初代ザーロン帝は都をタンロンからフエに移し、

阮 (グエン)朝期、タンロンはハノイ(河内)と改名、

ハノイは一地方都市として扱い、

1804年から1805年にかけ

規模を縮したハノイ城が建てられました。

 

このように世界文化遺産に登録されたこの地域には

当時のまま残されている門などがあるハノイ城と、

タンロン城の建物の遺構や建築遺物などが残されています。

ベトナムのことに詳しい知人から、

ベトナムにはフランスとの戦い

そしてアメリカとの戦いで

ベトナムに勝利をもたらした

すごい将軍がいるのだと聞かされていました。

 

今回、ハノイ軍事博物館を訪ね、

それが「ボー・グエン・ザップ将軍」

(1924年生まれ)だということをこと

を知りました。

 

昨日書いたことですが、
ベトナム人民軍は、1954年、

フランス軍とのィエンビエンフーとの戦いのなか、

車の通れないような険しい山道を、

自転車による補給部隊や山岳民族等の協力を得て

武器や物資を運びあげました。

 

そのゲリラ戦を率いたのが

ヴォー・グエン・ザップ将軍で

軍事博物館には、その時の補給部隊の写真や

ホーチミンと話し合うヴォー・グエン・ザップ将軍の

写真が展示されていました。

 

またヴォー・グエン・ザップ将軍は

南ベトナム解放民族戦線を指揮して

米軍と戦うなど戦功を重ね、

「赤いナポレオン」と呼ばれました。

 

ということで、ベトナムの英雄と仰がれている

ボー・グエン・ザップ将軍のことを知ったのですが、

将軍はハノイ市内の病院で静養生活を送り

今年の8月25日、101歳の誕生日を迎え、

ハノイ市内で誕生日を記念して将軍の写真展が開かれたようです。

ハノイ軍事博物館の2階には独立宣言(1945年)から

フランス軍に勝利したディエンビエンフーの戦いまでの

様子を伝える展示がありました。

 

この中で、特に私の興味をひいたのは

ディエンビエンフーの戦いで、

よく耳にするものの、戦いの内容を

よく知らないからです。

 

今回見学して次のようなことを知りました。

 

(1)ディエンビエンフーの戦いとは、

1954年(昭和29年)3月から5月にかけ

ベトナム北西部のディエンビエンフー

で起こった、第一次インドシナ戦争中最大の戦闘。

 

(2)ディエンビエンフーは

べトナム語で、辺境の県という意味で、

ハノイから西北へ約500km、

飛行機で1時間程離れたところにある

ラオスとの国境にある街のこと。


(3)第1次インドシナ戦争で、

劣勢に悩むフランスは、

ベトナム軍とラオスの革命勢力との連携を遮断し、

ベトナム人民軍主力をおびき出して全滅させるため。

この地に落下傘兵を中心とした精鋭部隊のたてこもる

要塞を築きました。

(4)しかし、ヴォー・グエン・ザップ将軍率いる

ベトナム人民軍は、車の通れないような険しい山道を、

自転車による補給部隊や山岳民族等の協力を得て

武器や物資を運びあげました。

そしてフランス軍に数倍する兵力と

優勢な火砲を要塞周辺に集結、

隠蔽することに成功しました。

 

(4)ここでベトナム軍とフランス軍合わせて56日間

悪戦苦闘が続き、約1万人の戦死者を出しましたが、

この戦争でベトナム軍がフランス軍を打ち破り、

1954年5月7日、フランス軍は降伏し、

カストリ司令官を含む16,200名を捕虜にします。

こうしてベトナムは歴史的な勝利を勝ち取りました。

 

一緒に見て回ったベトナム人ガイドさんに

「ベトナムはこの戦争でフランスを破り、

またのちのベトナム戦争でアメリカを打ち負かし

すごいですね」と話しかけました。

 

ガイドさんの返事は

「中国やソ連の援助があったからで、

それがなければベトナムは敗れていたと思います」

と控えめでした。

私達がハノイを訪れた第一日は

温度が高く、湿度も高くたいそう蒸し暑い日でした。

 

そんななか、ホーチミン廟、ホーチミンの家、

一柱寺、文廟、ホアンキエム湖の祠(ゴックソン寺)、

旧市街、大教会など主だった観光名所をを見て

午前中を過ごしました。

 

いつもは、ここで見学を終え、

あとは自由散歩にするですが、

今回の視察に参加された方のなかに

ベトナムおけるさまざまな戦争に

関心をお持ちの方がおられました。

 

私も興味がありましたので、

昼食のあとハノイの軍事博物館を訪れました。

 

ハノイの軍事博物館はホーチミン廟の

近くにありますが、一階には

ベトナムが蒙古が来襲したときに

戦ったときの様子を伝える展示がありました。

 

ベトナムは南宋を支配下に置いたモンゴルから

服属せよとの要求を受けるのですが、拒否したため、

1282~88年、蒙古軍による本格的な侵攻を受けました。

 

このとき陳興道(チャン・フン・ダオ)らの活躍で

ベトナム軍は、蒙古軍を撃退の成功するのですが、

この時駆使した戦術が、予め川底に杭を仕掛け、

潮が満ちた時に、蒙古軍を導き、

やがて潮が引いたとき、水位が下がって、

杭が蒙古軍の大型船の底をぶち抜きました。

 

この話は、以前、ホーチミン市の歴史博物館で

教えてもらったのですが、ハノイの軍事博物館では

1288年当時、実際に打ち込んだという大きな杭が

3本展示され、興味を引きました。

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