ソニーを創業した井深大(いぶか・まさる)さんは
昭和60年に『創造への旅』という本を刊行しています。
この本には、井深さんが同僚の盛田昭夫さんらと
銭形平次捕り物控の著者として知られている野村胡堂さんに
資金繰りのため5万円の借入れを
頼みに行ったときの話が書かれています。
『品川・御殿山に工場を移す時、移転に際して
資金繰りがうまくいかず、昔なじみの野村胡堂氏の家に
盛田君と一緒に金を借りに行ったことがある。
幼稚園から早大時代、その後の東通研と、
いっときも切れることなく公私にわたってお世話いただき
恩義と親しみを感じていた私ではあったが、
お金の話となると野村宅の敷居は高く、
とても運営資金の借用の話など切り出せなかった。
が、多くの社員とその家族を抱えて、企業経営の円滑推進
という当時の一大眼目があったわけで、心を決めて
東京・高井戸の野村宅に伺った。
運営資金として5万円ほどお借りしたいと考えていた。
盛田君や経理担当役員と打ち合わせてはじき出した金額である。
5万円あれば当面、やっていける状態であった。
借金するつもりで野村氏と対座したが、
なかなかいい出せない。どうにか口に出した時には
『・・・・3万円ほどおかりしたく』となってしまった。
知人や身内への借金はあまりしたことはがないが、
こんな言い辛いことはない。
握ったこぶしにはじっと汗がにじみ、
正座した身体が宙に浮いているようである。
心の中で〈しまった、5万円といえばよかった・・・・〉
と思ってもあとの祭りである。もう訂正はきかない。
野村氏は目をつぶり、黙ってきいているだけ。
この沈黙のなんと息苦しかったことか。
脇にいた盛田君が、とっさに機転をきかせて付け加えた。
『それにくわえてあと一万円ほどを・・・・』と
助け舟をだしてくれた。
彼の営業的なセンスというか、
その場を円滑に進める技量というか、
そのひと言が野村氏との気まずい雰囲気を
多少なりともなごめてくれた。
二人の奇妙なやりとりをじっと聞いていた野村氏は、
ただひと言『いいでしょう』といってくれて、
私たちの依頼を承諾してくださった。
5万円借りるつもりで行ったのが、
4万円になってしまったが、実質的に
金が借りられたので、内心ほっとした。」
明治41年(1908)生まれの井深さんが
ソニー前身の東京通信工業(株)を設立した
昭和21年(1946)、38歳のときのことです。
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