2011年03月

去る3月20日、私たちはホーチミン廟を見た後、
バーディン広場に出ました。
広大な広場なので気持ちが良く、
皆で記念写真を撮りました。


そのあと、近くにあるホーチミンの生家を見たのですが、
要所、要所で、広大な画面で大きなスタジアムで
歌手が歌を歌う模様が放映されていました。


「あれは昨年10月1日から10日間
行われたタンロン建都1000年祭の時のものですね」
とガイドさんに聞くと「そうです」とのことです。

ベトナム北部は、10世紀まで中国に支配されてきましたが
1010年、中国(後漢)支配から独立し、ベトナム(李朝)が
首都をタンロンとしました。

タンロンとは「昇竜」という意味で、
いまのハノイのことを指します。

「昇竜」とはう縁起の良い名前で
住友商事がハノイ郊外に創った工業団地が
タンロン工業団地で、またジャパン証券が提携している
ベトナムの証券会社がタンロン証券で
「タンロン」という表記はここから来ています。

ちなみに、首都ハノイで繰り広げられた

この「建都1000年祭」10月10日のパレードの様子を

NNA.ASIA誌(2010年10月11日版)

「党の威厳強調、建都千年祭:ハノイでパレード」と題し

次のように伝えています。


「ベトナム首都ハノイのバディン広場で10日朝、
『タンロン・ハノイ建都千年祭』のクライマックスとなる
記念式典が開催された。
ベトナム政府や各国政府の代表者らが出席。
午前7時55分ごろに聖火台に火が灯された後、
広場に設置された大砲が祝砲を鳴らして式典の開幕を告げた。
その後、グエン・ミン・チエット大統領(国家主席)の
演説やベトナム人民軍によるパレードを経て、
歴史的なモチーフや共産党の指導者ホー・チ・ミン(1890~1969年)の
肖像画などで飾られた山車(だし)、さらに数々の華やかな
パフォーマンスが繰り広げられた。
全体的にはハノイの歴史にとどまらず、
ベトナム共産党の力を強調する内容となった。」

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*ハノイ視察の報告を含め、福岡、大阪、名古屋、東京の各地で
中国株・ベトナム株セミナーを開催します(ジャパン証券平本裕志社長にもお話いただきます)。

4月29日 13時~16時    福岡市(アクロス福岡)

4月30日 13時~16時    大阪市(大阪市中央公会堂)

5月1日   13時~16時    東京都(TKP東京駅日本橋ビジネスセンター)

5月3日 13時~16時30分 名古屋市(中京大学市民文化会館)

また8月13日~17日、ベトナム・ホーチミン投資視察セミナー

  ベトナムの上場会社4社の訪問と郊外視察をジャパン証券の支援をいただき開催します。

*これらのセミナーへのご参加を募集しています。

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「もしQシリーズ」33巻目になる

邱永漢著『中国 次のテーマは食糧不足』の発売が始まりました。
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大劇場(オペラハウス)の玄関前で

記念写真をとったあと、私たちは観光バスに乗りました。

乗っていった先が、ホーチミン廟でした。


バスを降りたとたん
黒山の人だかりに組み入れられました。

たくさんの人はホーチミン廟を訪れるために

並んでいる人たちです。

 

「こんなに大勢の人が並んでいたら

見終わったら陽がくれるんじゃないの」
と参加者の人がつぶやきました。

「今日は日曜日なので、参列者が特別多いんです」
と案内してくださったスケッチ・トラベル社のガイドさんが
おっしゃいました。

 

行列のあとに並ぶと、列は細く、そして
より長くなります。

私は参加者の末尾の位置で
並びましたが、気がついたら、
私の左隣に若い女性が二人並んでします。

 

「シンチャオ!」(こんにちは)と声をかけると

二人は「シンチャオ!」と応えてくれました。
残念ながらベトナム語での挨拶はここまで。

通じるかどうかはわかりませんが、
「私は日本から来た旅行者ですが、

あなた達はベトナム人ですか」と英語で聞きました。

女性の一人が「そうです」応じてくれ、
「学生さんですか」とたずねると

「二人ともハノイ市内の高校で
英語の先生をしていて、仲良しです」

とのこと。


ナニ、英語の先生!。これならコミュニケーションが

通わせられると私は喜びました。

「ハノイを訪ねる目的は何ですか」

と聞かれ、「ベトナムで上場している会社の株を持つことに
興味を持っていて、明日はベトコン・バンクを訪れます」

と返事しました。


「会社の株を持つ」ということの意味は
良く通じなかったようですが、
「ベトナムは経済発展を続け、人々の生活が
豊かになっていくと思います」という私の説明に

彼女たちはうなづきました。

 

そしてこう説明してくれました。
「私たちは少しずつ豊かになっています。
幸せな時代に生きていると感じています」。

この言葉に私は心打たれました。

ホーチミン廟では軍人が警備し、私語を

慎まなければならなかったのですが、

その時間を除き、私は二人のベトナムの
英語教師と話し続け、握手をして分かれました。

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*ハノイ視察の報告を含め、各地で中国株・ベトナム株セミナー
を開催します(ジャパン証券平本裕志社長にも参加いただきます)。

4月29日 13時~16時    福岡市(アクロス福岡)

4月30日 13時~16時    大阪市(大阪市中央公会堂)

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5月3日   13時~16時30分 名古屋市(中京大学市民文化会館)

また8月13日~17日、ベトナム・ホーチミン投資視察セミナー

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*これらのセミナーへのご参加を募集しています。

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邱永漢著『中国 次のテーマは食糧不足』の発売が始まりました。
(今日は邱先生、87歳の誕生日ですが、お祝いの会は時節柄中止になりました。) 

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3月20日(日)、私たち夫婦はハノイの中心部にある
ヒルトン・ハノイ・オペラというホテルで朝を迎えました。


ハノイの観光名所の一つであるグランド・オペラハウスに隣接するホテルで、
セミナーに参加いただく方々に集まっていただくのに便利と考え、
このホテルに泊まったわけです。

朝の食事の部屋もきれいで、食事も良かったです。

そして集合時間8時半(日本時間で10時半)前に
ロビーで皆さんをお迎えしました。

三々五々、今回のセミナーに参加いただいた方々が
集まってくださいました。


そして、日曜なのですが、ジャパン証券(邱永漢先生の

働きかけでできたベトナムで唯一の証券会社で略称はJSI)の
黒川さんがわざわざホテルに来ていただきました。

黒川さんはジャパン証券発足時から、
ジャパン・デスク(私たち日本人の応対窓口)で
活躍されている方で、ジャパン証券で口座開設をされた方は
だいたい黒川さんにお世話になっています。

 

私もその一人で電話で何度かお世話になり、何度も
メールを交換させていただいていますが、実際にお会いするのは
初めてです。

 

初対面のご挨拶も早々に、参加いただいた方々に
黒川さんをご紹介すると、「ああ、黒川さん!」と
かけより、ツーショットを取ってもらったり、挨拶される方が
続出しました。

そして、今回参加頂いた方々お一人お一人の
プロフィールを紹介させていただき、和んでいただきました。

さて、この日は、ベトナムを代表する旅行会社、
スケッチ・トラベルさんのご案内でハノイ半日観光です。

ホーチミン廟→ホーチミンの家→一柱寺→文廟→ホアンキエム湖(玉山祠)

→ハノイ大教会→ドンスアン市場→旧市街→大劇場(オペラハウス)

というのがコースです。

が最後の大劇場(オペラハウス)がホテルのそばにありますので、
歩いて、ここに向かい、正面を背にして集合写真を撮りました。

 

ちなみに、オペラハウスの正面を背にして、
左手前の建物がハノイ証券取引所で、そういえば

SSI(サイゴン証券)とかBSC証券の広告ポスターが

見えました。

 

このあと、バスに乗り、黒川さんに見送っていただいて
半日観光に出かけました。

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*先日のハノイ視察の報告を含め、各地で中国株・ベトナム株セミナー
を開催します(ジャパン証券平本裕志社長にも参加いただきます)。

4月29日 13時~16時    福岡市(アクロス福岡)

4月30日 13時~16時    大阪市(大阪市中央公会堂)

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また8月13日~17日、ベトナム・ホーチミン投資視察セミナー

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私たちに印象深いベトナムとアメリカの間のベトナム戦争、

ベトナムから言えば「抗米救国戦争」が終結したのが

1973年(昭和48年)です。

 

その結果1976年(昭和51年)に
南北ベトナムが統一され、ベトナムは
社会主義国家として、計画経済(分配経済)を進めました。

そのあと、1978年(昭和53年)に
ベトナムはカンボジアに侵攻し、

このことで中国の侵攻を受けます(1979年=昭和54年)。


このようにベトナムはアメリカとの戦争のあとも
隣国との間で戦争を続けるのですが、
社会主義思想にもとづく計画経済では

経済が発展しないことが明らかになりました。

 

そこで1979年「戦時体制から平和体制の転換」を

行い、経済自立のため

①    農地の請負耕作 ②私営企業の存在を認め、

生産力増強を目指しました。

さらに自立経済の本格的発展を図るため

企業自主権を保証し、社会主義経済を支える

国営企業にメスを入れ、戦時中の配給制度を改革しました。

そして南北ベトナム統一から
10年目になる1986年(昭和61年)に
ベトナムは第6回ベトナム共産党大会で
ドイモイ路線を宣言しました。
1.食糧食品の増産。

2.消費物資の生産拡大

3.輸出商品の拡大
の三大目標を掲げました。

『ドイモイ』とは刷新という意味です。
ベトナム語で書くと「DoiMoi」で
ドイ(Doi)は変化、モイ(Moi)は新しい
という意味です。

具体的には
従来の社会主義(マルクス・レーニン主義)を捨て、
「新しい国づくりの変化の模索」を開始したことです。

この『ドイモイ』政策により
計画経済から市場経済への転換が図られ。
国営、公営以外の私企業の存在を認めるだけでなく、
私有財産についても一部認めることになりました。

このことにより、ベトナム国民のやる気が喚起され、
ベトナムは経済活性化に向かって走り出したのです。
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*3月19日から23日のハノイ視察の報告を含め、各地で中国株・ベトナム株セミナー
を開催します(ジャパン証券平本社長にも参加いただきます)。

・4月29日 13時~16時    福岡市(アクロス福岡)

・4月30日 13時~16時    大阪市(大阪市中央公会堂)

・5月1日   13時~16時    東京都(TPK東京駅日本橋ビジネスセンター)

・5月3日   13時~16時30分 名古屋市(中京大学市民文化会館)

*また8月13日~17日、ベトナム・ホーチミン投資視察セミナー

(ベトナムの上場会社4社の訪問と郊外視察)をジャパン証券の支援をいただき
開催します。

*これらのセミナーへのご参加を募集しています。
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邱永漢著『中国 次のテーマは食糧不足』の発売が始まりました。

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ホテルに向かう車のなかで、
私は案内してくれたHISハノイ支店の
男性社員に質問しました。

「失礼ですがお年はいくつですか?」

「32歳です」。

「お父様は戦争で戦われましたか。」

「はい。父はいま68歳ですが、
軍人で22年間、戦争で戦いました」。

68歳と聞いてハッとしました。
私と同じ年齢なのです。

私たちはベトナムの戦争といえば
アメリカとの戦争がすぐ頭に浮かびますが、
19世紀から最近に至るまで
ベトナムは戦争の連続です。

長く中国の属国となっていた
ベトナムは19世紀に入ってから、
100年間、フランスの植民地になります。

第二次大戦で一時占領した日本が撤退しあと
フランスが再植民地化を図りますますが、
ベトナム独立同盟(ベトミン)が全土で蜂起。

ベトナム建国の父、ホー・チ・ミンが、ハノイで

ベトナム民主共和国(北ベトナム)の建国を宣言します。

フランスはこれを認めず、ベトミンとの戦争(インドシナ戦争)
を起こしますがその後、両者は和解し、
北緯17度線で国土が分断されました。

その後、世界は冷戦時代に入り、
社会主義諸国が北ベトナムを支援する一方

資本主義諸国が南ベトナムを支援し、

1960年、南ベトナムの圧制に反対した人々が、
南ベトナムの解放とベトナム民族の統一を目的として、

反アメリカ・反帝国主義を標榜とする組織、

南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)を結成し、
南ベトナムが内戦状態になります。

このベトコンを北ベトナムが、
南ベトナムを米国が支援する形でベトナム戦争に突入。

ベトコンが南ベトナムを攻略して、1976年に南北ベトナムが統一され、
現在のベトナム社会主義共和国が誕生します。

これが私たちの記憶にあるベトナムとアメリカの戦争です。

 それ以降のベトナムの戦争は、私たちは
記憶にあまりないのですが、ベトナムはその後も
中国や隣国のカンボジアと戦っています。

私たちを案内してくださった32歳の
ベトナム人男性の父親は年齢からおして、
アメリカとの戦争から戦い続けたのだと思います。

 

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*中国株・ベトナム株セミナー(ジャパン証券平本社長もご参加)

・4月29日 13時~16時    福岡市(アクロス福岡)

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*    ベトナム・ホーチミン投資視察セミナー(ジャパン証券の支援のもと開催)

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「もしもしQさんQさんよ」シリーズ32巻目の
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