2010年12月

エビ屋台でランチを食べたあと

帰路に向かいました。

 

途中、立ち寄ったのが

「ドール・プランテーション」という

パイナップル畑です。

 

観光バスが並んでいましたから

観光コースの一つになっているようです。

園内での説明を読むと、
創業者のドールさんが

ハーバード大学園芸学部を卒業し、

$1500を持ってハワイに渡り、

土地をを買って農園を始めたのだそうです。んはハーバード大学園芸学部を卒業して$1500だったかな?握り締めてハワイに渡って土地をを買って農園を始めたそうです。

青雲の志を持ってハワイに渡り

大きな山を当てたドールさんに

興味を持ち、いつかその開拓記を
読んでみたいと思いました。


次に向かったのは

「この木なんの木」の歌詞で始まる

日立のコマーシャルでお目にかかっている

“日立の樹”です。

 

“日立の樹”が

ハワイにあったのだと知って

思わず笑ってしまいました。

 

面白かったので
この樹でスナップ写真をとってもらいました。

 

さて2010年も今日で終わりです。

この一年、ご愛読いただきましたことに

感謝申し上げます。

 

明日からはオアフ島で出会った

“日立の樹”のそばで

とってもらった写真とともに登場します。

 

引き続き、来年もご愛読いただきますよう

お願い申し上げます。

 

真珠湾やハワイ・プランテーション・ビレッジ

まで私たちを案内してくれたのは

ハワイに住んで長いという韓国人ドライバーです。

 

その人の案内で、

私たちはオアフ島の北海岸

ノースショアを見学することにしました。

 

最初に訪れたのは

タートルベイ(Turtle Bay)という海岸です。

名前が示すように海がめが

よく訪れるというところで、

浜辺に出て眺めると、

波に揺られながら海岸に着いた

亀を見かけました。

 

また大きな波が押し寄せ

サーフィンのメッカとして有名だという

「ハレイワ」の町も通りました。

実際、サーフボードを抱えた

若い人たちの姿を見ました。

 

さらに、夕日が綺麗だという
「サンセット・ビーチ」も通りました。

海岸に向かって聳え立つ小山のふちに

立っているのがエルビス・プレスリーの
別荘だとと教えられました。

「ブルーハワイ」の撮影で

ハワイがすっかり気に入って

建てたのだそうです。

 

おいしいエビ入りのご飯が食べられる

ところとして、ロンビーズ

(Romy's Kahuku Prawns & Shrimp)

という名前のエビ屋台に案内されました。

 

名物においしいものなしという

言葉がありますが、エビ入り弁当風の

エビ入り飯、おいしかったです。

 

ハワイ・オハウ島に着いた3日目の日、

私たちはハワイに何度も来ている妻の姉夫婦に

真珠湾(パールハーバー)と

ハワイ・プランテーション・ビレッジに

案内してもらいました。

 

真珠湾はハワイに来て

一番訪ねたかったところです。

真珠湾はご承知の通り、

日本が米国に奇襲攻撃をかけ、
米国との戦争が始まったところです。

 

この地を訪れ、日本の海軍が

どういう形で真珠湾に攻撃を加えたのか

についての具体的な知識が深まりました。

 

そして、いま102歳になる妻の母が

かつて私に、米国との戦争を始めた

発表があったとき、それまで
追い詰められていた状態から
抜け出せるような気持ちがして

ホッとしたと語った言葉を思い出しました。

 

それが当時の日本国民に共通した

気持ちだったのでしょう。

状況打開ため、先陣に立って

戦ったわが国兵士たちの

行動に黙祷しました。

 

続いて訪れたのが

ハワイ・プランテーション・ビレッジです。

ここは1900年(明治33年)から

1930年(昭和5年)代後半まで

当地の砂糖のプランテーション(サトウキビ畑)
で働いた中国人、ポルトガルのアゾレス、日本、

韓国、ノルウェー、プエルトリコ、フィリピンからの

移民の住居や生活品が展示されています。

ハワイという外国に
出稼ぎすることで生計を立てた

人たちの労苦に思いをはせ、

その奮闘に敬意を表しました。

 

ハワイ・プランテーション・ビレッジ

と真珠湾への訪問は期せずして、
日ごろ忘れがちになるいまの幸せを

将来してくださった先人たちの労苦に

敬意と謝意を捧げる鎮魂の旅となりました。

 

ホノルル美術館で

私たちを案内してくださった

日本語ガイドの老婦人でした。

 

ホノルル美術館は実に広いです。

1時から始まった館内のツアーは

2時になり、3時になり4時までになりました。

 

都度、参加していた日本人参加者は

ほかに行きたいところがあるのでしょう、

一人減り、二人減り、最後まで

残ったのは私たちだけになります。

 

私たちをガイドくださった

老婦人の説明は丁寧で詳しく

時々、展示品の下に表示されている

文字を確かめながら、見事なものでした。

 

インドの美術品を見た後で

ようやくガイドが終わり、

私たちは老婦人と一緒に

椅子に座り、私は婦人に質問しました。

 

「今日のご説明、ありがとうございました。

ガイド中、一度もお休みをとらずすごいですね。

礼状を書かせていただきます。

お名前を教えてくださいますか」

 

「私は沖縄からハワイに来た日本人の2世です。

名前は SUMIKO HENNAです。
HENNAは日本語で『平安名』と書き、
京都を意味する『平安』という漢字が名前ですが、

音が『変な』と同じですから、学校で

名前が呼ばれるときはとてもイヤでした。」

 

「そうでしたか。作品説明がすばらしかったです。

この方面のお仕事をされてこられたのですか。」

 

「いいえ、私は6年前まで

病院で看護婦の仕事をしてきました。

いま、一生懸命作品の勉強をしているところです。」

 

「3時間、ぶっつづけで、ご説明いただきました。
失礼ですが、おいくつですか。」

 

「この博物館と同じで83歳です。」

 

「それは平安名(へんな)さん、

お茶をご一緒いただけませんか」

 

「残念ながら、館内の喫茶店はもう終わりです。」

 

「そうですか。残念です。
それでは後ほど、写真を送ります。
いつまでもお元気で」
と言ってお別れしました。

 

年をとっても、人と交流することで

生きていることの喜びを感じるという

印象を与えてくださる素敵な方でした。

 

ホノルルに着いた翌日訪れた

コンテンポラリ美術館は山の中腹にあり、

タクシーでのぼったのですが、
そこに着くまでの景観がすばらしく、

この辺はホノルルの高級住宅街の一つでは

ないかと思いました。

 

実際そうだとあとで聞きましたが、

文字通り現代アートが並べられていました。

あいにくと妻が見たいと思っていた作品は

掲示されていませんでしたが、

館内の景観も素晴らしく、

中庭のレストランでランチをいただきました。

 

そのあと、向かったのが、 

官庁街の入口、ホノルル美術館です。

私たちが館内に入ると、これから

日本語ガイドによる案内が始まるところで

私たちも中に入れていただき、ついてみて回りました。

 

ここはニューイングランドの宣教師の娘だった
アンナ・クック・ライスさんによって
1927年(昭和2年)に建てられたのだそうです。

 

私は軽い気持ちで入ったのですが、

エジプト、ギリシャ、ローマの古美術から始まり、

パリのルーブル美術館で見たような作品が

所狭しと並べられています。

ここは「プチ・ルーブルだ」というのが

最初受けた印象ですが、見て回るうちに
これは世界的な美術館の一つだと

いうように印象が変わりました。

 

何しろ、アジア(中国、日本、韓国、東南アジア、インド)

アメリカ、ヨーロッパ、アフリカのいろいろなコレクションが

30のギャラリーに展示されていて、早足で見て回って

3時間ほどかかりました。

 

日本のコレクションも素晴らしく

広重の浮世絵なども印象に残りました。

 

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