2010年05月

前回紹介した文章に続く部分を

以下に引用させていただきます。

 

「私の講演会には異常に多くの聴衆が集まるが、

『それは私に人気があるからではない。

 聖徳太子のおかげですよ』と

私は冗談をいうことがあるが、

もし私の語り口に人々が共感を呼ぶとすれば、

それは私が経済を語るに際して、

天下国家からスタートせず、

個人のポケットから出発していることに

かかわりがあると思う。

私の経済学は、論語の表現をかりれば、

『治国平天下』の経済学でなくて、

『斉家』の経済学なのである。

 

昭和33年に『婦人公論』誌に執筆した

『金銭読本』からはじめてちょうど4半世紀に、

私は何十冊かの金銭分野の作品を書いてきた。

作品というと、

奇異に感ずるジャーナリストやアーチストは

多いかもしれない。

日本のジャーナリストの中には、

傲然孤高の精神が根強く、

金銭や利殖を見下す気風があるので、

金銭利殖を扱うことを

一種の創作活動と見たがらない傾向が強い。

しかし、金銭を扱うことにも、

セックスを扱うのとまったく同じように、

独創性も必要なら、表現力も必要である。

 

さらにはまたその作品が感動を呼ぶとか、

その中を流れるアイデアや知恵が

読者の役に立つことも必要である。

この意味で、経済に関する文章に対する評価の在り方も、

文学に対するそれとそんなに遠く

かけはなれていないのではないかと思う。

 

また一方において、経済学の徒は

天下国家を論ずるに熱心なあまり、

個人のふところや家計の経済を無視しがちである。

したがってお金儲けの話をすると、

変な目で見たり、バカにしたりするが、

経済というからには

それを心得ることによって

生活が豊かになるコツがわかるのでなければ、

意味がないであろう。

その点、私の金銭学は読んで実行に移せば

金持ちになる内容のものであるから

高邁な空理空論の経済学と区別する必要を感じた。

『メシの食える経済学』

というタイトルのついたユエンである。」

(『メシの食える経済学』昭和59年)

 

あなたが、なぜ邱さんの文章に惹かれるのか

そのわけがハッキリする文章だと思います。

今日と明日は、昭和59年に刊行された
邱永漢作品のエッセンス本『メシの食える経済学』
のまえがきををお伝えします。

邱さんの文学の真髄が語られていると思います。

「私の文章書きは小説からはじまった。

『密入国者の手記』『濁水渓』『香港』と続いて、

書きはじめて満2年の昭和30年後半には直木賞をもらい、

どうやら独りだちできるようになったのだから

幸運な出だしだったといえるだろう。

 

しかし、私には『食は広州に在り』『象牙の箸』

『漢方の話―食前食後』からはじまって、

『奥様はお料理がお好き』『邱飯店のメニュー』、

さらに『食指が動く』に続く

食べもの随筆というジャンルの書きものもあるし、

また『日本天国論』『香港の挑戦』といった

日本人論のシリーズもある。

 

さらに『東洋の思想家たち』

『再建屋の元祖 二宮尊徳』

『日本で最もユニークな経営者小林一三』

といった文明批評的な人物論のシリーズもある。 

 

『食べて儲けて考えて』

『お金の使い方』

『ダテに年はとらず』

『死に方・辞め方・別れ方』

『子育てはお金の教育から』

といった人生論的なシリーズもある。

 

私にとっては、どの著作も必然性があって

執筆したものであるが、

それらの全部を束にしても、

私の金銭、利殖、株式投資、

税金、経営などについて書いた

一連の著作の知名度には遠く及ばない。

それは私の力が

特にそこに注がれているということでもなければ、

私のそれらの作品が

他に比してすぐれているということでもない。

強いていえば、お金に対する人々の関心が圧倒的に強く、

それに即応した私の執筆態度に

共感を覚えてくれる人々が多かったからであろう。」

(『メシの食える経済学』昭和59年)

続きは次回です。

今から18年前のことになりますが、
私はプラッとグラフ社を訪ね、

邱さんのエッセンス本を担当させていただけないかと

お願いしました。

 

何の紹介もなく、また予約なしの訪問で
応対てくださった方も面食らわれたと思います。

当然のことながら、「それではよろしくお願いします」
といった色よい返事をいただくことにはなりませんでした。

 

ですが、私がその後、あるところで

邱さんの本を読んで知ったことが

公私両面で役に立ったことを書いたところ、

その文章が邱さんの目にとまり、
私は邱さんの了承をいただいて
邱作品のエッセンス本を
編集させていただくことになりました。

その本の出版を受け入れてくださったのが

グラフ社で私が単独で訪れてから2年後のことです。

 

以来、私は邱さんのエッセンス本を

4冊も編集させていただき、おまけに

自分の本まで出していただきましたので、

私はグラフ社の方々とは長くお付き合いを

させていただいいます。

今回、邱さんのハイQ本の出版化を

たんとうさせていただくことで、
久しぶりにグラフ社を訪れ、幹部の方と

雑談させていただきました。

 

戸田:「グラフ社さんは多くの本をおだしになっていますが、

これまで一番多く売れた本を出された作家はどなたですか」

 

グラフ社の幹部:「邱永漢先生です」

 

戸田:「やっぱりそうですか。作品の名前は何ですか」

 

グラフ社の幹部:「『メシの食える経済学』です。」

戸田:「どれくらい売れたのですか」

 

具体的な数字を伺って、驚きました。
サラリーマンが生涯働いて得る

収入をはるかに超える額でした。

後に、邱さんご自身の口から

『ボクの本は良く売れる』
と聞かされましたが、そうおっしゃるのも
むべなるかなだと思いました。

今回、邱永漢さんの『中国株で一山当てたい人集まれ

を出版したのはグラフ社という出版会社です。

 

グラフ社は主に家庭料理の本を

出している会社ですが、昔から

邱さんの数多い本の中から幾つかの

作品を抜粋するエッセンス本を出版してきました。

 

そのスタートになったのが、

『メシの食える経済学』という本です。

 

この本は1984年(昭和59年)に発刊され

私は当時、新日鐵の千葉県にある

君津製鐵所の課長をしていて、

木更津駅近くの松田屋さんという書店

(いまは博文堂書店木更津店に変わったようですが)

でこの本を買いました。

 

私が邱さんの本を読むようになったのは

昭和54年で、邱さんのものの見方、考え方を

学びたいと思い、過去に出版され、入手できる

本も手に入れ何度も読んでいました。

 

ですので、『メシの食える経済学』を手に取り、

収録されている作品を見ると、この作品は

どの本のどこから抜粋したものであるかを

たちどころに指摘することができました。

 

実際、そのとき買った『メシの食える経済学』

を本棚から引き出しての目次をみると

一つ一つの小見出しの上に、

それぞれの作品が掲載されている本の名前と

掲載されているページ・ナンバーを

書き込んでいます。

 

ですので、邱さんの本を読み出して

5年にしかなっていませんでしたが、

こういう本なら自分にも出来るのではないか

という自信を与えてくれました。

 

そういう体験がありましたので、

その後、新日鐵の部長になったものの、

50歳近くなり、会社を辞めて第二の人生を

切り開こうと思ったとき、私はグラフ社を訪ね

邱さんのエッセンス本をまとめさせてもらえないかと

お願いしました。

 

今にして思えば、私にそういう行動をとらせてくれたのは

初の邱作品のエッセンス本、『メシの食える経済学』

との出会いです。

全国の書店で
邱永漢さんが3年前に書いた
「もしもしQさんQさん」のコラムをまとめた
『中国株で一山当てたい人集まれ 』が

販売されるようになりました。

この本が順調に売れると、
現在、本になっていない邱さんのコラムが

続々、出版化される運びになります。

私も「もしもしQさんQさん」のコラムを

毎日拝見し、これらの文章は本という形で
保存し、読みたい人が読めるように

しておく価値があり、また必要がある
と感じてきました。

そこで、今年3月、邱さんから

コラムの出版化に力を貸すよう
ご要請をいただいたとき、その場で、
力を尽くしますと約束しました。

と同時に、これで今年の仕事は

決まったと思いました。

というのも、出版化する予定の本は
結構な数にのぼり、それぞれの本の

章立てを考えたり、解説文を書くのに

かなりの時間がかかると思ったからです。

 

そこで、今年6月、
長男の学会の関係で、
アルゼンチンのブエノスアイレス

を訪れることにしていたのですが、

これをとりやめることにしました。


また知人から上海万博に行きませんかと

というお誘いを受けていましたが、

これも断りました。

というのも邱さんから頼まれたことが

順調に進まないと、旅行しても気持ちが

おちつかず、旅を楽しめないと思ったからです。
そういう決意で取り組んだ
「もしもしQさんQさん」シリーズ、22冊目の
中国株で一山当てたい人集まれ』が

いよいよ発売開始です。

 

若干の販促にもなればと思い、

アマゾンに短い書評も書き込みました。

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