2010年01月

昭和39年に
『財界の鉱脈財界の鉱脈―小林一三と大屋晋三』
が刊行されてから19年たった昭和58年、
小林一三翁についての文章が
『日本で番もユニークな経営者小林一三伝』
と題して日本経済新聞社から再販されました。

前にも書きましたように私はこの本を通して
小林一三翁の活動を知るようになりました、
この本のまえがきで邱さんは次のように述べています。

『明治以降の日本の経営者のなかで、
最もユニークな人を一人だけあげよ』といわれたら、
私は何のためらいもなく、小林一三の名前をあげるであろう。

渋沢栄一とか、岩崎弥太郎とか、
明治をいろどる素晴らしい先覚者もいるし、
また当代でいえば、本田宗一郎さんとか、
盛田昭夫さんといった世界的スケールで
経済大国 日本のイメージアップに貢献した人もある。

しかし、その着想から言って、今日の日本を
予見できるような事業の展開をしてきたのは、
小林一三であり、阪急グループの事業の隆盛が
何よりの証拠になっている。

昭和39年のはじめに、私は週刊サンケイから、
『何か経営者の参考になるような連載物を書いてくれませんか』
と頼まれて、すぐに小林一三の評伝を書くことを思い立った。
実は、その少し前から近代日本の経営者たちの
言動や業績に興味を持ち、自伝他伝などあれこれ
読みあさていたが、その中で最も心ひかれたのは
小林一三であった。

小林一三については、その後、多くの伝記が書かれ、
その人となりや足跡について知識をお持ちの方も多いと思う。
約半年にわたて週刊サンケイに連載した私の小林一三評伝は、
そのハシリみたいなもので、本文をお読みいただければ
すぐにわかることだが、私の筆になる小林一三は
たいして偉い人のように思えないし、このくらいなら、
自分にもできそうだという気持ちを起こさせるものである。

しかし、一見、何でもないように見えるところが
小林一三の衆にすぐれたところで、生前、親しくした人たちから、
本人にまつわるエピソードをきけばきくほど、
大したジイさんだぞ、という感を新たにした」

この続きは次回も紹介します。

「週刊サンケイ」からの依頼で
邱永漢さんが書き上げ連載が
『財界の鉱脈―小林一三と大屋晋三』
と題して、昭和39年―東京オリンピックが開催された年―
に発刊されました。

この本のまえがきで邱さんは次のように述べています。
「出世物語とか成功談とかいった種類の読物は
いつの時代でも興味をそそるものである。
しかし、私がこの本でとりあげた小林一三と
大屋晋三という二人の経営者は、
今の時代と睨み合わせてまた
別の意味を持っていると私自身は考えている。

日本経済も、戦後19年、世界一の高度成長力を
持ってきたが、漸く爛熟期に入って足踏みをはじめた。

去年の暮に私はホテル大倉のロータリクラブで
テーブル・スピーチをやったが、その時に、
『これからはいよいよ経営者が頭を痛める時期に入った』
という意味のことをしゃべった。

私のいう意味は、生産設備の充実してきたことと、
コストインフレの挟み打ちにあって、これからの
経営者は頭を痛めることになるだろうということである。

こういう時代には、過去において優れた経営者が
どういうやり方をしたかが関心の的になる。
少なくとも彼等を成功させた秘密は何か、
彼等が、困難にどう対処したかを知ることは大いに
参考になるだろう。

小林一三は、私の知る限りでは、
日本の実業家の中でも最もユニークな第一人者である。
電鉄を敷くにあたって沿線の土地開発をやったり、
娯楽センターをつくったり、
ターミナルデパートを建てたりするのは、
今や電鉄事業の常識になっているが、
それらはすべて一三が考え出したことであった。

五島慶太は小林一三を自分の事業の師であると
書いているが、事実、五島が東京でやった色々の
事業は一から十までといってよいほど
一三が大阪でやり、続いて東京へ進出して
やったことのマネだといてもよい。
『事業に独創は必ずしも必要ではない』
と意味で五島慶太は興味の対象になるが、
やはりそのお手本になった一三のあり方を知るのが
先であろう。」

絶賛といていいくらいの賛辞を邱さんは
小林一三翁に寄せています。

私が小林一三翁に興味を持つようになったのは
邱永漢さんの本のなかでしばしば小林翁の話が
出てくるのと、昭和58年に邱さんが
『日本で最もユニークな経営者―小林一三伝』
という本を出版されたからです。

この本は再販されたもので、その元は
『財界の鉱脈―小林一三と大屋晋三』(昭和39年)
で、この本を出した経緯について
邱さんは次のように述べています。

「私が経済界のことに首を突っ込んだのは
株式投資からであったが、そのうちに、
企業のことから経営者のことまで興味を持つようになった。
日本経済新聞の『私の履歴書』とか実業家の自伝他伝を
盛んに読んだが、明治以降の日本の実業家の中で、
私が一番心を引かれたのは小林一三さんであった」
(『邱飯店のメニュー』)

「小林一三さんは、人も知る阪急グループの創始者であるが、
私が物書きとしてひとり立ちできるようになった頃は
もう他界していた。わけても小林さんの直弟子ともいうべき
阪急グループの総帥清水雅さんからきいた話は圧巻であった。

秘書として小林さんと行動を共にしていた清水さんは、
内台航路に乗って台湾に行く途中、
食堂でおいしいカレーライスに出あうと、
『お前、このカレーライスの作り方を習ってこい』と
小林さんから命じられて、
たちまちコックの白衣を着せられて調理場で働かされた。

また船に同乗していた台湾総督府の役人から、
『台湾で子豚を集めて農家に委託養豚をさせ、
成豚になったのを買いあげている』ときくと、
『清水、内地へ帰ったら、すぐ子豚を農家に預ける方法を考えよ』
となんでもやらされ、おかげで鰻の買い方から、
ブラシの作り方から、ワイシャツの裁ち方に至るまで、
何でも覚えさせられ、デパートで売る商品のことなら
何でもわかるようになったそうである
デパートを都心部からターミナルに動かしたのも小林さんなら、
ライスの上にソースをかけて食べるソース・ライスを
売り出したのも小林さんである。

日本の実業家の中で、
最も独創的な人を一人あげよ、といわれたら
私なら小林一三を少しの躊躇もなくあげるであろう」(同上)

ちょうどその頃「週刊サンケイ」から連載物の依頼が
ありましたので、邱さんは「財界の鉱脈」と題し
小林一三さんとりあげ、昭和39年の年初から
その評伝を書いたわけです。

3月1日から5月末にかけ
「ミッション・ビジョンメイキングセミナー」
と並行して
「小林一三翁について学ぶセミナー」
を開きます。

これまで経営者に学ぶセミナーとして
クロネコヤマトの宅急便を創業した小倉昌男さん、
ユニクロを創り上げた柳井正さんを
取り上げてきました。

仮に小倉さんや柳井さんのことを
ご存知ない方でも、
クロネコヤマトの宅急便や
ユニクロのカジュアル・ウエアは
私たちの今の生活に密接な関係をもつ
存在になっていますので、
それらを創り出した人に親しみを
感じる人は少なくありません。

その点、小林一三という人の名前を挙げても
その名前を知らない人が大半だと思います。

小林一三さんの名前をご存知ないのは当然です。
小林さんは1873年(明治8年)に生まれ、
1957年(昭和32年)に逝去された方だからです。

しかし、小林さんの名前はご存知ない方でも
阪急電車とか阪急百貨店とか宝塚歌劇団とか
東宝映画のことはどこかで聞かれたことがある
と思います。

小林さんは一代でこれらの事業を創り出された
人で、東京の東急電鉄も小林さんの薫陶を受け
五島慶太さんが開発したものです。

ちなみに元プロテニスプレイアーでスポーツ番組の
司会などをされている松岡修造さんにとって
小林さんは曽祖父に当たります。

小林一三さんのことについては
に簡潔な説明があります。

「自分にとってミッションとは何か?」
「自分にとてビジョンとは何か?」
あるいは
「自分の会社のミッションは何か?」
「自分の会社のビジョンは何か?」
と自問したら、すぐにも気づくことですが、
「ミッション」と「ビジョン」が
どういう関係にあるかがつかみにくい
ということです。

この点について、今北純一さんは次のように
述べています。

「ミッションを辞書で引くと、
『使命』『特命』『任務』とあり、
日本語では『命令されたこと』というニュアンスが
感じられるが、私がいう『ミッション』とは、
『やりたいこと、やらなければならないこと』
つまり『自らが挑戦すべき目標』である」

そして「ミッションとビジョンは一つのセット」で
「ミッションへ到達するまでのロードマップ(道筋)
が『ビジョン』なのである」

つまり「ミッションは挑戦すべき目標」、
他方「ビジョンはミッションに到達するための道筋」
と、「ミッション」と「ビジョン」が一体のものと
説明され、頭のモヤモヤが解消されます。

そして、今北さんは経営論のみならず、
「個人としてのミッションを持つことが重要である」
と人生論のなかに踏み込み、この考えに忠実に
生きてきた人生体験についても述べておられます。

私はこうした今北さんの意見と体験に触れ、
僭越ながら、この著者の話は信用できると感じ、
今北さんの一連の著作を一気に読み通し
ミッション、ビジョンについての理解が深まり、
視野がひろがりました。

これが3月から5月にかけて
「ミッション、ビジョンメイキングセミナー」
を開設することにした舞台裏です。

「ミッション」や「ビジョン」という概念を
身につけ、自分が進めべき目標や
そこにたどりつくための道筋を明らかにしたい
と思われる方はどうぞ、ご参加ください。

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