2009年06月

テムズ河には何本もの橋がかかっています。
その一つである“ロンドンブリッジ”を歩いて
テムズ河を渡りました。

橋の袂には古い教会があります。
いま地図で確かめると、“サザーク大聖堂”という
800年もの歴史がある建物だという説明がでています。

この教会の前に小さなレストランがあります。
その前で、屈強な料理人が、大きな丸いおなべに
サフランで着色したのでしょか、
黄色くなったお米と大きなエビを
かき混ぜています。
スペイン料理のパエリアです。

それがおいしそうに思えたので、
二人分注文し、レストランの前の
小さな庭に置かれたテーブルでいただきました。

お昼時なので、小さな庭に人が一杯です。
そんななか、アジア系の顔立ちの女性が
「この席に坐っても良いです」
とたずねられ、「どうぞどうぞ」と応えました。

この女性には、つれあいである
ヨーロッパ系の顔立ちをした男性、
一歳くらいの父親似のお子さん、
そして、女性の両親と思える
アジア系の年配の男女がついていて
これら5人の方々と一つのテーブルを
囲むことになりました。

黙っているより、ご挨拶しながら、
食事をした方が楽しいと思い、
このアジア系の女性と少しばかり
お話させていただきました。

戸田:「私は日本人で、昨日、ロンドンについた旅行者です。
    失礼ですが、あなたは中国人ですか?」

女性:「いいえ。私はタイ人です。イギリス人の
    男性と結婚し、ロンドンから少し離れたところに
    住んでいます」

戸田:「こちらの方々はおなたのご両親ですか」

女性:「はい、そうです。今回、タイから呼び、
    3週間ほど、滞在してもらいます。
    今日は5人でロンドンに出てきました」

戸田:「ご両親に、お孫さんやこちらでの生活を
    見ていただき、親孝行ですね。
    ご両親もさぞかし、お喜びだと思いますよ」

女性:「ありがとうございます。そうだとうれしいです」

見知らぬ国にきて、当地の人と結婚し、
子育てされているだけあて、コミュニケーション
力が豊かで。しっかりされているという印象をうけました。

またタイからやってきた彼女の両親は、
英語は全く話せない様子でしたが、
私と娘さんがどんなことを話しているか
容易に想像できるようで、私の方を向いて
にこやかな表情を送ってくれました。

ほんの、つかの間の短い時間でしたが、
当地で生活をしているタイ人女性一家と
少しばかり、心を通わせることができました。

私たちの方が先に食事を
済ませましたので、お別れのご挨拶をして、
次の目的地、シェイクスピア・グローブ座に
向かいました。

ロンドン大火災記念塔まで来れば、
テムズ河が近いはずと思って、
南の方向に進むとまもなくして
前の視界が大きく広がりました。

地図で確かめたら、テムズ河にかかる
“ロンドン・ブリッジ”という橋の入り口に
に出てきたことがわかりました。

幅がとても広い橋です。
土曜日だったこともあると思いますが、
私たちと同じように、
テムズ河の向こうに進む人、
またテムズ河の向こうから、
こちら側にくる人で橋の上は人でいっぱいです。

橋の左側を見ると、
“タワー・ブリッジ”が見えます。
ゴチック様式の跳ね橋で、
ロンドンのランドマークとして
しばしば写真でおめにかかっている橋です。

テムズ河が水上交通や交易の主役であった
19世紀に30分ごとに上がっていたそうです。
この“タワー・ブリッジ”方向に目を向けると
テムズ河よりに“ロンドン塔”が見えます。

1066年、現在のイギリス王室の
開祖であるウイリアム征服王の時代から、
王宮や貴族の牢獄、処刑場として、
英国史の舞台となった建物です。

一方、対岸の方には軍艦が浮かんでいます。
ベルファスト号という船で、
1938年(昭和13年)に建造。
ノルマンディー沖や第二次世界大戦で
活躍し、極東にも赴いたという
経歴の持ち主で、いま、子供たちに
人気のアトラクションになっていのだそうです。

といった具合で、テムズ河周辺には
歴史的な記念碑がたくさん目に入ります。

ロイズ・オブ・ロンドンを見たあと、
私たちはテムズ河に出たいと思い、
南の方向に下りていきました。

先に訪れたイングランド銀行や旧王立取引所
を通り過ごすと、大きな塔があり、
人が集まっています。

何だろうと思って地図で確かめたら、
ロンドン大火災記念塔
(Monument to the Great Fire of London )
で、塔の下まで行きました。
この塔は有名な建物のようで
塔の上から見下ろしている見物客がいました。

あとで知ったことですが、
この塔が記念するロンドン大火
(The Great Fire of London)とは
1666年にロンドンで起こった大火のことです。
1666年といえば、日本は江戸時代で
第4代将軍、徳川家綱の時代です。

このロンドンの大化はパン屋さんのかまどから
火が出、、その火が燃え広がって4日間にわたって
燃え続け、ロンドン市内の家屋のおよそ
85%(13,200戸)が焼失したのだそうです。

そこまで大火災になった原因は
家屋のほとんどが木造で、街路も狭かったためで、
この火災をによって、中世都市ロンドンが焼失し、
以降、木造建築が禁止され、家屋は全て
煉瓦造または石造とされ、また道路の幅員についても
規定されたとのことです。

ちなみに、今回の旅行に
「17世紀、イギリス紳士の生活」
という副題がついた『ピープス氏の秘められた日記』
を持っていきましたが、この本には、
このロンドンの大火災が起こった時のことが
書かれていて、この大火が起こったときののことが
詳しく書かれ、江戸時代のロンドンの人たちの
暮らし向きを理解することができます。

私たちがロイズ・オブ・ロンドン
(ロイズ保険会社)を訪れたのは
土曜日ですので、辺りに人通りはありません。

そんななか、ロイズ・オブ・ロンドンの
高いきなビルを見上げているとき、
二人のアジア系の若い女性が歩いてきました。

このあたりに住んでいて
今散歩中といういでたちです。
私が彼女たちに英語で
「この辺にお住まいですか」と聞きましたら、
彼女たちはにこやかな表情になり、
二人のうち、背の高い方の女性が
「いえ、旅行中です」と応えてくれました。

「私たちは日本人ですが、
同じように旅行中です」と話しますと
その女性が
「私たちは中国人です。
自分たちは大連からイギリスに留学してきています。
ロンドンから少し離れた学校で勉強していて、
今日はロンドン見学に来ています。
私は英語と日本語が少しできます。」
と応じてくれました。

もう一人の背の低い方の中国人女性は
英語も日本語もわからないようですが、
突如、携帯電話で誰かと話しかけました。
背の高い女性が通訳してくれたのですが、
彼女の“お姉さん”がいま日本の大阪で
働いていて。電話口にでているので
お話してくださいとのことです。

言われるままに、電話に出、妻も私も
大阪で働く“お姉さん”とお話しましたが、
さすがにお姉さんは日本語が流暢です。

そんなことで、イギリスで働く中国人留学生との
にわか交流が生まれましたが、彼女たちは学生とのこと。
とっさに“加油”という中国語を思い出し
紙に書きましたら「日本語で言えば『頑張れ』ですね」
と背が高い方の女性が応じてくれました。

一緒に写真をとり、あとで送りますと答えました。
アドレスを聞いていますので、これから
写真を送ることにしましょう。

日下公人さんが『食卓からの経済学』で
ロイズ保険会社が喫茶店から始まったことを伝える
文章の続きを抜粋させていただきます。

「コーヒー・ハウスは危険人物のたまり場と看做されていた。
そういう連中が保険を始めたのだから、
世間の人たちが、『怠け者たちが、額に汗して働かずに、
しかも他人の不幸をタネに金儲けをたくらんでいる』と
見たのも、無理からぬことである。

また彼らが適正な保険料を決定するために知恵を絞り、
それから200年たってみると、善人のやる商売ではないと
言われた保険業の過去を覚えているものは誰もいない。

それどころか、保険会社は立派な仕事と思われている。
保険料率の決定も、昔はバクチや賭けにおける
オッズ(倍率)の一種であったのが、今は
情報処理工学とかの名称で呼ばれる学問の対象となった。

何という変わりようだろう。
ちなみに、かのロイズ社の本社ビルの内部には、
16世紀のロイズ・コーヒー・ハウスと同じものが
一部屋造られており、『わが社のスタートは
この喫茶店からはじまりました。
どうぞコーヒーを飲んでください』と案内される。

ロイズは今ではコンピュータの端末で
外国為替や株を売買するシステムを世界に
売買しているが、それもかのコーヒー・ハウスが
ご先祖だと思うと感無量である。」
(日下公人『食卓からの経済学』)

さて、ロイズ社の社屋は“シルバーカラー”の大きな
建物で、ある著名な建築家が設計したもので、
今のロンドンの建築物を代表する一つに
数えられているようです。

私がそこを訪ねたのは土曜日で、
残念ながら中に入れす、18世紀の
ロイズ・コーヒー・ハウスでコーヒーをいただくことは
できませんでしたが、新しいビジネスが生まれ
それが次第に発展する歴史にふれることができ
私としては満足でした。

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