渡部昇一さんは『『続・知的生活の方法』で
昨日引用した文章に続けて次のように書いています。
「ヒュームの自伝は長いものではないが
その中にくり返しでてくる単語は、
『独立Independency(インディペンデンシイ)』とか
『独立したIndependent(インディペンデント)』
である。
この『独立した』という言葉は、いまでも
英米人と話すときはよく出てくる。
われわれが『独立した』といえば、
植民地であったところが主権を回復するとか、
今まで親の仕送りで生活していたのが、
主権を回復するところが、今まで親の仕送りで
暮らしていた人が、自分で働くようになった
ばあいをさす。
植民地の独立というばあいはそれでよいのだが、
親の仕送りなしでやていくことを『独立した』
というのは、英語の『独立した』(インディペンデント)
とだいぶ内容がことなってくる。
会社や官庁に勤めて給料をもらって
生活するということは、『自立』かもしれないが
英語でいう『独立』ではない。
英語で独立したというのは、
いわゆる不労所得めいたものでも生活できる、
ということである。
たとえばイギリスやアメリカの
大学などで同僚の噂話をして、
『彼はインディペンデント』
といえば、親の遺産とか、なにかがあって、
大学からもうらう給料をあてにしなくても
良い身分だ、ということになる。(中略)
不労所得で生活をする、ということは、
現代の通年では、よくないことのようにおもわれる。
しかし、不労所得の人間がいなければ、
文化も思想も発達しなかたことも確かなのである。」
不動投資をするのがいいのかどうか、
迷っていた頃にこの文章を読んだことは
私にプラスの影響を与えました。
「不労所得で生活する」ということに
私なども、多少、ためらいを感じていたのですが、
この文章を読んで「知的生活」には
むしろ「不労所得が必要なのだ」と
考えるようになりました。