解説員の方のすすめで、
私たちは「渋沢栄一記念館」を出て、
玄関の裏手に出ました。
そこには平野が広がり、その向こうには
山の峰々が連なっています。
まん前の高い山が赤城山で、
その左手に見えるのが浅間山、
右手に見えるのが男体山(
日光の近くの山)だと解説員の方が
教えてくださいました。
そして目には見えませんが、
近くを利根川が流れていて、この辺は、
利根川の氾濫に何度も会い、
土壌は砂地だと教えられました。
そう聞いて、土がさらさらしていて
ネギなどの栽培が盛んであることが
飲み込めました。
帰宅してから、深谷市の地図を開くと
栄一翁が育った場所は、埼玉県の南の端で
近くを利根川が走り、その向こうは
群馬県であることを知りました。
さて、記念館からそこから、
渋沢栄一翁の生地「渋沢・中ノ家(なかんち)」
は歩いて10分ほど先にあると教えられました。
すぐに行こうとしたところ、解説員の方から
先に「鹿島神社」を訪ねるように言われ、
歩いて一分ほどの場所にあるこの神社に
行きました。
神社の境内の中に、朽ちた大きな欅の根元があり、
ここが昔、共同浴場で、栄一翁の母親が
らい患者の婦人の背中を流した場所であることが
わかりました。
その後、強い向かい風を受けながら栄一翁の
生地に向かいましたが、食事ができる店が
ありましたので、昼食をとりました。
お客は私たちだけではなかろうかと思って
入ると、地元では有名な店なのでしょうか、
大勢の人たちで賑わっていました。
お店の方のアドバイスに従って
注文したところ、出された料理の中心が
“煮ぼうとう”というこの地域の郷土料理で、
幅の広に麺と深谷ねぎ、それにニンジンなど
根菜類が入り、煮込まれていて、おいしかったです。
後で知ったことですが、栄一翁も好んで食された
とのことです。