2008年07月

前回、「上達の普遍的な論理」という齋藤孝さんの
考えを紹介しましたが、「普遍的」とは
どういう意味なのだろうかとふと疑問に思いました。

一般に「普遍的」とは「すべてのものに共通する」とか
「すべてのものにあてはまる」とかの意味ですが
この言葉と「上達」が私の頭ではうまく
結びつかなかったのです。

そこで齋藤さんの『「できる人」はどこがちがうのか』
を何度か読む続けていると、次の文章に出会いました。

「『上達の秘訣とは、特定のジャンルにおける
上達ということではない。
むしろある領域での上達の体験が核となって、
他のジャンルの事柄にチャレンジした時にも、
その上達の体験を活かすことができるような力。
それが上達の秘訣につながる。

たとえば、部活での上達の体験や
受験勉強での向上の体験が、
仕事に就いた後にまったく活かされなければ、
その人は上達の秘訣を身につけているとは言い難い。

対照的に、部活などあまり上達をしなかったとしても、
そこでの成功や失敗の体験を普遍的なものとして
自分のなかで認識し、他のジャンルの活動をする場合に
上達の論理として活かすことができるならば、
その人は、上達の秘訣を身についていると言う
ことができる」(『「できる人」はどこがちがうのか』)

この文章に出会って、なるほどと思いました。
一つの分野で身につけた方法が、他の分野でも
活用され、広くすべての分野で通用するものだという
意味で「普遍的」という言葉が使われているのだ
ということに気づいたのです。

以来「上達」と「普遍的」の二つの言葉が
私の頭のなかで違和感無く、ごく自然に
結び合わされるようになりました。

「親が子に伝えていくべきものとは何ですか」
と聞かれたら言葉に詰まる人が多いと思います。
私などもそうです。

この点について齋藤孝さんは
次のように述べています。
「親が子供に伝えるべきのは、
『上達の普遍的な論理だ』だと思う。
どこの社会に行っても、そこで上達の筋道を
見通してやっていくことができる力。
この力を子供たちに身につけさせることができれば
(子供たちの)不安はかなりな程度
軽減できるのではないだろうか」
(『できる人はどこがちがうのか』)

「上達のコツを掴んでいれば、
初めてやる仕事に対しても、
自身を持って取り組むことができ、
結果として成功する。

上達への確信がないままだと、
退屈な反復練習をする期間に耐えられず、
途中で挫折しがちになる。

諸活動をバラバラな意識で行うのではなく、
それらを通して上達のコツを掴まえるという
目的意識をもって行う。

こうした上達の普遍的論理への
意識を喚起し続けるのが、親や教師の
主な役割なのである。」(同上)

さて、この「上達の普遍的な論理」とは何でしょう。
この点について齋藤さんは
「様々な答が考えられるが、私の考えは
基礎的な三つの力を活用しながら、
自分のスタイルを作り上げていくことである。
基礎的な三つの力とは「まねる〈盗む〉力」
「段取り力」、「コメント力」(要約力・質問力を含む)である。

こうした力をある程度身つけ、
それを活かしながら自分にあったスタイルを探し、
自分の得意技を見定めて、そのスタイルへ統合していく。
これが私の考える『上達の普遍的な論理』である。」
(同上)

文中で述べられている「上達の普遍的な論理」とか
「基礎的な三つの力」とかについては
のちほど説明することにします。

教育学者である齋藤孝さんはその著書、
『できる人はどこがちがうのか』とか
『子供に伝えたい〈三つの力〉』で
「21世紀において、人間が身につけるべき
基礎的な力は何か」について、
ご自身の考えを述べておられます。

身につけるべき基礎的な力として考えられるのが、
「生きる力」、「想像力」、「個性」、「人間力」、
「コミュニケーション力」、「対話力」といった「力」です。

これらの「力」は大事なもので、
誰も否定しようのないものですが、
「あまりに抽象的すぎて
具体的に何をしたらいいかがわからない。
人によってうけとるイメージが多義すぎて、
共通の認識が形成されにくい」(『子供に伝えたい〈三つの力〉』)
と齋藤さんは述べています。

その対極にあるのが「計算力」、「漢字力」、「走力」
といった「力」です。
これらの「力」はきわめて具体的で、測定することができ、
「力」を伸ばすためのトレーニング・メニューも用意できますが、
「あまりにも具体的すぎて、
異なる体験をつないでいく力を持たない」(同上)
と齋藤さんは述べています。

そして両者の間に立つ中間項次元の力として
齋藤さんは
①「技や方法をまねる〈盗む〉力」
② 段取りを作る「段取り力」
③「要約力」とか「質問力」を含む「コメント力」
という三つの力を設定されました。

この三つの力については個々に説明が必要ですが、
齋藤さんは次のように説明されています。

「この三つの力は既に日常生活の中で
働いているもので、『段取り力』とか『コメント力』という
視点から光を当てることで、自分がなんとなく
やってきたことの中に新しい意味を見出すことができる。

また、個性や人間性をクリアに比較することはできないが、
『段取り力』とか『コメント力』はクリアな比較が可能で
質の高さを比較検討できる。

更に、基礎的な力をこのように設定することで
それぞれの力を伸ばすトレーニング・メニューが
考えやすくなる」(同上)と。

どういうことでも、自分がやっていることとか
興味を持っていることは、上手くなりたいものです。

この上手になること、つまり上達について
齋藤孝さんは『できる人はどこがちがうのか』(2001年7月〉とか
『子供に伝えたい〈三つの力〉』(2001年11月)とかで
その原理について述べておられますが、
齋藤さんによれば、上達を支えるものは
“あこがれ”だとのことです。

この齋藤さんのご指摘は邱永漢さんにあこがれ
邱さんのように逞しく生き続けたいと考えて、
自分なりに実践してきた私などには納得がいきます。

邱さんご自身、『朝は夜よりも賢い』という著書の
17章「知恵は借り物でも知恵である」で
次のように書いておられることを思い出しました。

「いくら難しい世の中になったといっても、
私たちの目の届く範囲内には、
必ず指標になる人がいるものである。
成功例もあれば、失敗例もある。

また『あの人のようになりたい』といえば
『あんな人になりたくない』という人もある。
そのいずれも役に立つもので、
失敗例はどうして失敗したのか、
成功したのはどうして成功したのか、
いずれも生きた研究対象といってよいだろう。

もちろん、習うとすれば当然、
成功した例に習うべきで、ふだんのつきあいだって、
成功した人とつきあうに限る。(中略)

ただし、なりふりかまわず、
徹底的に真似しようとする熱意が必要であり、
また人に何と言われようと、
徹底的にやるだけの面の厚さも必要である。

つまり『人を真似するのも知恵のうち』であって、
子供の知恵のつきはじめは
大人の真似であることからもわかるように、
先覚者の真似をすることからはじめれば、
やがて真似の域を脱することもできるようになるのである」
(『朝は夜よりも賢い』)

あなたの”あこがれ”の対象はどなたですか。
もし”あこがれ”の対象をお持ちでなかったら
探し出すようにされたらいかがでしょうか。

一昨日、私は名古屋でセミナーを開きました。
この時、私がいま齋藤孝さんから学びつつあること
を紹介しましたが、参加されていたある経営者の方から、
「齋藤さんの考えを勉強する上で、一冊挙げるとすれば
どの本が良いですか」と聞かれました。

私は即座に、「『ビジネスハンドブック』(正式なタイトルは
『まずこのセリフを口に出せ!! ビジネスハンドブック』)です」
と答えました。

この本は、題名が示しているように
ビジネスマン向けの具体的なアドバイス集で
仕事の実践の場で役に立ちますし、
齋藤さんの考えが網羅されています。

ですから、「この本から始めて、
関連する本を読み進めることで、
齋藤さんの考えを広くそして深く
勉強することができます」と付け加えました。

ところでこの本にページを開くと
次のようなアドバイスが書かれています。

「気合を入れろ、腹から声を出せ」
(仕事の構えをつくる声だし訓練術)、
「ちょっと歩いて歩いてアイデア出します」
(脳と身体を刺激する歩く力)
「すみません。少し身体ゆすります」
(脳みそを回復させる仮眠法)
「・・・・までに・・・・・をやります」
(目標を達成させるマネジメント力)

こうしたアドバイスは、前回紹介した、
「身体を基盤に心を整え、頭を活性化」
という考えを具体的に示すアドバイスです。

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