2008年06月

私が7月に訪れる台湾を訪れます。
台湾は日本から約3時間で着き、
九州より少し小さいくらいの島です。

台湾は島の南の方から、西側にそって、
台北 (264万人 )、 台中 (88万人)、
台南 (71万人)、 高雄 (149万人)と
台湾を代表する四つの大きな都市が並んでします。

台北は台湾で一番の大都市、
台中は近代的なビルが立ち並ぶ商業都市、
台南は台湾のなかで一番古くから開けた都市
そして、高雄は世界有数の港と空港を持つ
台湾第二の都市で、これらの都市は
2007年3月から開業された高速鉄道で結ばれています。

私はこのうち、台北と台南を訪れるのですが
台南は台北から高速鉄道で2時間の距離です。
日本で言えば東京から名古屋の距離ですね。

私は初めて訪れる街はいつでも
インターネットで、訪れる街の地図を見、
訪ねたい施設の内容や位置、
そこに行くための交通手段を
調べます。

今回も台北と台南の二つの都市について
調べましたが、ともに丁寧な案内が
提供されていて、初めて訪れる者にとっては
とても便利です。

こうしたことから、台湾の人たちが
外国から訪れる人たちの誘致に
力を入れていることがよくわかりました。

台湾訪問の計画を立てるに当たり、
妻に「7月25日に台湾に行くことにしたど、
どこに行きたい?」と聞いたら、
「故宮」という答が返ってきました。

3年前でしたか、北京を訪ね、
「故宮」を訪ねましたが、その時、
「故宮」に収められていた
「宝物」を見ることができませんでした。

また北京の「故宮」に納められいた、
「宝物」のあらかたは、蒋介石によって、
台湾に運ばれたことを改めて知ったわけですが、
妻は、台北にある「故宮」を訪ねた母親から
「素晴らしかった」と聞いています。

ということで妻は台北の故宮博物館見学を希望し、
私も「台湾といえば、やっぱり故宮博物館なんだ」
と納得しました。

そこで7月26日は朝から、
故宮博物館を訪れることにしました。
ゆっくり見たら、一日くらいかかってしまう
とも聞いていますが、見学時間は 
半日くらいにして、そのあと、
①228事件の様子を伝える228祈念館、
②かつて台湾が日本の植民地だった頃、
「台湾総督府」で、現在、台湾の行政府の
執務室となっている「台湾総統府」
③かつて邱永漢さんが通われた台北高校を継ぐ
台湾師範大学を訪れます。

また、④現代世界最高水準の高さを誇る
「101」に行き、展望台から台北市内を一望し、
夕食は「邱大楼」の地下にある「寿楽」で
いただきます。

翌27日は、台湾の昔の都であり、
邱さんの故郷である台南市を訪れます。
台北から新幹線に乗って、台南に向かい
オランダが統治した頃に築造された
⑧「安平古堡」や、その傍にある
⑨「永漢民藝館」などを見学します。

また、邱さんが通われた
⑩「南門小学校跡」も訪れ、
邱さんお薦めの「阿霞飯店」で食事をし、
台北に戻るというスケジュールです。

この旅にご興味のある方はどうぞご参加ください。

香港でも、北京でも、上海でも
あるいはホーチミンでも
初めて訪れる時は見て回る場所として
どういう所があるかのかを
調べるところから始めます。

しかし、台湾ということになると、
まだ行ったことはないいのに、
見所としてどういうところがあるか、
だいたい、頭に入っています。

というのも、邱永漢さんの本、
それは昭和30年頃から
平成20年の今日まで
約50年強にわたりますが、
それらの本の中には
台湾の各地が登場するからです。

例えば、台湾の旧都、台南は
邱さんが生まれてから小学校6年生まで
12年間の年月を過ごされたところで
その頃の思い出とか、また
昔、台湾で使われた様々な品が寄贈され、
いま陳列されている永漢文藝館のことなど
折々の文章に書かれています。

また台湾の首都、台北は
邱さんが台北高校の尋常科から高校まで
過ごした所ですし、大東亜戦争終結後、
東大の大学院を中退し、銀行員として
働らかれたところで、何といっても
邱さんの人生を決定づけた228事件が
勃発した所です。

それから20数年の年月を経て、
邱さんは国民党政府に乞われて故郷に帰り、
台湾再建に全力を尽くされ、今に至りますが
邱さんは台湾全土で様々な事業を展開されています。

こうしたことが、頭に入っていますので
私にとっては、台湾の中にどういう施設があるかを
調べる必要はほとんどありません。
調べる必要があるのは、それらの場所が
どういう位置にあるかを地図と照らして
確かめることです。

そのため、よし、台湾に行くぞと決めた日
台北と台南の地図を前にして、
できればここは行きたいなあと思う施設の
位置を確かめたら、その日のうちに、
だいたいの見学プランが決まりました。

普通は初めて外国の地を訪れる場合は、
旅行プランのアウトラインを決めるのに
だいたい1週間くらいはかかります。
それがたった一日で旅行プランが決まりましたので
自分にとって、台湾がいかに近しい存在に
なっているかを強く感じました。

台湾訪問は息子や娘に先を越されてしまいました。
どうしてそういうことになったのだろうかと考えると、
私が愛読する邱永漢さが、昭和50年代後半からは
アメリカ、続いて香港、そして中国本土に関心を寄せ
台湾を投資対象の地域として紹介することは
なかったからです。

そのため、私はアメリカには縁はありませんでしたが、
香港に関心を寄せたし、中国本土の動きにも関心を寄せ、
香港は17年ほど前に。そして北京や上海には
15年ほど前に足を踏み入れました。

以来、香港や北京や上海を訪れるようになりましたが、
中国の工業化に関心を持って眺めていますと、
その担い手になっているのが台湾の人たちだ
ということに気づきます。

そこで、広東省の珠江工業地域の
東莞には台湾人の子供たちの学校が
設けられていると聞き、ここを訪れました。
そても活気のあるところでした。

また長江経済地域の昆山というところにも
同じように、台湾人の子供たちの学校が
設けられていると聞き訪れ、昨年のこと、
昆山を訪れ蘇州にも足を伸ばしました。
これら地域はとてもスケールの大きな
工業ゾーンであることを知りました。

そして最近は台湾の会社自身も
中国の経済発展に支えられて拡大し、
世界的な企業に発展している会社も
多いことを知るようになりました。

ですが、台湾本土を訪れることは
今までありませんん。
近くの香港やベトナムには行っているのに
中国の経済のリード役になっている
台湾企業の母国に行っていないというのは、
いかにも片手落ちのような気がします。

ということで、遅くなりましたが、
この7月25日に台湾を訪れることにしました。

今から5,6年前のことになりますが、
次女が仕事の関係で台北に出張することになりました。
「台湾のことが書かれたガイド本のような
本がありませんか』と言われ、そういう種類の本を
自分は持っていないことに気づかされました。

さて、次女は台北に行き、仕事が一段落したあと
ホテルから、「お薦めの場所がありませんか」
とメールで聞いていました。

私は昭和48年であったか、邱永漢さんが
台湾に帰るようになった後に建てた
「邱大楼」を訪ねてみたらと、返事しました。

「邱大楼」には「永漢書局」(本屋さん)や
「寿楽」(日本料理店)など邱さんが経営している
会社がはいています。

次女は私のアドバイスに従い、
「邱大楼」の「永漢書局」を訪れ
私へのお土産として、中国語で
書かれた、邱さんの本を買ってきてくれました。

本に差し挟まれたしおりには
台湾全土に置かれた「永漢書局」の
お店が書かれていました。

さて、台湾・台北から帰ってきた次女に
その印象を聞いたら、
「日本の地方都市の一つという感じでした」
という印象を伝えてくれました。

このような具合で、台湾訪問は
息子や娘に先を越されてしまいました。

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