2008年02月

我が家の次女は希望する
出版社に入ることが出来ませんでした。
ぶらぶらしているわけにもいきませんで
英語教材を販売している会社に入り、
営業の仕事に従事しました。

この仕事は実際にやってみて
自分に合わないと感じ、
会社に入って三日目に
すぐやめたいと妻に言いました。

しかし、妻からせっかく
お世話になったのですから
少なくとも一年は勤めなさい
と言われ、次女は妻の言葉に従いました。

先日の結婚披露宴にその時の
同僚で我が家にも遊びに来てくださった
お嬢様二人に出席いただきましたので
そうした友達を得るという楽しみは
あったようです。

ですが、次女はなんとか
心から楽しんで仕事ができる
職場を求め、新聞の就職案内欄を見続け
医療研究機関でスタッフが募集されている
ことを知りました。

どうして、そういう方面への就職に
関心を寄せたのか、本人に
聞いたことはありませんが
長男が医学部に進み、この方面で
研究活動を続けていますので
多少、親しみを感じたのかもしれません。

そして、面談の後、めでたく
その医療研究機関に
転職することが決まりました。

この研究所で指導を受けるようになったのが、
当時所長をされていた新井賢一先生です。

我が家の次女は小さいころから
本を読むのが好きで、私が使っていた
大きな本棚を彼女に譲りましたが、
いつも本で満杯になっていました。

また大学生の頃には料理に興味を持ち、
ある料理研究家に学びましたし、ある時は
私がある日本料理店の経営者に頼んで、
銀座にある店舗で配膳のアルバイトをしました。

そうしたことをしているうちに
大学生活も4年目になり、
就職先を選ぶ時期がきました。

次女が希望したのは出版社で、
出来ることなら料理の専門図書を
発行している出版社に入りたいと願いました。

実際にこれはと思う出版社を複数選び
それらの会社への入社試験を受けました。
試験はどの会社でも何次かに分かれていて、
次女ははどこの出版社でも最終面談まで
進みました。

しかし、残念なことに、判で押したように
最後の面接のところで
不合格の憂き目に会いました。

でも一番入りたいと思っていた
料理専門の出版社へ試験は最後で
次女はこの会社への入社試験に
望みを託しました。

この会社でもそれ以前と同じように
最後の面接まで進みました。
次女は私に採用担当の人から
これこれのことを言われたと伝えました。

私もかつては採用を担当したことがあり、
その時の体験から、採用担当の方の
言葉は合格したことを暗示する
サインのようなもので、
実質入社したも同然だよ思い、
次女にもそう言いました。

しかし、結果は私の予想を裏切るもので
次女は望みを託した会社への入社の夢を
叶えることが出来ませんでした。
次女は人生の緒戦で辛酸をなめさせられ
どうしたら良いのか、途方にくれました。

我が家の次女が大学時代に
興味を持ったのことの一つは料理です。

手にすることのできる料理の本は
片っ端から読んだようでした。
その中には私の本棚に並んでいた
邱永漢さんの『食は広州に在り』、『象牙の箸』、
『食前食後』の料理本シリーズ,
加えて『奥様は料理がお好き』、
『食指が動く』、『邱飯店のメニュー』
があります。

ある頃から急に、娘が邱永漢さんについての
感想を話すようになりましたので、
邱さんの料理の本を読み出したようだ
と感じるようになりました。

ただ、娘は料理の本を読むだけでは
物足りないと感じたようで、
藤沢の隣の鎌倉で料理を教えておられる
料理研究家の教室に通うようになり、
プロの人たちの間に入って料理術の習得に
励むようになりました。

その頃から私の本棚に大切に保管していた
『母から娘に伝える邱家の中国家庭料理』
という写真入りの美しい中国料理の本が
台所の棚に移りました。

娘はこれらの“料理実践本”を片手に
料理をつくるようになりました。

こうした料理への傾倒に続いて
起こってきたのはイギリスへの関心です。

娘は家庭教師などのアルバイトをして
お金をためるようになり、
ためた少しばかりのお金を持って、
同じようにイギリスに憧れの気持ちを持つ
友人と連れ立ち、在学中に、3度ばかり
イギリスに長期旅行をしました。

このように次女の大学生の頃のことを思うと
料理とイギリスへの関心が思い出されます。

私は昭和43年生まれの長男が
高校に通う時期に合わせ、
昭和59年に藤沢市に家を建て、
以来、家族はこの地で生活するようになりました。

私は転勤が日常茶飯事になっている会社に
勤めていましたが、子供たちは親の転勤に
左右されず、定まった場所から学校に通えるように
するのが良いと考えてのことです。

このため、先日に結婚した次女は
藤沢市の地元の小学校、中学校で学び
湘南高校に進みました。

次女は本を読むのが好きなので
高校では文芸部に属し、
その時の大の仲良しであった友人が、
先日の結婚披露宴で、その頃のことを
話してくださいました。

さて高校から大学に進むには
受験の関門があります。
受験については私自身に
多少の心得がありますので
長男も長女も私が手ほどきしましたが、
次女も同様に私が受験指導をしました。

受験科目の中で
私が一番得意なのは英語です。
英語については社会人になてからも
少しばかり、勉強しています。
そこで、次女への英語勉強に
力を入れました。
そのためかどうかはわかりませんが
次女は英語が好きになりました。

ということで娘は大学は
英文科に進むことになりましたが、
英文学科と言えば、私などの頭に
すぐに浮かぶのは
上智大学の渡部昇一先生です。

その関係で次女は
上智大学の英文科に進むようになり
渡部先生との共著がある先生の指導を受けて
英語の勉強をするようになりました。

先日もその先生からお祝いのお言葉を
いただき、また在学中、一緒にイギリスを
旅した友人からも祝辞をいただきました。

我が家には長男、長女、次女の
3人の子供がいますが、一昨日の2月23日、
末っ子である次女の結婚式が東京都文京区の
フォーシーズンズホテルで行われました。

この日は大安とかで11組もの結婚式があり、
朝から、夜まで結婚式のラッシュのようですが、
うちの次女の結婚式は15時からで、
披露宴は16時30分からです。

私と妻と次女は朝早く藤沢市の自宅を出て
池袋に向かい、ホテルに着きました。

私の郷里は兵庫県の淡路島で、
妻の郷里は和歌山県和歌山市です。
そのため淡路や神戸や和歌山方面から
親戚が前日からかけつてくれ、
私と妻は結婚式が始まるまでの間、
親戚との話を楽しみました。

結婚式のあとは披露宴です。
うちの次女は東京大学名誉教授で
バイオ関係の会社の社長をされている先生のところで
仕事をさせていただいています。

そのため、娘の方の主賓の祝辞は
その先生がお話しくださいました。

先生はバイオテクノロジーの分野で
地球規模でご活躍されている方で、
娘はそのおかげで、アメリカ、中国、韓国、
インド、ベトナムなどに出張する機会を
いただき、先生はそうした娘の活動について
お話くださいました。

また次女は上智大学文学部に通い、
英文学の先生にご指導いただきましたので
その先生に学生時代の思い出話を
お話いただきました。

さらに大学時代、一緒にイギリスに旅した
友人がその時の話や我が家を訪ねて妻の
料理を食べた時の話をしてくださいました。

次女は高校は地元の湘南高校に通い
文芸部に属しましたが、その時の友人が
スピーチしてくださいました。

親としては子供の知らない面を
教えていただく楽しい話の連続です。

そんなことで、我が家の子供たちの
飛び立ちのトリをつとめる末娘の
結婚とその披露の一日が
あっという間に過ぎました。

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