2007年04月

今回から、邱永漢さんの友人であった
高島陽さんの人生について
私が調べたことをシリーズで紹介させていただきます。

高島さんは「株式投資の名手」とか、
「先読みの達人」とか、「生きがい論」を提唱し、
自ら実践した人とか様々な評価が与えられ、
それぞれ正しい評価だと思いますが、
昭和61年に出版された『社長のめしの種』の
末尾で、高島陽さんのプロフィールが
編集者によって次のように紹介されています。

「氏は異色の経営アドバイザーである。
氏のちょっとした助言によって、
事業経営に、社長個人の財産形成に、
また人生観に大きなヒントを得て
ひとまわりもふたまわりも
豊かになった社長が、実に多い。
氏のモットーは『タッチしてから考える』である。
東名開通前に立地革命を予測して20回実地調査、
オイルショックの時は中東はもとより
北海油田まで足を運んだ。
これまで訪れた工場だけでも、
1,000ヶ所を超える。
足で集めた貴重な情報・資料の中から
“本物”だけを、惜し気もなく経営者に伝える。
そこが、大企業から中小企業まで
数多くの社長に、心底、
頼りにされるゆえんである。」
(『社長のめしの種』)

そういえば邱永漢も、
高島陽さんのことを
次のように評しておられます。
「高島陽氏は足で歩いて自分の理論を
実地で組み立てることを、モットーとしているから
私よりもひどい不在亭主で、
一年のうち家にいる日数は一ヶ月もあるかどうか。
一年間に百五十とか六十とかの都市を
訪れたというからいつ電話をしても
家にいたためしがない。」
(邱永漢著『社長学入門』。昭和49年)

あらためて高島陽という人のすごさが
伝わってきます。感嘆してしまいます。
こういう人がどういう道程を経て
生まれてきたのか、その履歴を
辿らせていただくことにしましょう。

私は、邱永漢さんが信頼できる友人として
おつきあいされていた高島陽さんのご長男、
健一さんとお会いしました。

目的は健一さんが取り組んでおられる仕事を
教えていただき、私の友人達に紹介することでした。
さて、お会いさせていただくとき、
私は愛読させていただいていた高島陽さんの
ご著作のうち2つの本を選んで持参しました。

『“大変”の時が来た』(日本経済新聞社。昭和54年)
と『先見術』(日本経済新聞社。昭和45年)という本です。
前者の『“大変”の時が来た』は私が邱さんの本を
読ませていただくようになった頃に出版されたもので、
邱さんが高く評価されている方がお書きになった本だ
というので、買い、読み、そして参考にさせていただきました。

そして後者の『先見術』は、高島さんの先見の方法を
貪欲に吸収させていただこうと思って、その時点から
10年ほど前に出版されていた本で、この本も
随分役に立ちました。

そういう思い出があるので、大事に保管していて
持参したのですが、健一さんは“化石”のような
父親のファンが登場したと思われたかもしれません。

それから、高島陽さんは、上智大学の
渡部昇一さんが、「生きがい」のことについて
お書きになられた『人間らしさの構造』(昭和47年)
の冒頭の部分でも引用されていまして、
渡部さんは高島陽さんの著作を読み
「生きがい論」に鮮烈な印象を受けたと書かれています。

このことに私がふれると、
「ええ、渡部先生が父のことをとりあげてくださって」
とおっしゃいました。
そんな話から、私が健一さんに
ご尊父高島陽さんについてご質問し、
健一さんがそれに答えてくださるという
形で応答が続きました。

おかげで、私が邱さんや渡部さんの本を
通じて知っていたいくつかの“点”が
一本の糸として結び合わされ、
高島陽さんの全体の映像が浮かび、
「たいへんな人だったんだ」ということがわかり
とても興奮してしまいした。
そこで次回から、高島陽さんの足跡を
追わせていただくこととします。

前回、高島陽さんと邱永漢さんが
親しい間柄であったことをご紹介しましたが
今日は邱さんが『花の中年お金の分別』
という各界の人たちとの対談の本のなかで、
対談シリーズの一番相手に高島陽さんを
選ばれていることをご紹介します。

最近は団塊の世代が定年を迎えていることが
話題になっていますが、今からちょうど20年前は
団塊の世代が40歳を迎えることが
話題になっていました。
そんな頃に行われた対談です。

邱:「このごろ、40歳あるいは40代を
テーマにした本がよく売れるらしいんです。
その理由は、団塊の世代が
そろそろ40歳になるということなんですね。
それはたんに『四十にして惑わず』
といった人生訓じゃなくて
変化の時代にどう対応するかということですね。
それで今日はひとつ高島さんに、あと10年の間に
日本の国がどう変わるか、ということを
お聞かせいただきたいということなんです。」

高島:「先を見るということでは、
われわれが束になっても
邱さんにはかなわないんだから。」

邱:「いやいや、株じゃ高島さんにかなわないんだから(笑)。」

高島:「私は兆しとかなんかで判断する先見術なんです。
邱先生は相場というか、あれはもう、
音が聞こえてくるんでしょう。天の声みたいなものが。」

邱:「いやいやそんなことはないですよ(笑)。
私のは人よりちょっと早すぎるんで、
相場には向いていない。」

高島:「そうそう。邱さんは早すぎちゃう。
私なんかは3ヶ月かは半年先っていうタイミングですね。」

以上のような具合で2人の対談が進行しています。
この対談のタイトルは
「セルプヘルプ術を磨きなさい」となっていますが
こうした対談の一こまからも、邱さんと高島さんは
互いにそれぞれの長所を評価しあう仲であった
ことがうかがわれます。

そして高島さんは株の動き見ることを含め
広く先を見ることにおいて秀でた力を
発揮される方であったことがわかります。

昔、お世話になった高島陽さんのご子息で
現在、未来探求の分野などで
ご活躍されてる高島健一さんに
お会いさせていただきましたが
それに先立つメールの中で
高島健一さんは次のようにお書きになりました。

「『社長のめしの種』お読みいただき
ありがとうございました。
邱先生と父は長く毎月朝食会をして
情報交換、意見交換などを行っておりました。
父は6年前に他界しましたが
邱先生はまだまだお元気でご活躍で
嬉しく思っております。」

こういうメールをいただくと、
私の頭には邱さんの文章の一節が浮かんできます。
「井原隆一、高島陽、長谷川慶太郎の諸氏は、
いわゆる経済評論家の仲間として長年の私の友人である。
私も含めて四人で、『四人会』という
月に一ぺんの朝食会をまわり持ちでやっている。
朝、ホテルのレストランで2時間ばかり
お粥をすすりながらお互いのニュースをもちより
雑談に花を咲かせるだけであるが、
四ヶ月に一ぺんの私の当番の時だけは、
例外的に奥さん連れで、
私の家へ来て円卓を囲むことになっている。
私の家は、コックもいるし、来客があっても
国ならない方だし、どうせいらっしゃるなら
奥様も一緒にどうですかということになり、
奥さんからも楽しみにされるようになった。」
(『死に方辞め方別れ方』。昭和58年)

このあと、邱家で出された料理についての
叙述が続きますが、その引用を続けると
話の中心が”邱家の家庭料理”に
なってしまいますので、
引用はこの程度にとどめます。

この文章で高島陽さんは邱さんと
親しい間柄の関係にあったということが
お分かりいただけたかと思います。

去る4月11日、私がかつてお世話になった
高島陽さんのご子息の高島健一さんとお会いしました。
高島陽さんは、いろいろなところを実際に歩いて
見ることに一年の大半を過ごされた方で
親しい間柄にあった邱永漢さんは
「足で歩いてご自身の理論を
実地で組み立てることをモットーにする人」
と評しておられます。
その高島陽さんの精神を受け継いで
活動なさっていると拝察して、お会いしましたが、
現在、大きくは三種類の仕事をしていると
次のように教えてくださいました。

1つは「耳よりの会」。
東京丸ビルで各界で活躍されている方々をお招きして
話を行く会員制の活動を月一回の割合で開催。

2つは、「社長のめしの種探検隊」。
トレンディーな動きを目で確かめる活動で、
首都圏の動きを見て回るとか
海外の動きを見て回る活動。

3つは「コマースアレー」という名前の
「インターネット勉強会」で月一回の割合で開催。
この活動は、インターネットがどういうものか
全く知られていなかった1995年ごろから
慶応大学の湘南藤沢キャンパスの研究室と
中堅企業にとってインターネットがどう活用
できるかを始め、20社くらいの会社が参加。

このほか、高島健一さんは各地で
依頼にもとづいて講演会活動を行っておられます。

また今年の4月から、『社長のめしの種』の
出版元である経営合理化協会から
「社長のめしの種レポート」と題する
有料の定期刊行物の発行を始められています。

先を読むことに関心をお持ちの方、
どうぞ高島健一さんの活動にアプローチしてください。

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