2006年09月

広州のレストランでおいしい
焼き飯をいただいたあと、
地下鉄に乗って黄砂まで行きました。
黄砂に行った目的は
広州を流れる河を見るためでした。
実際に黄砂につき河の傍まで行きましたが
ちょうどそのころ、雷が鳴り、
雨が降り出しました。

俄かに、道路に水が溢れ出し
その中に足を踏み入れて
歩かざるを得なくなり、困りました。
もっとも日本でも昔は、似たようなことが
あったことを思い出し、次回、再訪したときは
道路事情はかなり改善されているだろう
と思いました。

こうした体験はありましたが
広州の人たちの生活レベルは
中国社会の中ではかなり高いのではないか
との印象を受けました。
というのは広州では街を歩いても
地下鉄に乗っても見かける人は
垢抜けした服装をしていて、
ここは大都会なのだと感じたからです。

そして、中国の各都市の1人当りの
GNPのランクの表などで
広州が高い位置にあったことを
思い出しました。
広州は古くは、中国が外国に対して
門戸を閉ざしていたとき、唯一外国に
開かれた街でした。
そして最近では、ホンダもトヨタも日産も
進出している街ですね。
これを機会に広州のことを勉強し、
今後の動きに目を注ぐことにしようと思いました。

私たち夫婦はメニューを見て
焼き飯などいくつかの料理を注文しました。
しばらくしてテーブルにサーブされた
焼き飯を食べ、自分が子供であった頃、
神戸の元町の広東料理店でいただいた
焼き飯のことを思い出しました。

私は淡路島の北端、
いま本州と橋が架かっている
岩屋というところで育ち、
船と電車に乗って、神戸に
連れて行ってもらいました。

連れて行ってくれたのは父親と
私の家の前で開業していた
橋平さんというお医者さんのご夫妻で、
橋平先生はお子さんが、おられず
私をわが子のように可愛がり、
よく神戸や西宮に連れていってくれました。

父親は商売がたいへんだったのでしょう、
神戸に行っても連れて行ってくれる食べ物屋さんは
働く人が通うようなお店が多かったのですが、
橋平先生が連れて行ってくれるお店は
超一級のおいしい料理屋さんです。

甲子園球場に行ってプロ野球を観たりしたとは
そのあと神戸に立ち寄り、元町で
広東料理店にとく連れて行ってもらいました。

そのときいただいた焼き飯や肉団子が
この世のものとも思えないくらい美味しいものでした。
そのことを今でもよく覚えていて
大きくなってから神戸に行くたびに
夢も今一度とトライするのですが、
小さいころいただいた料理に
出会うことはありません。

ですから、もうすっかりあきらめていたのですが、
広東で何気なく入ったレストランで
焼き飯をいただいたとたんに
神戸の広東料理店でいただいた
焼き飯のことを思い出しました。

味が同じなのです。
やっぱり『食は広州に在り』だと思いました。
そしてどうやって、この広州の味が
神戸に伝わったのかしばし空想しました。

香港経由で神戸に伝わったのだろうか、
あるいは直接伝わったのだろうか、
探求したい新しいテーマが生まれました。

香港を出発し、広州には11時くらいに着きました。
何の準備もないままに来ましたが、
当然のことながら導きのガイドが必要です。
駅の近くのコンビニに入って中国語で書かれた
地図を買い求めました。

この地図を片手に駅前をうろうろし、
昼飯をいただく場所を探しました。
広州の駅前のホテルに隣接するレストランの
看板を見、そこに入りました。

わりに大きなレストランです。
さて、何をどうやって注文するかです。
幸い、小姐(ウエイトレス)さんが
配ってくれたメニューには英語の標記もあります。

たまたま昼までに少し時間もあり
人の入りも少なく、小姐たちも
手持ち無沙汰気味です、
私があれこれ質問すると
いろいろ答えてくださいます。

でも言葉がわかりません。
昔勉強した中国語を思い出しました。
「あなたはどの地方からやってきているのですか?」
という言葉です。この質問を投げかけると
ある小姐は「この広東市内です」と答え
また別の小姐は「広西省です」と答えます。

「広西省って桂林のある町ですね」
と多少、中国に通じているような風を見せると
広西省から来ている小姐はうなづいて
ニコッと笑います。

私はとっさに香港についての
ガイドブックを持ってきており
その末尾に広東語の基本会話が
書き込まれていたのを思い出しました。

カバンからガイドブックを取り出し
末尾に書かれている広東語の会話の
漢字の上にふられているガナに添って
口を動かしました。

すると小姐たちはカナに興味を持ち、
小さな切れっぱしの紙に
自分の名前を書き、カナで書くとどうなるのか
書いてほしいと言ってきます。

おかげで、広州のレストランは
広東語の実地勉強の場と化しました。

香港でのセミナーが終った翌日
私は香港から快速列車に乗って
広州へ向かいました。

電車は深圳に入る羅湖(ローウー)駅までは
ゆっくり走りますが、羅湖(ローウー)駅を
通過すると、途端にスピードを上げます。

前日は高速バスに乗って、
深圳から東莞に入り、
そのあと珠海に向かいましたが、
今回は東莞を通過したあと
広州に向かいます。

東莞までの風景は
前日、バスの車窓から見ましたが
東莞から広州までの風景は
はじめて接するものです。

東莞までは、昨日見たように
煙突のないカラフルな工場をが続きますが、
東莞を過ぎ、広州に近づくにつれ、
大きなタンクや煙突のある
重厚長大型の工場が視野に入ってきます。

私のように北九州や大阪の堺や
千葉の臨海工業地帯の工場群を
見続けてきた者にとっては
なじみのある工場が見えてきます。

中国で重厚長大型の工場の街といえば
重慶などが頭に思い浮かんできますが、
広州付近も大きな工場が立ち並ぶ
工業ゾーンのようだとのイメージが広がります。

そう思いながら車窓から風景を楽しんでいると
右手に”広州HONDA”というの看板がかかった
大きな工場が見えてきました。
また電車道沿いの車道の上を
沢山の車が走っていますが、
車体に”広州本田物流”と書かれた車も
走っています。

私の友人の中には
中国でのマイカーブームの到来を読み
広州本田の子会社であるデンウエイの株を
持っている人を持っている人がかなりいます。

デンウエイの株を買ったものの
株価がいっこうに上がらないと
嘆いておられる人が少なくないのですが
”広州HONDA”の看板がかかる工場や
車を見たら、感激されるだろうと思いました。

香港・シンセンセミナーの最後の日は
一仕事終わったという気持ちになり、
安堵感から、早々にベッドにもぐり込みました。

おかげで翌朝は寝覚めがよく、
すっきりとした気持ちで
朝を迎えることができました。
すると、何故か元気が出てきて、
全く準備もしていなかったのですが、
広州に行こうかという考えが
頭に浮かんできました。

私はセミナーが始まる1日前に香港に入り、
帰るときも1日遅く帰ることにしていて
セミナーの翌日はどう使ってもいいように
していました。

ただ帰る前日の日は
気の向くまま香港の街を動きまわるつもりで、
広州に行こうという考えは全くなかったので
ガイドブックの類を全く持ってきていません。

知ることと言えば、香港から片道電車で
2時間くらいかかるというくらいです。
2時間といえば、新幹線でいうと
東京から名古屋に向かうくらいの時間です。

妻に広州に行こうと思うがどうかと聞くと
ついていくとのことです。
ということで、広州行きが決まりました。

ホテル近くのお粥屋さんで朝食を済ませ、
ホテルに戻ってボーイさんに聞くと、
タクシーで紅磡(ホンハム)駅に行き
そこから広州行きの電車に乗って下さいとのことです。

言われるままに行動し、
紅磡(ホンハム)駅に行き
広州行きの電車に乗りました。
電車はなかなか立派です。

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