後半の人生を迎えた人にとって
これからの人生をどう送っていたら良いかは
とても重要なテーマです。
このテーマについて邱永漢さんは
先日来から紹介している
『私は77歳で死にたい』で
次のように述べておられます。
「私の場合、若い時から
自分の好きなように生きてきたし、
自分の仕事は自分で切り開いてきたので、
年をとってからも
ライフスタイルを変える必要に
迫られないですんでいる。
定年制のある仕事に
従事していない代わりに、
自分がやめたくなければ
いつでもやめられる立場に置かれている。
しかし、それでもあとの残り時間が
勘定のできるところまでくると、
残り時間をどう使うかを
真剣に取り組まざるを得なくなった」。
と言って、平成4年、68歳の時、
邱さんははご自身の本拠を東京から
香港に移したことにふれ、
次のようにお書きになっています。
「人によっては、第一線から隠遁して
余生を送る年齢だろうし、また別の人にとっては、
第二の人生をスタートさせる時期でもある。
たまたま私の場合は、
『賭ける人生』に慣れてきたので、
最後のバクチ場を大陸に移して
『集大成』と言えばカッコはよいが、
『1つの締めくくり』にしたいと
思っただけのことである。
人生の最後の4分の1を自分の選択において
生きるという点では他の人々の選択と
本質的に大きな違いはない。
やりたいことをやり、
悔いをあとに遺さないためなら、
それが道楽であれ、仕事であれ、
『終わりよければすべてよし』
につながっていくのである。」
(『私は77歳で死にたい』1993年)
この文章にある
「『終わりよければすべてよし』に
つながっていく生き方」
という考え方は心に深く響きます。
私などにとっても参考になる考え方です。
これからの人生のあり方を
考える上で1つのヒントになるのです。
これからの人生をどう送っていたら良いかは
とても重要なテーマです。
このテーマについて邱永漢さんは
先日来から紹介している
『私は77歳で死にたい』で
次のように述べておられます。
「私の場合、若い時から
自分の好きなように生きてきたし、
自分の仕事は自分で切り開いてきたので、
年をとってからも
ライフスタイルを変える必要に
迫られないですんでいる。
定年制のある仕事に
従事していない代わりに、
自分がやめたくなければ
いつでもやめられる立場に置かれている。
しかし、それでもあとの残り時間が
勘定のできるところまでくると、
残り時間をどう使うかを
真剣に取り組まざるを得なくなった」。
と言って、平成4年、68歳の時、
邱さんははご自身の本拠を東京から
香港に移したことにふれ、
次のようにお書きになっています。
「人によっては、第一線から隠遁して
余生を送る年齢だろうし、また別の人にとっては、
第二の人生をスタートさせる時期でもある。
たまたま私の場合は、
『賭ける人生』に慣れてきたので、
最後のバクチ場を大陸に移して
『集大成』と言えばカッコはよいが、
『1つの締めくくり』にしたいと
思っただけのことである。
人生の最後の4分の1を自分の選択において
生きるという点では他の人々の選択と
本質的に大きな違いはない。
やりたいことをやり、
悔いをあとに遺さないためなら、
それが道楽であれ、仕事であれ、
『終わりよければすべてよし』
につながっていくのである。」
(『私は77歳で死にたい』1993年)
この文章にある
「『終わりよければすべてよし』に
つながっていく生き方」
という考え方は心に深く響きます。
私などにとっても参考になる考え方です。
これからの人生のあり方を
考える上で1つのヒントになるのです。