前回、渡部昇一さんが『人間らしさの構造』という本で
高島陽さんが提唱する「生きがい論」にふれて
目の覚めるような思いをしたことを伝える
渡部さんの文章を紹介しました。

それに続く渡部さんの文章を
引用させていただきます。
「この高島さんが、サラリーマンに
面白い忠告をしているのだ。
普通のサラリーマンが一生かかって働くと、
5千万から1億円くらいの収入がある。
それを毎月、給料としてもらうと、それから、
先ず下宿代とか食費とか洋服代とかいう生活費を払う。

そして小遣いとして月、2,3千円使うと
いうのが普通の人ではないだろうか。
このような発想法では、一生働いて
総計5千万なり1億円なり働いたとしても
『いったいおれはあの1億円を
どこに使ってしまったのだろう』
ということになりかねない。

これでは何とも情けない、あわれであるので、
高島さんは、収入が多かろうと少なかろうと、
まず最初に『生きがい費』として差し引いて生きる
という生き方を勧めておられる。

そのために日常の生活は切りつめてもよい。
『耐えられないのは、ただ食べて着て寝るだけで、
あたら人生を終わってしまうことだ』
と言い切っておられる。
私は、この言葉を読んだとき
目の前に電光が走るような気がした。」
(渡部昇一「『人間らしさ』の構造」。昭和47年)

高島さんは昭和39年に読売新聞社から
『サラリーマンは日歩三銭』を
昭和42年に東都書房から『この手で行こう』、
講談社から『高島陽の損得学校』を出版されています。
渡部さんはこの三冊のいずれかをお読みになって、
高島さんの生きがい重視の生き方にふれたのだと思います。

たまたま私はこの3冊をこれまで
手にすることができなかったのですが、
最近のこと、国会図書館に保存されていることを
確認しましたのでいずれで向いて、
読ませていただこうと考えています。