昭和39年、41歳の時経済評論家として
独立した高島陽さんはその後、
どのような生活をおくられたのでしょうか。

記録を辿ると、高島さんは
昭和37年、取締役時代、
論争社から出版した『現代の兵法』に続き
昭和39年に読売新聞社から
『サラリーマンは日歩三銭』
を出版しています。

続いて、昭和42年には
東都書房から『この手で行こう』、
講談社から『高島陽の損得学校』の
二冊を出版されあした。

そして昭和44年4月から
NHK『新経済読本』の司会を
つとめられます。

また著作活動は快調で
昭和45年に日本経済新聞社から
『先見術―二歩先を見る眼』を
文芸春秋社から
『一億総素人時代―金儲けのラストチャンス』
昭和48年には日本経済新聞社から
『お先に失礼』、
昭和54年には日本経済新聞社から
『大変の時が来た―どうなる80年代の日本』
を出版されました。

私の場合、この『大変の時が来た―どうなる80年代の日本』が
最初に手にした高島さんの著作ですが、
その本の著作紹介には次のような記述があります。

「一年のうちの300日、
東京を離れ各地を飛び回っている。
カナダのオイルサンド地帯から、
札幌の松山千春のコンサートまで、
世の人の注目するところには必ず足をのばし、
まず自らの目で確かめるということを怠らない。
本書にもそうして得た成果が随所に顔をのぞかせている。
足で仕入れた材料を、証券会社の株式部長時代に鍛えた
先見力で料理するところに、
このマネーメーキングの神様の
余人に代えがたい魅力があるといえよう」。

経済評論家としての高島さんの活動を
手近に知ることができる紹介文だと思います。