私は邱永漢さんの本は1,2冊を除いて全ての本を
もっていますが、邱さんの場合と同じように、
その方の本はほぼ全て持っているという方が数人いらっしゃいます。

その一人が上智大学名誉教授の渡部昇一さんです。
この渡部さんが昭和47年に出版された著作に
『人間らしさの構造』という「生きがい」のことを
取り上げた本がありますが、ページをくって驚きました。

冒頭で渡部さんは高島陽さんの著作を紹介し、
高島さんの生き方に目を見張らされたと
お書きになっているのです。

「私の場合、鮮烈な形の『生きがい論』に出合ったのは、
高島さんのものを読んだときである。
今から5,6年前(昭和41,2年)のことで、その頃はまだ
『生きがい』ということはそんなに問題になっていなかったと思う。
高島さんという人は肺結核で7年間
何度も喀血したことがあるそうだ。
特に軍隊の病院にいたときはとても助からないと思った、
と言っておられる。

そのほか、山の湖に入って自殺しようとしたり、
亜ヒ酸を飲んで死のうとしたり、山奥の高圧線の鉄塔から
飛び降りて死のうとしたり、数回の自殺未遂の経験があるらしい。

そういう生死の間を何度かさまよってから、
『結局、生きている理由はないかもしれないが、
死ななくてはならない理由もないと決めて、
当分生きることにした』とのことである。

それからの高島さんの活動はまことにすばらしい。
証券会社という生き馬の眼を抜くような
苛烈な競争社会に入って、抜群の成績を上げ、
まもなくその会社の取締役になる。
さらにその後は一本立ちの経済評論家として
特色のある活動をしておられるのである。」
(『人間らしさの構造』。昭和47年。)

私はこの文章をはじめて読んだとき、
高島陽さんが若い頃、自殺を思いつめたことが
あったとことは知りませんでした。
この渡部さんの文章を読んで、
邱永漢さんの著作に、親しい間柄の友人として
紹介されている高島さんという人は
たいへんな辛酸をなめてこられた
偉い人なんだという印象を深めました。

でも、この一連の連載をお読みの方にとっては、
渡部さんのご評価はスンナリ
受け止められるのではないかと思います。