35,6歳の頃、自分の将来を思い浮かべて
はっきり覚えていることがあります。
50歳以降になったときの自分が
さっぱり思い描けなかったことです。

「こういう人生を生きたい」とか
「自分の夢をあねたいとか」といったものを
まったくを持っていなかったことが
一番の原因だと思いますが、
人のあとについて生きていこう
と考えていた自分のような者でも、
50歳からあとの人生がどうなるのか
さっぱりわかりませんでした。

ところが、43歳のとき、
新規事業を考える仕事につき、
あまり人がいないところで、
人を集める事業を考え、
失敗し、その失敗に教えられて
一つの事業を世に送ることができました。

その後、テーマ・パークのPRを担当し
パークに人を集めるには、
ホテルが必要というので、
親会社の本社に舞い戻って、
ホテルの誘致に奔走することになりました。

懸案であったホテルの誘致が実り、
気がついたら49歳になっていました。
精神的にはきついなあと思うばかりの
40代でしたが、自分なりに頭を絞り、
試行錯誤しながら右に行ったり
左に行ったりするなかで、
鍛えられたのでしょう、
少し逞しくなったようです。

誘致したホテルの建設がはじまった
平成5年、私は会社の外に出て、
第二の人生を託す仕事を考えたいと
会社の人事部に申し出ました。

邱永漢さんの作品のエッセンス本を
まとめさせていただくようになったのも
この頃のことですが、
「会社の外に出て仕事をしたい」
と申し出ていたことが功を奏し、
これまで働いてきた会社とは
まったく関係のないところで
マネジメント研修の講師の仕事を
はじめることになりました。

思えば昔、50歳になったときの姿が
まったく思い描けなかった自分が、
その年になって、会社の外に飛び出して
新しい仕事に従事するようになったというのは
わがことながら、興味深いと思っています。