40歳を節目に新しい事業部門で
働くようになってから数年たち、
43歳になっていた頃、
年代でいうと昭和61年の末のことですが、
福岡県にある八幡製鉄所から呼び出され
新しい事業を考え出す仕事に
従事するようになりました。

当地への赴任は3度目ですが
今度の職場はその名も “新規事業推進部”です。
当地では “本事務所”という名前で
呼ばれていた木造の事務所の4階に
30人近い人が集められ、新しい仕事づくりに
取り組むことになりました。

日本の通貨、“円”が固定相場制から
フロート制に移ったのは昭和46年のことですが、
以降、“円”はどんどん強くなり、
メーカーでは輸出して得られるお金が
円換算ではその分、減ってしまうという
困った現象が起こっていました。

こうした“円高”に伴うショック現象に
対応するため、鉄づくりも
新鋭製鉄所で集中的に行うほかなく、
八幡製鉄所のように旧い製鉄所では
生産が振るわず、工場が解体され、
あちこちに遊休地ができていました。

地域に与える影響も大きいです。
そこで“新規事業推進部”がもうけられ、
私はその一員として働くことになったのです。
新しい事業づくりに取り組む、
これは私が願っていたことです。
面白いと思いました。
ただ、ひさしぶりに八幡製鉄所を
訪れると製鉄所の中も、周辺の街も
すっかりさびれ、こういう所で
新しい事業を考えるといっても
ちょっと無理なんじゃないかなと思いました。

でも、何か新しい事業を考え出して欲しい
というメッセージを受けていて、
ボーとしてはおれません。
どんな仕事が考えられるかに
頭を絞ることになりました。

その時点ではまったく
気がつきませんでしたが、
この仕事に従事したことが
そのあと新しい進路方向に向かって
走り出すことにつながっていきます。