台湾訪問は息子や娘に先を越されてしまいました。
どうしてそういうことになったのだろうかと考えると、
私が愛読する邱永漢さが、昭和50年代後半からは
アメリカ、続いて香港、そして中国本土に関心を寄せ
台湾を投資対象の地域として紹介することは
なかったからです。

そのため、私はアメリカには縁はありませんでしたが、
香港に関心を寄せたし、中国本土の動きにも関心を寄せ、
香港は17年ほど前に。そして北京や上海には
15年ほど前に足を踏み入れました。

以来、香港や北京や上海を訪れるようになりましたが、
中国の工業化に関心を持って眺めていますと、
その担い手になっているのが台湾の人たちだ
ということに気づきます。

そこで、広東省の珠江工業地域の
東莞には台湾人の子供たちの学校が
設けられていると聞き、ここを訪れました。
そても活気のあるところでした。

また長江経済地域の昆山というところにも
同じように、台湾人の子供たちの学校が
設けられていると聞き訪れ、昨年のこと、
昆山を訪れ蘇州にも足を伸ばしました。
これら地域はとてもスケールの大きな
工業ゾーンであることを知りました。

そして最近は台湾の会社自身も
中国の経済発展に支えられて拡大し、
世界的な企業に発展している会社も
多いことを知るようになりました。

ですが、台湾本土を訪れることは
今までありませんん。
近くの香港やベトナムには行っているのに
中国の経済のリード役になっている
台湾企業の母国に行っていないというのは、
いかにも片手落ちのような気がします。

ということで、遅くなりましたが、
この7月25日に台湾を訪れることにしました。