200年前にイギリスでアダム・スミスが『国富論』を書き、
100年前のイギリスで100年前にカール・マルクスが
『資本論』を書きましたが、それから100年後に日本で、
邱永漢さんが『付加価値論』を執筆しました。

この『付加価値論』の執筆に先立ち、邱さんは、
アダム・スミスの「国富論」の解説文を
『ネキスト』(講談社)に連載し、昭和63年2月、
連載完結により、『邱永漢『国富論』現代の読み方』
を刊行しました。

この本のまえがきで邱さんは次のように書いています。
「『国富論』のなかでスミスが『分業論』と
『神の見えざる手』について言及していることは
広く人口に膾炙(かいしゃ)している。
『分業論』と『自由放任』によって
経済の発展が著しく促進されたことは疑いの余地もないし、
それを最初に指摘した点でスミスの功績は明らかだが、
独創性という点では、『むしろスミス以前の人々が、
金銀を富と教えていたのに対し、その国々の生産物こそ
富であり、すべての価値は労働から生み出されたものであること』
を証明してくれた面のほうが際立っているであろう。

私は経済学の発想が今日のような形になるまでの過程を
遡って知りたいという欲求に駆られて、
スミスの勉強をする気を起こしたのだが、
『国富論』を通読してみて、今日、現に起こっている
経済界の頭の痛いことは、今になって生じたものではなくて、
人間の歴史と共に長いものだな、と改めて痛感した。

貿易摩擦とか、売上税とか、国家財政の大赤字は
二百年前のヨーロッパにすでにあった現象であり、
今日の日本で起こっている財テク論議のなど、
スミスの本を読むと、200年前のオランダで
かしましかったことがわかる。
スミスは親しい観察家であり、経済原則に対する意見は、
時代と所を異にしても、傾聴に値するものを持っている。」

そして、邱さんは『国富論』の全貌を知りたい人は
邱さんの恩師である故大河内一男先生の
中公文庫版を読むことを薦めておられます。