昨年、東大の構内を見回したとき、
東大病院に道を一つ隔てた場所で
二つの外国人の胸像と出会いました。

かの昔、日本が招いた先生であろうことは
容易に推察がつきましたが、それが
どなたのものであるか、不明でした。
それから、半年ほどして、
大阪でセミナーを開き、翌日、
大阪の「歴史博物館」を訪ねたのですが
東大に招かれていたドイツ人医学教授、
ベルツの遺品が展示されていて、
しばし拝見しました。

ベルツ博士のお名前は
「ベルツの日記」で、知っていたのですが、
遺品はまことに豪華なもので、
誰か有力大名の遺品であるといっても
あやしまないほどのもので、
明治の頃、わが国は、招いた外人教授たちに
莫大な額の俸給を出していたんだということが
想像されました。

さて、最近のこと、
このベルツ先生の胸像が東大に構内にあることを
知りましたが、それは半年前、東大五月祭に行った時に
出会った胸像の一つであったことに気づきました。

また、ベルツ先生と並んで置かれていた
もう一つの胸像は同じくドイツから招かれていた
スクリバ先生という方のものであるということも
知りました。

ある方が、この両先生の胸像の説明文を
紹介されていますので、そのまま
掲載させていただきます。

「東京大学名誉教師
ベルツ先生(在職1876-1902)
同スクリバ先生(在職1881-1901)は
本学部創始のころ20年以上にわたって
それぞれ内科学外科学を教授指導し、
わが国近代医学の真の基礎を築いた恩人である。
この碑は両先生の功績を記念するため
明治40年4月4日1907)建設せられたが、
このたび医学部総合中央館の新築にともなって
昭和36年11月3日(1961)原位置の
北方60メートルのこの地点に移した。
 東京大学医学部」 (平成14年6月23日記)

私は昭和38年から2年間、この構内で
学ばせていただきましたが、まったく
気づくことがありませんでしたが、
日本の医療の基礎を築かれた方だと
おもいますので、改めて訪れたいと考えています。