8月下旬のある日の夕方でした。
家に帰ると、妻から
「邱永漢先生の秘書の方からお電話をいただきました。
留守番電話に入っていますので聞いてください」
との報告を受けました。

留守番電話を聞き、翌朝、いちばんで
邱さんの秘書に電話をすると次のようなお話でした。

(1) 「作家の玉村豊男さんが、11月に
    「邱永漢の予見力」という本を出版されます。」

(2) 「邱永漢の中国における最近の活動を
    ルポルタージュしたもので、最初は
    玉村先生と邱永漢の共著で出す予定だったのですが、
    玉村先生単独で出版されることになりました。」

(3)「玉村先生の原稿はすでに出来上がって、
    こちらに届いていますが、昨晩、遅く
    出版元の集英社新書の編集の方から
    本の末尾に邱永漢の略年表を掲載したく、
    その略年表を作成して欲しいとのことです。」

(4)「かねてから、戸田さんが邱永漢の年譜を
    作成されているとうかがっています。
    つきましてはこの作業をお願いします。
    了承いただければ追って集英社新書の編集の方から
    お電話が入ります。」

私がその場で即、承諾したことは言うまでもありません。

本のタイトルから、邱さんがこれまでの人生で
発揮されたさまざま先見性を凝集したような年譜が
できると良いと思いました。

すぐに、集英社新書の舘さんからお電話があり、
「玉村先生の『邱永漢の予見力』の末尾に
邱先生の略年表掲載したい。スペースは
新書版の一ページです」とのことです。

邱さんの先見的な活動履歴が果たして
一ページに収るかどうか、疑問は残りましたが
邱さんの年譜が、簡単なものであれ、
活字になるのは今回が初めてです。

私は舘さんに「今日中に作り上げます」
と約束し、早「邱永漢の略年譜」の作成にかかりました。