昭和39年に
『財界の鉱脈財界の鉱脈―小林一三と大屋晋三』
が刊行されてから19年たった昭和58年、
小林一三翁についての文章が
『日本で番もユニークな経営者小林一三伝』
と題して日本経済新聞社から再販されました。

前にも書きましたように私はこの本を通して
小林一三翁の活動を知るようになりました、
この本のまえがきで邱さんは次のように述べています。

『明治以降の日本の経営者のなかで、
最もユニークな人を一人だけあげよ』といわれたら、
私は何のためらいもなく、小林一三の名前をあげるであろう。

渋沢栄一とか、岩崎弥太郎とか、
明治をいろどる素晴らしい先覚者もいるし、
また当代でいえば、本田宗一郎さんとか、
盛田昭夫さんといった世界的スケールで
経済大国 日本のイメージアップに貢献した人もある。

しかし、その着想から言って、今日の日本を
予見できるような事業の展開をしてきたのは、
小林一三であり、阪急グループの事業の隆盛が
何よりの証拠になっている。

昭和39年のはじめに、私は週刊サンケイから、
『何か経営者の参考になるような連載物を書いてくれませんか』
と頼まれて、すぐに小林一三の評伝を書くことを思い立った。
実は、その少し前から近代日本の経営者たちの
言動や業績に興味を持ち、自伝他伝などあれこれ
読みあさていたが、その中で最も心ひかれたのは
小林一三であった。

小林一三については、その後、多くの伝記が書かれ、
その人となりや足跡について知識をお持ちの方も多いと思う。
約半年にわたて週刊サンケイに連載した私の小林一三評伝は、
そのハシリみたいなもので、本文をお読みいただければ
すぐにわかることだが、私の筆になる小林一三は
たいして偉い人のように思えないし、このくらいなら、
自分にもできそうだという気持ちを起こさせるものである。

しかし、一見、何でもないように見えるところが
小林一三の衆にすぐれたところで、生前、親しくした人たちから、
本人にまつわるエピソードをきけばきくほど、
大したジイさんだぞ、という感を新たにした」

この続きは次回も紹介します。