妻のいとこで、妻の母の実家を継いでいる
浜野征三さんのご自宅で、
100
年前に亡くなった童子の弔いに同席したあと
その日の宿として予約いただいていた
国民宿舎 紀州路 みなべに送っていただきました。

この宿舎は南部湾に突き出た岩の上に
築かれ、目の前に鹿島(かしま)という
小さな島が見えます。

妻は3歳から8歳くらいまでの間
この島を見ながら生活していており、
妻の小さかった頃の話には
この鹿島の話がよく出てきます。

夕食をいただいたあと、
温泉風呂に行くとこの鹿島のことを
歌った歌が暖簾に書き込まれていました。

「三名部(みなべ)の浦塩な満そね
鹿島なる釣する海人を見てかへりこむ」

後で宿の人に聞くと
万葉集に収められている歌で
「南部の浦の潮いっこうに満ちて来ない、
鹿島で釣りしてる海人を見てから帰って来た」
と言った意味で、701年(大宝元年)、
文武天皇(もんむてんのう)が旅行した際に、
お伴の者が詠んだ歌だそうです。

 

この歌のことを妻に伝えると
昔、大地震で津波が南部に押し寄せた時、
鹿島のところで津波が割れ、
南部の人は災害から免れたのだという
言い伝えの話を教えてくれました。

さて、宿の前は海岸です。
朝、食事をいただいたあと、海岸に出ました。
小雨が降っていましたが、
鹿島を背景にして写真をとったあと

妻は海岸に打ち寄せられた貝殻拾いに興じました。
昔もこうして遊んだのでしょう。

貝の種類はいろいろだけど、
宝貝という貝は昔と同じように
綺麗だったと語りました。