私たちが泊まった国民宿舎 紀州路みなべが
立っている岬が植田崎(はねたさき)で、
窓から見える砂浜が植田浜(はねたはま)
と言われるところです。
ここに見える植田(はねた)というところが
妻の母が育ったところです。
この二人の父親、言い換えれば
征三さんや私の妻の祖父が
浜野大吉(はまのだいきち)という人です。
この大吉じいさんは75歳の頃
町の要請を受けて、取材活動をはじめ
現地にでかけたり、古老や学者を尋ねたり
また隣町
3時間かかった和歌山県立図書館にも
何度も通いました。
そして、5年の歳月をへて、80歳の時に、
郷里、植田区の歴史、産業、衣食住、風俗習慣、
文教、行事、宗教、土木、気質、物価など
についての膨大な原稿ができあがりました
そして、この時、じいさんを手伝ったのが、、
多摩美術大学に通っていたわが妻で
じいさんに言われるままにあちこちに出かけ
たくさんの挿絵を描きました。
こうしてページ数にして443にも及ぶ
活版刷りの大著『植田区誌』が出来上がり、
わが家でもこの一冊を大切に保管しています。
いまこの本の表紙をくると、
じいさんの筆で縦書きで次のように書かれています。
「贈与 孫 熹美殿
昭和37年8月
熹美(きみ)というのが妻の名前で、
この本はわが家で一番のお宝です。