「いつもいつも値切りたおされて、

お金の儲かるいとまをあたえてくれない。

同業他社は先行きを悲観して、

景気が回復して本社の業績内容が好転した機会に、

累積赤字を消して早々に撤退をしたが、

山崎さんは、『うちも撤退するならともかく、

今後もアメリカの市場で勝負をする気なら、

相手の要求をのまないわけにはいかないだろう』

といって、値切られる度に

コスト・ダウンに努力をしてきた。

 

おかげで、メイド・イン・ジャパンとしては、

性能に比して最も安価な製品をつくることができるようになった。

その代わりユダヤ人と組んでいる限り、

どんなに頑張ってもお金持ちにはなれないことがよくわかった。

その見極めがついたので、業績が落ち着いた時期を見計らって、

ユダヤ人との販売契約を打ち切り、

自分でアメリカに販売会杜をつくる決心をした。」

(邱永漢著『野心家の時間割』)

 

ここで山崎鉄工(現ヤマザキマザック)

の同社のHPに記載されている沿革をたどると次のとおりです。


1962年(昭和37年)

6月業界初の対米輸出、LE形旋盤200台を大量成約

10月山崎照幸、代表取締役社長に就任

1963年(昭和38年)5月ブランド「MAZAK」を発表、

マザック旋盤の量産開始

1965年(昭和40年)7月大口工場へ本社移転

1968年(昭和43年)

7月ニューヨークに米国会社

YAMAZAKI MAZAK CORPORATION(YMC)を設立

1974年(昭和49年)

7月米国会社YMC(現MAZAK CORPORATION)

グレーター・シンシナティ工場完成